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下巻 五月 20 長谷菩薩戒
校訂本文
長谷菩薩戒(はつせのぼさつかい)
昔、辛酉(かのととり)の歳に、大水出でて大きなる木流れ出でたり。近江国高島郡の三尾(みを)が崎に寄れり。里の人、その端を切り取れり。すなはちその家焼けぬ。また、その家よりはじめて、村里(むらさと)に死ぬる者多かり。家々祟りを占はするに、「この木のなす所なりと」い言へり。これによりて、ありとしある人、近付寄らず。
この時に1)、大和国の葛城(かづらき)の下郡(しものこほり)に住む出雲の大みつといふ人、この里に来たれり。この木を聞きて、心の中(うち)に願(ぐわん)をおこす。「願はくは、この木をもちて十一面観音に造り奉らむ」と。しかれども、行くべきたよりなくして、空(むな)しくもとの里に帰りぬ。
この後、大みつがために、しばしば示すことあるによりて、糧(かて)をまうけ、人を伴ひて、また彼の木のもとに至りぬ。木大きに、人乏(とも)しくして、いたづらに見て帰りなむとす。試み2)に綱を付けて引き動かすに、軽(かろ)く引かれてよく行く。道に逢ふ人、みな怪しびて、車をとどめ、馬より降りて、力を加へてともに引く。つひに、大和国葛城の下郡、当麻(たいま)の里に至りぬ。物なくして久く置きて、大みつすでに死ぬ。
この木、いたづらになりて八十年を経ぬ。その里に病おこりて、からくこぞりて病み痛む。「この木のするなり」と言ひて、郡の司・里の長(をさ)ら、大みつが子、みや丸を召して勘(かんが)ふれども、みや丸一人して、この木をさけがたし。郡里(こほりさと)の人ともにして、戊辰(つちのえたつ)の歳に、磯城(しき)の上(かみ)の長谷河(はつせがは)の中に引き捨てつ。そこにして三十年を経ぬ。
ここに沙弥(しやみ)徳道(とくだう)といふ者あり。このことを聞きて思はく、「この木、必ず験(しるし)あらむ。十一面観音に造り奉らむ」と思ひて、養老四年に今の長谷寺(はつせでら)の峰に移しつ。徳道、力なくして、とく造りがたし。悲しび歎きて、七八年が間この木に向ひて、「礼拝威力(らいはいゐりき)、自然造仏(じねんざうぶつ)」と言ひて額(ぬか)をつく。
飯高(いひたか)の天皇3)、はからざるに恩を垂れ、房前(ふささき)の大臣(おとど)4)、みづから力を加ふ。
神亀四年に造り終へ奉れり。高さ二丈六尺なり。徳道が夢に、神ありて北の峰を指して云はく、「かしこの土の下に大なる巌(いはほ)あり。あらはして、この観音を立て奉れ」と言ふと見る。覚めて後に堀ればあり。広さ5)長さ等しく八尺なり。面(おもて)平らかなること、掌(たなごころ)6)のごとし。それに立て奉れり。徳道・道明(だうみやう)等が天平五年に記せる観音の縁起並び雑記等に見えたり。
その後、利益あまねく霊験唐土(もろこし)にさへ聞こえたり。寺のごとくして、年に菩薩戒を行なふ。伝戒(でんかい)・乞戒(こつかい)を請じ、善男善女を集めたり。あるいは、「ただ見聞かむ」と思ひて、来たり集まる者多かり。
菩薩戒は仏の位に入る初めの門なり。そのかみの布薩(ふさつ)7)、受戒8)らに見えたり。この戒は、南岳9)・天台10)、唐土(もろこし)に盛りに授けしめ、鑑真・伝教11)、ここにはじめて伝へ弘めたり。ただ壇に登りて僧の受くる12)のみならず、また所に随(したが)ひて俗も受くべし。
梵網経にのたまはく、「もし、国王の位を受けむとせん時、転輪王(てんりんわう)の位を受けむ時、百官(ひやくくわん)まで位を受けむ時には、まづ菩薩の戒を受くべし。諸(もろもろ)の仏、悦び給ふ」と言へり。
また云はく、「もし、仏の戒を受けむ者は、国王も、王子も、百官も、宰相も、比丘も、比丘尼も、大梵天(だいぼんてん)も、六欲天(ろくよくてん)も、諸の民も、黄門(くわうもん)も、婬男(いんなん)も、婬女(いんによ)も、奴婢(ぬひ)も、鬼神も、金剛神(こんがうしん)も、畜生も、変化人(へんぐゑにん)も、ただ法師の言はむを悟りて、ことごとく受け持(たも)つは、戒を得つるなり。みな第一清浄(だいいちしやうじやう)の者と名付く」とのたまへり。
これによりて、唐土(もろこし)にも、わが国にも、代々(よよ)の御門・后・家々の男女、心をおこし師を請(しやう)じて、これを受くる者多かり。かの黄門は罪人(つみびと)の形なり13)。婬女は色好みの名なり。鬼神は心猛き身なり。畜生は悟りなき道なり。これみな許されたり。いはんや、このほかの人をや。まさに今、悟り少なくして、心をおこすにあたはず、力細くして師を迎ふるに堪へぬ者、諸の男女(なんによ)のために、一人の師をすゑて授けしめて、あまたの人を勧めて、受けしむるなり。
悦ぶ心たとひ浅くとも、戯(たわぶ)れのことたとひ多かりとも、聞く力、空しからじ。軽(かろ)み思ふべからず。無明の長き夜には戒光(かいくわう)を炬(ともしび)とす。生死(しやうじ)の遥かなる道には、木叉(もくしや)14)を杖とするものなり。
翻刻
五月 長谷菩薩戒 昔辛酉歳ニ大水イテテ大ナル木流出タリ近江国高嶋郡 ノミヲカ崎ニヨレリサトノ人ソノハシヲ切トレリスナハチソノ家 ヤケヌ又ソノ家ヨリハシメテ村里ニシヌル者ヲホカリ家々祟(タタリ)ヲ ウラナハスルニコノ木ノナス所ナリトイヘリコレニヨリテアリトシアル 人近付ヨラス此時ハ(ニ)大和国ノ葛城ノ下郡ニスムイツモノ大 ミツトイフ人此里ニ来レリ此木ヲキキテ心ノ中ニ願ヲオコス/n3-50l・e3-48l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/50
願ハ此木ヲモチテ十一面観音ニツクリタテマツラムトシカレトモ ユクヘキタヨリナクシテ空クモトノ里ニ帰ヌコノノチ大ミツカタメニ シハシハシメスコトアルニヨリテ糧ヲマウケ人ヲ伴ヒテ又彼木ノ モトニイタリヌ木オホキニ人トモシクシテイタツラニ見テカヘリ ナムトス心ミニ綱ヲツケテ引動スニカロクヒカレテヨクユク道ニ アフ人ミナアヤシヒテ車ヲトトメ馬ヨリヲリテ力ヲクハヘテ共 ニヒクツヒニ大和国葛城ノ下郡当麻ノ里ニ至リヌ物ナクシ テ久クヲキテ大ミツ已ニ死ヌ此木イタツラニナリテ八十年ヲ/n3-51r・e3-49r
ヘヌソノ里ニ病オコリテカラクコソリテヤミイタム此木ノスルナ リトイヒテ郡ノツカサ里ノヲサラ大ミツカ子ミヤ丸ヲメシテ勘 レトモミヤ丸ヒトリシテコノ木ヲサケカタシ郡里ノ人トモニシテ 戊(ツチノエ)辰歳ニシキノ上(カミ)ノ長谷河ノ中ニ引ステツソコニシテ三十 年ヲヘヌココニ沙弥徳道トイフ者アリ此事ヲキキテ思ハク 此木カナラスシルシアラム十一面観音ニツクリタテマツラムト思テ 養老四年ニ今ノ長谷寺ノミネニウツシツ徳道力無シテトク ツクリカタシカナシヒナケキテ七八年カ間此木ニ向テ礼拝威力/n3-51l・e3-49l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/51
自然造仏トイヒテ額(ヌカ)ヲツク飯高ノ天皇ハカラサルニ恩ヲタレ 房前ノ大臣自ラ力ヲクハフ神亀四年ニツクリ終ヘタテマツレリ タカサ二丈六尺ナリ徳道カユメニ神アリテ北ノミネヲサシテイハク カシコノ土ノシタニ大ナルイハホアリアラハシテ此観音ヲ立タテマツ レトイフトミルサメテ後ニ堀レハ有リ弘サ長サヒトシク八尺ナリ 面平カナル事タナ心ノコトシソレニ立タテマツレリ徳道道明等カ 天平五年ニシルセル観音ノ縁起并ニ雑記等ニ見ヘタリ ソ乃ノチ利益アマネク霊験モロコシニサヘキコヘタリ寺ノ如ク/n3-52r・e3-50r
シテ年ニ菩薩戒ヲオコナフ伝戒乞戒ヲ請シ善男善女ヲアツメタ リ或ハタタ見キカムト思テキタリアツマル者オホカリ菩薩戒ハ仏ノ 位ニ入ハシメノ門也ソノカミノ布薩受戒ラニ見エタリ此戒ハ 南岳天台モロコシニサカリニサツケシメ鍳真伝教ココニハシメテ 伝ヘ弘メタリタタ壇ニノホリテ僧ノカ(ウ)クルノミナラス又所ニ随テ 俗モ受ヘシ梵網経に乃玉ハクモシ国王ノ位ヲウケムトせん時 転輪王ノ位ヲウケム時百官マテ位ヲウケム時ニハマツ菩薩ノ戒ヲ ウクヘシ諸ノ仏悦給トイヘリ又云モシ仏ノ戒ヲウケム者ハ国/n3-52l・e3-50l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/52
王モ王子モ百官モ宰相モ比丘モ比丘尼モ大梵天モ六欲 天モ諸ノ民モ黄門モ婬男モ婬女モ奴婢モ鬼神モ金剛 神モ畜生モ変化人モタタ法師ノイハムヲサトリテコトコトク受 タモツハ戒ヲエツル也ミナ第一清浄ノ者トナツクトノ給ヘリコレニヨ リテモロコシニモ我国ニモヨヨノ御門后家々ノ男女心ヲオコシ 師ヲ請シテコレヲウクルモノオホカリカノ黄門ハツミ人ノ形也 婬女ハ色好ノ名也鬼神ハ心タケキ身ナリ畜生ハサトリナ キミチナリコレミナユルサレタリ況ヤ此外ノ人ヲヤマサニ今/n3-53r・e3-51r
サトリスクナクシテ心ヲヲコスニアタハス力ホソクシテ師ヲ迎 ルニタエヌ者諸ノ男女ノタメニヒトリノ師ヲスヘテサツケシ メテアマタノ人ヲススメテ受シムル也ヨロコフ心タトヒ浅トモ タハフレノコトタトヒオホカリトモ聞ク力空カラシカロミ思ヘカ ラス無明ノ長キ夜ニハ戒光ヲ炬トス生死ノハルカナルミチ ニハ木叉ヲツエトスルモノナリ/n3-53l・e3-51l