上巻 第10 リイヒヤより勅使の事
校訂本文
さるほどに、イソポが申せしごとく1)、リイヒヤの国王ケレソと申す御門より、サンに勅使を立て給はく、「その所より、年ごとに御調物(みつきもの)を奉るべし。しからずは、武士(もののふ)に仰せて攻め亡ぼさせ給ふべし」との勅定(ちよくぢやう)なり。
これによつて、地下(ぢげ)の年寄以下評定(ひやうぢやう)し給ひけるは、「その攻めをかうむらんよりは、しかじ御調物(みつきもの)を奉るべし」となり。「さりながら、イソポに尋ねよ」とて、このよしを語りければ、イソポ申しけるは、「それ、人の習ひ、その身を自由に置かんも、人に従はんも、ただその望みに任するものなり」と云ひければ、「げにも」とて、勅定をそむかす。
勅使、帰つてこのよしを奏聞す。御門、そのゆゑを問はせ給ふに、勅使申しけるは、「かの所にイソポといふ者あり。才智世にすぐれ、思案人に超えたる者にて候ふ。この所をしたがへ候はんにおいては、まづこの者を召し置かるべし」と申しければ、「もつとも」と叡感(えいかん)あつて、定めてサンに勅使を下さる。「御調物をば免し給ふべし。イソポを御門へ参らせよ」との勅定なり。
地下の人々、訴訟(そしよう)して云はく、「さらばイソポを参らせん」となり。イソポ、このよしを聞きて、喩へをもつて云ひけるは、「昔、狼、一つの羊を服せんとす。羊、このよしを悟つて、あまたの犬を引き語らふ。これに狼、羊を犯すことなし。狼のはかりごとに、『今よりして犬を犯すことあるべからず。犬をわれに与へよ』と云ふ。羊、『さらば』とて、犬を狼につかはす。狼2)、まづこの犬を亡ぼして後、つひに羊を食ひてけり。その国の王を亡ぼさむとては、まづ忠臣を招くものなり」と云ひて、つひに勅使に具せられて、リイヒヤの国に至りぬ。
翻刻
第十 りいひやよりちよくしの事 去程にいそほか申せしことくりいひやの国わう/1-17l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/17
けれそと申御門よりさんに勅使をたてたまはく その所よりとしことに御調物を奉るへししから すはもののふに仰てせめほろほさせ給ふへしとの 勅ちやうなりこれによつて地下のとしより以下評 定したまひけるはそのせめをかうむらんよりはし かしみつきものを奉るへしとなり去なからいそ 保にたつねよとてこの由を語けれはいそほ申ける はそれ人のならひ其身をちゆうにをかんも人に したかはんもたたそののそみにまかするものなり と云けれはけにもとてちやくちやうをそむかすち よくしかへつてこの由をそうもんす御門そのゆへ/1-18r
をとはせ給ふにちよくし申けるはかの所にいそ ほといふものあり才智世にすくれ思案人にこえ たるものにて候此所をしたかへ候はんにおゐては まつ此者をめしをかるへしと申けれはもつともと ゑいかんあつてさためてさんにちよくしをくた さるみつき物をはゆるし給ふへし伊曾保を御門 へまいらせよとのちよくちやうなり地下の人々そ せうしていはくさらはいそほをまいらせんとなり い曾保このよしをききてたとへをもつていひける は昔狼ひとつの羊をふくせんとす羊このよしをさ とつてあまたの犬をひきかたらふこれに狼羊をお/1-18l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/18
かす事なし狼のはかり事に今よりして犬をお かす事あるへからすいぬをわれにあたへよと云 羊さらはとていぬを狼につかはすおおかめ先此い ぬをほろほして後終にひつしをくいてけりその 国の王をほろほさむとてはまつ忠臣をまねくもの なりといひてつゐにちよくしにくせられてりい ひやのくににいたりぬ/1-19r