沙石集
巻3第8話(28) 栂尾の上人の物語の事
校訂本文
明慧上人1)に結縁のため、高野の遁世上人、あまた歩みつれて、栂尾(とがのを)2)へ参じて、しかじかと申し入る。折節、風気ありて見参せぬよし、返事し給ひて、やがて使者に続きて、上人おはせけり。人々、騒ぎて入れ奉る。
上人、申されけるは、「この明慧房が過職(くわしよく)になりて候がにくさに、具して参りて侍るなり。おのおの、はるばると高野より、『老法師御覧ぜん』とておはしませり。やがて見参に入るべきに、風気なんど申せば、世間の人々しき風情なり。大事ならば、臥しながらも見参して、仏法の物語も申すべし。なほざりならば、とかくの子細あるまじきに、身のあるべき様(やう)を忘れて侍りけり。一代の聖教を年久しく見侍るに、教ふる所、仮名(かな)に書かば、「あるべきやう」の六文字なり。在家のあるべきやう、出家のあるべきやう、遁世のあるべきやう、このごとくの道々にへ、法々においてあるべきやう教へ置き給へり。しかるに、末代は、あるべきやう乱れて侍るなり。国王・大臣は外護(げご)の知識として、仏法を守護し信敬して、釈尊の付属のことを忘れ給ふべからず。これ王臣のあるべきやうなり。そのほかの在家、王の御意にそむくべからず。諸寺諸寺諸山の出家の僧侶は、宗は替はり学は異なりとも、釈子の風なれは、まづ、戒儀によりて剃髪染衣の形とならば、欲を捨て、愛を断ち、五衆の位をわきまへ、二学の行を専らにすべきに、頭(かみ)を剃れども愛欲をそらず、衣を染めて心をそめず。あるいは妻子を帯し、あるいは甲冑をよろひ、ただ三毒五欲をほしいままにして、かつて五戒十善なほ持(たも)つことなき僧ども、次第に国に満てり。これ、出家のあるべきやうをわきまへず。遁世門こそ、ことに我慢執着を捨て、世情妄念なくして、世間の人に代はりて、仏法の教へのあるべきやうに身心をなすべきに、人々しきやうに申して候ひつる。まめやかに仏の教へにそむきてこそ」とて、一代の教門の肝要、出離解脱の道に入る人のあるへきやうとて、仏法の大意、うち泣きうち泣き語り給ふ。上人ども、墨染の袖、絞るばかりなり。
さて、今日の夕方より通夜(よもすがら)語り明かし、次の日、ひめもすに語り暮らし給ふに、鐘の鳴るを、「これは何の鐘ぞ」と問ひ給ふに、「日没」と申しければ、「こは、いかなる物語申して候ひける」とて、入り給ひぬ。ただ片時(へんし)の心地なりけり。仏の説法の六十小劫を、時の衆、半日と思ひけんも思ひ知られけり。「まことに在世に会ひ、仏の説法を聴聞せんもかくこそ」と思ひあひて、泣く泣く帰りけりとなん、高野の遁世者の聞き伝へて、物語し侍りき。
ある遁世の長斎(ぢやうさい)の上人、河内国へ請用(しやうよう)して行く。七里の道を、冬の日、「時(とき)以前におはしませ」と請ず。いと道も歩まぬ馬に乗りて行くに、曇りて日影も見えねども、はるかに日たけて思えければ、「今日は日下(さが)りぬらん」と言ふに、檀那、「いまだ午時にてぞ候ふらん」とて、種々の珍物をもつて斎(とき)いとなみてすすむ。もとより食者(じきしや)なれば、かひがひしく行ひ、食後(じきご)の菓子まて至極せめ食ひて、楊枝使ふに、鐘の声聞こゆ。「これは何の鐘ぞ」と問へば、「日没」と言ふ。日没の鐘をまがふことは似たれども、食にまがへるは、かの上人の物語に忘れたるよりも、まさなくこそ思ゆれ。
古(いにしへ)をもつて鏡として、今の世を見るに、興廃まことに異なり。古の遁世の人は、仏法に心を染めて、世間の万事を忘る。近代は、世間の名利を忘れずして、仏法は廃るるにこそ。かかるままに、遁世の名のみありて、遁世のまことなし。世にあては、人にも知られず名利もなき人、遁世門に入りては、なかなか名も利もあるままに、必ず道心にあらねども、ただ渡世のために遁世する人、年々に多く見え侍るにや。されば、当世は遁世の遁の字を改めて、貪世と書くべきにや。この心を思ひ続け侍り。
遁世の遁は時代に書きかへん昔は遁(のが)る今は貪(むさぼ)る
世々(よよ)にまことある人も聞こゆるに、朝暮はばかりあるにや。近代も道に志ある人ありといへども、半は遁世の風情みな変りたり。これ、遁世のあるべきやうを知らざるか、知りながら学びがたきか、思ひ出でなき身にこそ。
それ、一切衆生、みな霊知覚了の性を具せり。この性、すなはち仏性なり。この仏性を忘るるを生死の凡夫といふ。本覚の真心(しんしん)にそむきて、幻化(げんけ)の塵境(ぢんきやう)に着するを無明妄想(むみやうまうざう)といふ。しかれば、法身の大我を忘れぬこそ、まことの道人のあるべきやうにて侍るべけれ。
圭峰禅師3)いはく、「以空寂為自身。勿認色身。以霊知為自心。勿認妄念。作有義事是惶悟心。作無義事是狂乱心。狂乱由情念。臨終被業牽。惶悟不随情。臨終能転業」と言へり。文の意は、「妄心分別はこれ狂乱なり。真心を忘る一念不生はこれ惶悟なり。本心をあらはす情念の所作は、みな無義なり。無常の果を受く無念の修行は、これ有義なり。常住の理にかなふ。このゆゑに、臨終に妄業に引かれずして、自在の妙楽を得んと思はば、行住坐臥に妄念を許さずして、本心を明らむべし。
徳山4)いはく、「無心於事。無事於心。虚而霊。空而妙。毫釐繋念。三途業因。弊爾情生萬却羇鏁云々」。これ行人の用心、修観の亀鏡なり。無心無事なるは、真身の現はるる姿、繋念情生するは、本心を忘るる時なり。このゆゑに、孔子の物語5)、あまねく天下の人を教へて、仏法に入る方便なり。
大唐の祖師の教誡、本朝の上人の物語、忘るることなくして、道人のあるべきやうをわきまへば、人身を受けたる思ひ出でなるべし。古徳の言、先達の誡め、識に薫じ6)、神に染め、骨に刻み、紳にかくべし、このゆゑに古人いはく、「神丹九転、点鉄成金。至理一言、転凡成聖。」と言へり。先賢の言葉、愚かに思はんや。
故東福寺の長老、聖一和尚7)の法門談義の座の末に、そのかみのぞみて、時々聴聞すること侍りしに、顕密禅教の大綱、まことにめでたく聞こえ侍りき。その旨(むね)を得ずといへども、意の及ぶ所の義門、心肝に染みて尊(たと)く思え侍りき。うらむらくは、晩歳にあひて、久しく座下にあらざることを。しかれども、仏法の大意、よくよく慈訓をかぶり侍りき。
関東下向の時、海道の一宿の雑事営みて侍りしに、世の常の人の風情には、「いみじくなん」と色代することにこそ侍るに、「何しにかかること営み給へる。あるべからぬことなり。『初心の菩薩は、ことに渉(わた)りて紛動(ふんどう)すれば、道の芽を破敗(ははい)す』とこそ申せ」とて、別の語なし。この語、心肝に染み、耳の底にとどまれり。これは玄義の中に侍るにや。「観行初心の行者は、観心を専らして、事(じ)の六度なほ行ぜず。まして、世間のこと、心にかけず、身に営まず。万事を休息し、用観を専らとすべし。もし事にわたれば、観心の芽破る」と言へることを示し給ひき。
およそ、機法のあはひ、分明に教導ありき。法の体は無迷無悟、無感無智、諸教の廃詮(はいせん)の不生不滅、至理の言語道断、これ皆法の体をとく。この所を達して、事理無礙ならば、万法を使ひ得て、別の修行あるべからず。しかるに、頓悟頓修の人はまれなり。龍女が菩提心をおこして、やかて成仏し、無垢の成道を唱へしがごときこれなり。頓悟漸修の機のみ多し。
ゆゑに、経8)にいはく、「理はすなはち頓に悟る。乗悟に併しながら消す。事は頓に除くにあらず。次第に因つて尽すと云々」。しかれば、法は頓に悟るといへども機情は尽きがたし。風は止むといへども波はなほ立ち、日は出づといへども霜はやうやく消ゆ。境縁に引かれて、万法を転ずる力なき時は、持律座禅等の調伏の行を修むる。これを機といふ。法体にあづからず。ただ機情の上の着相(ぢやくさう)をやうやく除くなり。
この分別なき人は、仏知見の照らす所の法の体を、機情をもて計度(けたく)分別して、「不生なり」と思ひて、無礙の見をおこし、空無の解をなして、無善・無悪・無凡・無聖と、道理ばかりを心得て、妄業をはほしいままに作り、行もなし、修もなしとて、善行をばもの憂くしてなさず。すでに情量の中に取捨し、分別の上に悪愛す。
いかでか、平等の一心を悟り、無相の妙体に合はん。機法の分別これなり。仏法にあやまりなき解行(げぎやう)をわきまへんこと、真の善知識の力なるべし。よくよく用意して、大乗の修行励むべきこと、この生にあり。
かの和尚の慈訓、心の底にくたさじと思ふゆゑに、書き付け給ふ所、教門に府合して、誤ちなき法門なるべし。
翻刻
栂尾上人物語事 明慧上人ニ結縁ノタメ高野ノ遁世上人アマタアユミツレテ 栂尾ヘ参シテシカシカト申入ル折節風気アリテ見参セヌ由返 事シ給テヤカテ使者ニツツキテ上人オハセケリ人々サハキテ入 奉ル上人申サレケルハ此明慧房カ過職ニナリテ候カニクサニ 具シテ参テ侍也各々ハルハルト高野ヨリ老法師御覧セントテヲ ハシマセリヤカテ見参ニ入ルヘキニ風気ナント申セハ世間ノ人 人シキ風情也大事ナラハ臥ナカラモ見参シテ仏法ノ物語モ申 ヘシナヲサリナラハトカクノ子細アルマシキニ身ノアルヘキ様ヲワ スレテ侍リケリ一代ノ聖教ヲ年久ク見侍ルニヲシフル所仮名 ニカカハアルヘキヤウノ六文字ナリ在家ノアルヘキ様出家ノア/k3-110r
ルヘキ様遁世ノアルヘキ様如此ノ道々ニヘ法々ニヲヒテアルヘ キ様ヲシヘヲキ給ヘリシカルニ末代ハ有ヘキ様ミタレテ侍ナリ 国王大臣ハ外護ノ知識トシテ仏法ヲ守護シ信敬シテ釈尊ノ 付属ノ事ヲワスレ給フヘカラス是王臣ノ有ヘキヤウ也ソノ外ノ 在家王ノ御意ニソムクヘカラス諸寺諸山ノ出家ノ僧侶ハ宗 ハ替リ学ハ殊ナリ共釈子ノ風ナレハ先戒儀ニヨリテ剃髪染 衣ノ形トナラハ欲ヲステ愛ヲタチ五衆ノ位ヲワキマヘ二学ノ 行ヲ専ニスヘキニ頭ヲソレ共愛欲ヲソラス衣ヲ染テ心ヲソメス或 ハ妻子ヲ帯シ或ハ甲冑ヲヨロヒ只三毒五欲ヲホシヰママニシテ カツテ五戒十善猶持ツ事ナキ僧トモ次第ニ国ニミテリコレ 出家ノアルヘキ様ヲワキマヘス遁世門コソコトニ我慢執著ヲ ステ世情妄念ナクシテ世間ノ人ニカハリテ仏法ノヲシヘノアルヘ/k3-110l
キヤウニ身心ヲナスヘキニ人々シキヤウニ申テ候ツルマメヤカニ 仏ノヲシヘニソムキテコソトテ一代ノ教門ノ肝要出離解脱ノ 道ニ入ル人ノアルヘキヤウトテ仏法ノ大意ウチナキウチナキカタリ給 上人共スミソメノ袖シホルハカリナリサテ今日ノ夕方ヨリ通 夜カラ語リアカシ次日ヒメモスニカタリクラシ給ニ鐘ノナルヲコ レハナニノ鐘ソト問給ニ日没ト申ケレハコハイカナル物語申テ 候ケルトテ入給ヌ只片時ノ心地ナリケリ仏ノ説法ノ六十 小劫ヲ時ノ衆半日ト思ケンモ思シラレケリ誠ニ在世ニアヒ仏 ノ説法ヲ聴聞センモカクコソト思アヒテナクナク帰ケリトナン高 野ノ遁世者ノキキツタヘテ物語シ侍キ或遁世ノ長斉ノ上 人河内国ヘ請用シテユク七里ノ道ヲ冬ノ日時以前ニオハシマ セト請スイト道モアユマヌ馬ニノリテユクニクモリテ日影モ見ヘ/k3-111r
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九転点鉄成金至理一言転凡成聖トイヘリ先賢ノコトハヲ ロカニ思ハンヤ故東福寺ノ長老聖一和尚ノ法門談義ノ座 ノスヱニソノカミノソミテ時々聴聞スル事侍シニ顕密禅教ノ 大綱誠ニ目出ク聞ヘ侍キソノ旨ヲエストイヘトモ意ノ及所ノ 義門心肝ニ染テタトクオホヘ侍キ恨ラクハ晩歳ニアヒテ久ク 座下ニアラサル事ヲシカレトモ仏法ノ大意能々慈訓ヲカフリ 侍キ関東下向ノ時海道ノ一宿ノ雑事営テ侍シニヨノツネノ 人ノ風情ニハイミシクナント色代スル事ニコソ侍ニ何シニカカ ル事営給ヘルアルヘカラヌ事也初心ノ菩薩ハ事ニ渉テ紛動 スレハ道ノ芽ヲ破敗ストコソ申セトテ別ノ語ナシ此語心肝ニ ソミ耳ノ底ニトトマレリ此ハ玄義ノ中ニ侍ニヤ観行初心ノ行 者ハ観心ヲ専シテ事ノ六度猶行セスマシテ世間ノ事心ニカ/k3-113r
ケス身ニイトナマス万事ヲ休息シ用観ヲ専スヘシモシ事ニワタ レハ観心ノ芽破ルトイヘル事ヲ示シ給キ凡ソ機法ノアハヒ分 明ニ教導有キ法ノ体ハ無迷無悟無感無智諸教ノ廃詮ノ 不生不滅至理ノ言語道断コレ皆法ノ体ヲトク此所ヲ達シテ 事理無㝵ナラハ万法ヲツカヒ得テ別ノ修行アルヘカラス然ニ 頓悟頓修ノ人ハ希也龍女カ菩提心ヲオコシテヤカテ成仏 シ無垢ノ成道ヲ唱シカコトキコレ也頓悟漸修ノ機ノミオホシ 故ニ経ニ云理ハ則頓ニサトル乗悟ニ併消ス事ハ非ス頓ニ除 クニ因テ次第ニ尽スト云云シカレハ法ハ頓ニサトルトイヘトモ機 情ハツキカタシ風ハヤムト云ヘトモ波ハ猶タチ日ハイツト云トモ 霜ハヤウヤクキユ境縁ニヒカレテ万法ヲ転スル力ナキ時ハ持律 坐禅等ノ調伏ノ行ヲ修ル是ヲ機ト云法体ニアツカラス只機/k3-113l
情ノ上ノ著相ヲ漸クノソクナリ此分別ナキ人ハ仏知見ノ照 ス所ノ法ノ体ヲ機情ヲモテ計度分別シテ不生也ト思テ無礙 ノ見ヲオコシ空無ノ解ヲナシテ無善無悪無凡無聖ト道理 ハカリヲ心得テ妄業ヲハホシヰママニツクリ行モナシ修モナシト テ善行ヲハモノウクシテナサス已ニ情量ノ中ニ取捨シ分別ノ上 ニ悪愛スイカテカ平等ノ一心ヲサトリ無相ノ妙体ニ合ハン 機法ノ分別是也仏法ニアヤマリナキ解行ヲワキマヘン事真 ノ善知識ノ力ナルヘシ能々用意シテ大乗ノ修行ハケムヘキ事 此生ニ有リ彼和尚ノ慈訓心ノ底ニクタサシト思故ニ書ツケ 給フ所教門ニ府合シテアヤマチナキ法門ナルヘシ 沙石集巻第三下終 神護寺 迎接院/k3-114r