巻4第12話(35) (和歌)
校訂本文
源三位頼政 隠題名歌
藤 鞭 桐 火桶 頼政
五月雨(さみだれ)に瀬々の淵々(ふちぶち)落ちたぎたり氷魚(ひを)けさいかに寄りまさるらん
延慶二年己酉、季春の初めのころ、これを詠ず
庭の面(おも)の桜は半ば過ぎにけり弥生の空は半ばならぬに
常に独座(とくざ)老後は人問ひ訪はず、心静かなることを思ひつづけて、
あながちに尋ねも入らじ閑かなる心ぞ人はみよしのの奥
老後の述懐
みな人に遠ざかり行く老いが身ぞ深き山辺に入る心地する
老いらくは問ひ来る人もなかりけり永き命ぞふかき深山(みやま)へ
よしさらば尋ねも入らじおのづから問はれぬ宿ぞみよし野の奥
勢妙蓮華寺世間人の事、思ひつづけて述懐
世の中の人のふるまひ聞き見るにいかでかもとの道に入るべき
座禅誦経(じゆきやう)学し書き読む人ぞなき飲み食ひ遊び色にのみ富む
座禅誦経談義の座には眠れども飲み食ふ時は目を覚ますかな
食ひ物を座禅の床に置きたらば公案(くあん)よりは目は覚めぬべし
もろともに大乗なれと大乗の座禅より茶は目こそ覚めけれ
大乗の茶と云ふは玄水(げんすい)なり。俗には三寸(みき)と云ふ。これを用ゆれば、風三寸ばかり身に近づかずと云へり。大乗の茶のことは、嵯峨の道観坊の因縁なり。
先年、目の病(やまひ)につやつや見えず。咳病(かいびやう)に音(こゑ)枯れて、つやつやたたず。耳は久しく聞えず侍り候ふままに、思ひつづけて、
目も見えず耳も聞こえず音(こゑ)たたず三(み)つの猿こそたもちやすけれ
言はざると見ざる聞かさるよりもなほ思はざるこそたもちがたけれ
不言不見不聞(言はざる見ざる聞かざる)。 見惑易断、如破石(見惑断じ易きこと石を破が如し)。思惑難断、如藕糸(ぐうし)。(思惑断じ難きこと藕糸の如し。)云々
三つの猿はよしや踊りも跳ねもせよ思はざるをぞよく繋ぐべき
三つの猿と思はざるだにたもちなば座禅の時の心地なるべし
圭峯禅師1)の云はく、「以空寂為自身、勿認色身。以霊知為自心、勿認妄想念。(空寂をもつて自身となして、色身を認むるなかれ。霊知をもつて自心となして、妄想(まうざう)の念を認(したたむ)ることなかれ2)」。これすなはち朝暮の止観修行用心なり。私(わたくし)にこれを詠ず。
よしもなく地水火風をかり集めわれと思ふぞ苦しかりける
八十(やそぢ)までよく集めたる地と水と火と風いつか主(ぬし)に返さん
よしさらばもぬけて去らむ惜しからず八十(やそぢ)に余るうつせみの殻
あやまりて影をわれぞと思ひなしてまことの心忘れてしがな
あきらかに閑かなるこそまことにはわが心なれその他は影
心月
まことなる心の月はおのづから山の端(は)3)もなく出で入りもなし
くもりなき心の月は昔より待ち惜しむべき山の端もなし
祖師4)西来(せいらい)の意(こころ)
くもりなき心の月ぞはれにける5)西吹く風に雲は消えつつ
紫雲来迎
松に咲く池の藤波見るたびに心にかかる紫の雲
万事世間運に任せてあるべき心地の述懐
わが身をば繋がぬ船になしはてて西も東も風にまかせむ
心をば水のごとくにもちなして方(けた)と円(まろ)とを物にまかせむ
わが身なほわが思ふにもかなはぬに人を心にまかすべしやは
よしさらば物を心にまかせじよ心を物にうちまかせつつ
凡夫(ぼんぶ)の習ひ
ことはりはさるべけれども欲しからず野老(ところ)の苦く人の悪(わろ)きは
あながちに人を悪(わろ)しと思はじよわが身もげにはようもなければ
月に寄する述懐
うらやまし同じ憂き世にめぐれども月は雲居(くもゐ)の上を行くかな
もろともに影かたむきてながむれば月もあはれとわれを見るらん
山家(さんか)の月
山かげの谷の庵(いほり)は憂かりけり月見るほどの空ぞ少なき
閑亭(かんてい)の月
独り住む宿(やと)こそ月はさびしけれ必ず山の奥ならねども
当寺6)に四十余年経廻(へめぐ)り、因縁尽きたるにや、万事心留らざることをこれを詠ず
人は不和(ふわ)寺は無縁に薪(たきぎ)なしきがさきにこそこりはてにけれ
蓮華寺に常に栖む心を
世の中の濁りにしまぬ心もて蓮(はちす)の華の寺に住むかな(沙門無住八十歳)
先年、閑居の山里にて詠ず。沙石集第五にあり7)。
聞くやいかに妻呼ぶ鹿の音(こゑ)までも皆与実相不相違背(かいよじつさうふさうゐはい)と
ある人、初めの句を難じて云いはく、「申すに付けて、これはかの宮内卿の名歌の、「聞くやいかにうはのそら8)」の句を取りて侍る。名歌の一二句を取りて風情かはれるは、みな古人の要処なるかと思ふばかりなり。ただし、かれをとらずとも、初めの句を、「誰か聞く」と直すてや侍るらん、これは心なほなほ深く侍るなり。
音訓和歌
万事不喜亦不憂。(万事も喜ばず憂へず。)
功徳黒闇不相離。(功徳黒闇あひ離れず。)
何事とも喜びずまた憂へしよ功徳黒闇あひ離れねば
嘉元二年癸卯9)十月二十五日これを詠ず。沙門無住。
翻刻
源三位頼政 隠題名歌 藤 鞭 桐 火桶 頼政 五月雨ニセセノフチフチヲチキタリヒヲケサイカニヨリマサルラン 延慶二年己酉季春ノ初ノ比詠之/2-41l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/41
庭ノ面ノサクラハナカハスキニケリヤヨヒノソラハ半バナラヌニ 常ニ独坐老後ハ人不問ヒ訪心静ナル事ヲ思ヒツツケテ アナカチニ尋ネモイラシ閑ナル心ソ人ハミヨシノノヲク 老後ノ述懐 皆人ニトヲサカリ行老カ身ソ深キ山辺ニ入ル心地スル 老ラクハ問来人モナカリケリ永キ命ゾフカキミヤマヘ ヨシサラハ尋モ入ラシヲノツカラ問ハレヌ宿ソミヨシノノヲク 勢妙蓮華寺世間人ノ事思ヒツツケテ述懐 世ノ中ノ人ノフルマヒ聞ミルニイカテカ本ノ道ニ入ルヘキ 坐禅誦経学シカキヨム人ソナキ飲食遊ヒ色ニノミトム 坐禅誦経談義ノ座ニハ眠トモ飲食時ハ目ヲサマスカナ 食物ヲ坐禅ノ床ニヲキタラハ公案ヨリハ目ハサメヌヘシ/2-42r
モロトモニ大乗ナレト大乗ノ坐禅ヨリ茶ハ目コソサメケレ 大乗ノ茶ト云ハ玄水也俗ニハ三寸ト云此ヲ用レハ風三寸ハカリ 身ニ不ト近云ヘリ大乗ノ茶ノ事ハ嵯峨ノ道観坊ノ因縁也先年 目ノヤマヒニツヤツヤミエス咳病ニ音枯テツヤツヤタタス耳ハ久ク不 聞ヘ侍候ママニ思ヒツツケテ 目モミエス耳モキコエス音タタス三ノ猿コソタモチヤスケレ イハサルトミサルキカサルヨリモナヲ不思ハコソタモチカタケレ 不言ハ不見不聞カ 見惑易コト断ジ如シ破カ石ヲ思惑難コト断ジ如藕糸ノ云々 三ノ猿ハヨシヤヲトリモハネモセヨ不思ヲゾヨクツナクヘキ 三ノ猿ト思ハサルタニタモチナハ坐禅ノ時ノ心チナルヘシ 圭峯禅師ノ云以テ空寂ヲ為シテ自身ト勿レ認ムル色身ヲ以テ霊知ヲ為シテ自心ト 勿認ムルコト妄想ノ念ヲ此則朝暮ノ止観修行用心也私ニ詠ス之/2-42l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/42
ヨシモナク地水火風ヲカリアツメ我ト思フソクルシカリケル ヤ楚地(八十)マテヨクアツメタル地ト水ツト火ト風イツカヌシニカエサン ヨシサラハモヌケテサラムヲシカラス也楚地ニアマルウツセミノカラ アヤマリテ影ヲ我ソト思ナシテマコトノ心ワスレテシカナ アキラカニシツカナルコソマコトニハ我カ心ナレソノホカハカケ 心月 マコトナル心ノ月ハヲノツカラ山葉モナクイテ入モナシ クモリナキ心ノ月ハ昔ヨリマチヲシムヘキ山ノハモナシ 祖師西来ノ意 クモリナキ心ノ月(モ ヌヘシ/ソハレニケル)西フク風ニ雲ハ消ヘツツ 紫雲来迎 松ニサク池ノ藤波ミルタヒニ心ニカカル紫ノ雲/2-43r
万事世間任運ニアルヘキ心地ノ述懐 我身ヲハツナカヌ船ニナシハテテ西モ東モ風ニマカセム 心ヲハ水ノコトクニモチナシテ方ト円トヲ物ニマカセム 我身ナヲ我カ思フニモカナハヌニ人ヲ心ニマカスヘシヤハ ヨシサラハ物ヲ心ニマカセシヨ心ヲ物ニウチマカセツツ 凡夫ノ習 コトハリハサルヘケレトモホシカラス野老ノニカク人ノワロキハ アナカチニ人ヲワロシト思ハシヨ我身モケニハヨウモナケレハ 寄月述懐 浦山シヲナシウキ世ニメクレトモ月ハ雲居ノ上ヲ行哉 モロトモニ影カタムキテナカムレハ月モアハレト我ヲミルラン 山家ノ月/2-43l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/43
山カケノ谷ノ庵ハウカリケリ月ミルホトノソラソスクナキ 閑亭ノ月 独リスムヤトコソ月ハサヒシケレ必ス山ノヲクナラネトモ 当寺ニ四十餘年経廻リ因縁尽タルニヤ万事心不留 事ヲ詠ス之 人ハ不和寺ハ無縁ニ薪ナシ木カサキニコソコリハテニケレ 蓮華寺ニ常ニ栖ム心ヲ 世ノ中ノ濁リニシマヌ心モテ蓮ノ華ノ寺ニスムカナ(沙門無住/八十歳) 先年閑居ノ山里ニテ詠ス(沙石集第五ニアリ) 聞ヤイカニ妻ヨフ鹿ノ音マテモ皆与実相不相違背ト 或人初ノ句ヲ難シテ云申スニ付テ此ハ彼ノ宮内卿ノ名歌ノ 聞ヤイカニウハノソラノ句ヲ取テ侍ル名歌ノ一二句ヲ/2-44r
取テ風情カハレルハ皆古人ノ要処ナルカト思フ計也但 カレヲトラストモ初ノ句ヲ 誰カ聞クトナヲステヤ侍ル覧此ハ心猶々深ク侍ル也 音訓和歌 万事モ不喜亦不憂 功徳黒闇不相離 ナニ事モヨロコヒス又ウレエシヨ功徳黒闇アヒハナレネハ 嘉元二年癸卯十月廿五日詠之沙門無住 雑談集巻第四/2-44l
