沙石集
巻5第12話(48) 和歌の道、深理ある事
校訂本文
和歌の一道を思ひ解くに、散乱麁動(さんらんそどう)の心をやめ、寂然閑静(じやくねんじやうかん)の徳あり。また、言少なくして心を含めり。惣持(そうぢ)の義あるべし。惣持といふは、すなはち陀羅尼なり。
わが朝の神明は、多くは仏菩薩の垂迹、応身の随一なり。素盞嗚尊(すさのをのみこと)、すでに出雲八重垣の三十一字の詠を始め給へり。仏の語に異なるべからず。天竺の陀羅尼も、ただその国の人の言葉なり。仏、これをもて陀羅尼を説き給へり。
このゆゑに、一行禅師の大日経の疏にも、「随方の言葉、みな陀羅尼」と言へり。仏、もしわが国に出で給はば、ただ和国の言葉をもつて、陀羅尼とし給ふべし。惣持はもと文字なし。文字、惣持を表はす。いづれの国の文字か、惣持を表はす徳なからん。
いはんや、高野大師1)も、「五大皆響きあり。六塵ことごとく文字なり」とのたまへり。五音(ごいん)を出でたる音なし。阿字を離れたる言葉なし。阿字すなはち密教の根本なり。されば、経にも、「舌相言語みな真言」と言へり。大日経の三十一品も、おのづから三十一字に当たれり。世間出世の道理を、三十一字の中に包みて、仏菩薩の応もあり、神明人類の感もあり。
かの陀羅尼も、天竺の世俗の言なれども、陀羅尼に用ゐて、これを持(たも)てば、滅罪の徳、抜苦の用あり。日本の和歌も、世の常の言葉なれども、和歌に用ゐて思ひを述ぶれば、必ず感あり。まして、仏法の心を含めらんは、疑ひなく陀羅尼なるべし。
真言密教の習ひには、「法爾所起曼荼羅随縁上下迷悟転」と言ひて、六大法界四種曼荼羅なり。依報(えほう)といへば、寂光を出でず。正報をたづぬれば、毘盧遮那仏なり。ただおのれと迷へば、衆生となりて下々来々し、無明の海に入る。自己を悟れば、上々去々として、仏果に上る。法は本来曼荼羅2)なり。この心を思ひ続け侍り。
おのづから焼け野に立てる3)薄(すすき)まで曼荼羅とこそ人も言ふなれ
和歌を真言と心得て侍ること、「聖人は心なし。万人の心を心とす」と言へり。しかれば、法身は言なし、万人の言をもて語として、仏法を説き給ふ。言の中に義理を含めば、必ず惣持なり。惣持ならば、必らず真言なるべし。
天竺・漢土・和国、その言葉異なれども、その心通じて、その益すでに同じきゆゑに、仏経広まりて、その義門を得て、利益むなしからず。言葉に定まれるのりなし。ただ、心を得て、思ひを述べば、必ず感応あるべし。
大聖、わが国に顕(あら)はれて、すでに和歌を詠じ給ふ。清水4)の御詠にも、
ただ頼めしめぢが原のさせも草わが世の中にあらんかぎりは
とあり。これ必らず陀羅尼なるべし。疑ふべからず。
神明、また多く歌を感じて、人の望みをかなはしめ給ふ。かたがた和歌の徳、惣持の義、陀羅尼一つに心得べし。
綺語の失を論せば、失は人の染汚の心にあり。聖教とても、名聞・利養に用ゐるときは、みな魔業となる。これ人の失なり。これによりて、惣持の徳を失ふべからず。経を読むも、折悪しきをば、成論5)の中には、綺語となると言へり。これは自然とこの理(ことわり)を心得て書き置き侍り。などか、このいはれなからん。
諸法実相なり。色香中道なり。麁言軟語、みな第一義に帰す。和歌、何ぞ必ずしも簡(えら)み捨てん。治生産業、ことごとく実相に背かず。何事か法の理にかなはざらん。
そのかみ、ある山中に閑居して侍りし時、鹿の鳴く音を聞きて、思ひつづけ侍りき。
たれか聞く聞くやいかに妻呼ぶ鹿の声までも皆与実相不相違背(かいよじつさうふさうゐはい)と
翻刻
和歌道深理有事 和歌ノ一道ヲ思トクニ散乱麁動ノ心ヲヤメ寂然閑静ノ徳 アリ又言スクナクシテ心ヲ含メリ惣持ノ義有ルヘシ惣持トイフ/k5-176r
ハ即チ陀羅尼也我朝ノ神明ハ多クハ仏菩薩之垂跡応 身ノ随一ナリ素盞嗚尊ステニ出雲八重カキノ三十一字ノ 詠ヲ始メ給ヘリ仏ノ語ニコトナルヘカラス天竺ノ陀羅尼モタ タ其国ノ人ノコトハナリ仏是ヲモテ陀羅尼ヲ説給ヘリコノ故 ニ一行禅師ノ大日経ノ䟽ニモ随方ノ詞ミナ陀羅尼トイヘ リ仏若シ我国ニ出給ハハタタ和国ノコトハヲ以テ陀羅尼ト シタマフヘシ惣持ハ本文字ナシ文字惣持ヲアラハス何レノ国 ノ文字カ惣持ヲアラハス徳ナカラン況ヤ高野大師モ五大皆 響アリ六塵コトコトク文字也ト宣ヘリ五音ヲイテタル音ナシ阿 字ヲハナレタル詞ナシ阿字即チ密教之根本也サレハ経ニモ 舌相言語ミナ真言トイヘリ大日経ノ三十一品モヲノツカラ 三十一字ニアタレリ世間出世之道理ヲ三十一字ノ中ニ/k5-176l
ツツミテ仏菩薩ノ応モアリ神明人類ノ感モアリ彼ノ陀羅尼 モ天竺ノ世俗ノ言ナレトモ陀羅尼ニモチヰテ是ヲタモテハ滅 罪ノ徳抜苦ノ用アリ日本ノ和歌モヨノツネノコトハナレ共和 歌ニ用テ思ヲノフレハ必ス感アリマシテ仏法ノ心ヲフクメラン ハ疑ナク陀羅尼ナルヘシ真言密教ノ習ニハ法爾所起曼荼 羅随縁上下迷悟転ト云テ六大法界四種曼荼羅ナリ依 報トイヘハ寂光ヲ出ス正報ヲタツヌレハ毘盧遮那仏也タタ ヲノレトマヨヘハ衆生トナリテ下々来々シ無明ノ海ニ入ル自 己ヲサトレハ上々去々トシテ仏果ニノホル法ハ本来蔓荼羅ナ リコノココロヲ思ヒツツケ侍リ ヲノツカラヤケ野ニタル薄マテマンタラト社人モイフナレ和 歌ヲ真言ト心エテ侍ル事聖人ハ心ナシ万人ノ心ヲ心トスト/k5-177r
云リ然レハ法身ハ言ナシ万人ノ言ヲモテ語トシテ仏法ヲトキ給 言ノ中ニ義理ヲ含ハ必惣持ナリ惣持ナラハ必ラス真言ナ ルヘシ天竺漢土和国ソノ詞コトナレ共其ノ心通シテ其益ステ ニ同キ故ニ仏経弘リテ其義門ヲヱテ利益虚カラス詞ニ定レ ルノリナシ只心ヲ得テ思ヲノヘハ必ス感応有ヘシ大聖我国 ニ顕レテ既ニ和歌ヲ詠シ給清水ノ御詠ニモ 唯タノメシメチカ原ノサセモ草ワカ世ノ中ニアランカキリハ トアリ此必ラス陀羅尼ナルヘシ不可疑神明又多歌ヲ感シテ 人ノ望ヲ叶シメ給カタカタ和歌ノ徳惣持ノ義陀羅尼一ニ 心ウヘシ綺語ノ失ヲ論セハ失ハ人ノ染汙ノ心ニ有聖教トテ モ名聞利養ニ用ルトキハ皆魔業トナル是人ノ失也是ニヨリ テ惣持ノ徳ヲ失ヘカラス経ヲ読モ折アシキヲハ成論ノ中ニハ/k5-177l
綺語トナルトイヘリ此ハ自然ト此理ヲ意得テ書置侍リナト カコノ謂ナカラン諸法実相也色香中道也麁言軟語皆帰 第一義和歌何ソ必シモ簡ステン治生産業悉ク実相ニ背ス 何事カ法ノ理ニ叶ハサランソノカミ或山中ニ閑居シテ侍シ時 鹿ノナク音ヲ聞テ思ツツケ侍キ タレカキクキクヤイカニ妻ヨフ鹿ノ声マテモ皆與実相不 相違背ト 沙石集巻第五上終/k5-178r