上巻 第11 イソポ、リイヒヤに行く事
校訂本文
さるほどに、イソポ、リイヒヤの国にまかり上(のぼ)り、勅使とともに参内す。御門、このよし叡覧(えいらん)あつて、「あやしの者の帯佩(たいはい)やな。かかる醜き者の下知によつて、サンの者ども、わが命(めい)をそむきけるや」と逆鱗あること軽(かろ)からず。すでにイソポが一命も危うく見え侍りければ、イソポ、叡慮(えいりよ)を察して言上しけるは、「われに片時(へんし)の暇(いとま)を賜べ」と申しければ、「しばらく」とて御免されをかうむる。
その時、イソポ申し上げけるは、「ある人、いなごを取つて殺さむとて、行きける道にて蝉を殺さんとす。蝉、憂ひて云はく、『われ罪なうしていましめをかうぶり、五穀にわざもなさず、人にさはりすることなし。夏山の葉隠れには、わがすさまじき癖(くせ)あらはしぬれば、暑き日陰も忘れ井の、なぐさめ草となり侍れ。かひなく命を果たされ給はんこと、歎きてもなほあまりあり』と申しければ、『げにも』とて、たちまち赦免(しやめん)す1)。そのごとく、わが姿形(すがたかたち)はをかしげに侍れど、わが教へに従ふ所は、国土平安にして、万民すなほに富み栄えて、善をもつぱらに教ゆる者にてこそ侍れ。蝉とわれと、その違(たが)はず」と申しければ、御門、大きに叡感(えいかん)あつて、「さらば」とて、勅勘(ちよくかん)を赦免なされ、「この上は、なんぢが心に望むことあらば奏聞申せ」と仰せければ、イソポ、つつしんで2)申し上げけるは、「われにことなる望みなし。われ、サンに年久しくあつて、人の下臈(げらう)にて侍りけるを、所の人々申し免され、独り身とまかりなりて3)、心やすく侍りき。その恩を報じがたく候へば、かの所より奉るべき物を免させ給へかし」と云ひければ、御門、このよし叡覧あつて、彼が望みを達せんため、サンの御調物(みつきもの)を免されけり。
万治二年版本挿絵
翻刻
十一 いそほりいひやにゆく事 さる程に伊曾保りいひやの国にまかりのほり勅使 と共に参内すみかとこのよしゑいらんあつてあや しの物のたいはいやなかかるみにくき物の下知に/1-19r
よつてさんのものとも我命をそむきけるやとけき りんある事かろからすすてにいそほかいちめいも あやうくみえ侍りけれはいそ保ゑいりよをさつして 言上しけるは我にへんしのいとまをたへと申 けれはしはらくとて御ゆるされをかうむるその時 いそ保申上けるはある人いなこをとつてころさ さむとてゆきける道にて蝉をころさんとすせみう れいていはく我つみなうしていましめをかうふり 五穀にわさもなさす人にさはりする事なし夏山 の葉かくれにはわかすさましきくせあらはしぬれ はあつき日かけもわすれゐのなくさめくさと成/1-19l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/19
侍れかひなくいのちをはたされ給はん事なけき てもなをあまりありと申けれはけにもとてたち まち赦めす其ことくわかすかたかたちはおかしけ に侍れとわかをしへにしたかふ所は国土平安にし てはんみんすなほにとみさかへて善をもつはら にをしゆるものにてこそ侍れせみとわれとそのた かはすと申けれは御門大きにゑいかんあつてさら はとて勅かんをしやめんなされ此うへは汝か心に のそむ事あらはそうもん申せと仰けれはいそほ つしんて申あけけるはわれにことなる望なしわ れさんにとし久敷あつて人の下らうにて侍りける/1-20r
を所の人々申ゆるされ独身とまかりなりて心やす く侍りきそのをんをほうしかたく候へはかの所 より奉るへき物をゆるさせ給へかしといひけれは 御門このよしゑいらんあつてかれかのそみをたつ せんためさんの御調物をゆるされけり/1-20l