目次
下巻 五月 21 施米
校訂本文
施米(せまい)
施米(せまい)は古(いにしへ)よりこの月に公(おほやけ)の行はしめ給ふことなり。陸奥国(みちのくに)1)に召せる三百石の米をもちて、四方(よも)の山にある所の、安居(あんご)のころほひの僧を訪(とぶら)ひ給ふなり。文殿(ふみどの)の人、使となりて、定まりて分かち行ふ。私の人も心をおこして、また送り施す。
おほよそ山寺は室(むろ)常に空し。春の蕨(わらび)はすでに老いにしかば、峰の雲にも取りがたし。秋の菓(このみ)はいまだ結ばねば、林の風にも拾ひがたし。いはんやまた、日長くして経を読むに、力疲れ、雨しきりにして、里に乞ふこと跡絶えたるに、川を渡りて送れる心ざし、思へばすでに深し。山を尋ねて施せる恩、仰げはいよいよ高し。眼にみな喜びの涙を落し、顔にはすなはち飢ゑの色を失ふ。
阿含経(あごんきやう)に、仏2)の時にかなへる施(ほどこし)を説き給へるに、「斎(とき)調(ととの)へらむには、僧を請じても供養せよ。後の世に必ず、わが身は行き求めぬに、物おのづから来たり集まる報ひを得(う)」とのたまへり。
長雨(ながあめ)のころほひに送りやることは、この心3)なるべし。
また経に云はく、「諸仏みな喜び給ふ」といへり。いはんや、心をかけ静かに観ずる人は、功徳いよいよすぐれたり。
また宝積経(ほうしやくきやう)にのたまはく。「末の世には、多く物を貯へ人の施(ほどこし)を受けむ僧をば、人多く敬ひ讃めじ。もし、世を厭(いと)ひ離れて、静かによく勤め行ひて、急ぐこと少なくなからむ僧をば、人その所に行きて拝み敬う者あらじ。世にある人は、ただこの世のことをのみして、後の世のことをば知らねばなり。昔の世に契りある人の、僧を親しく敬ひ尊び讃むべし」とのたまへり。
あまねく天(あめ)の下の功徳4)の家を勧む。親しきもなく、疎(うと)きもなく、静かなる僧を訪(とぶら)へ。
翻刻
施米 施米ハ古ヨリ此月ニオホヤケノ行ハシメ(令)玉フ事也陸奥国ニ/n3-53l・e3-51l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/53
召セル三百石ノ米ヲモチテヨモノ山ニアル所ノ安居ノ比ホヒ ノ僧ヲ訪給ナリ文トノノ人使トナリテ定リテ分チ行フ 私ノ人モ心ヲオコシテ又オクリホトコスオホヨソ山寺ハ室ツ ネニムナシ春ノワラヒハステニオヒニシカハ峯ノ雲ニモトリ カタシ秋ノ菓ハイマタムスハネハ林ノ風ニモヒロイカタシ況ヤ 又日ナカクシテ経ヲヨムニ力疲レ雨シキリニシテ里ニ乞事 アトタヘタルニ河ヲワタリテヲクレル心サシ思ヘハ已ニ深シ山ヲ尋 テ施セル恩仰ケハ弥ヨ高シ眼ニミナ喜ノ涙ヲオトシ顔/n3-54r・e3-52r
ニハ即チ飢ノ色ヲ失フ阿含経ニ仏ノ時ニカナヘル施ヲ説給ヘ ルニトキトトノヘラムニハ僧ヲ請シテモ供養セヨ乃チノヨニカナラス 我身ハユキ求ヌニモノヲノツカラ来リ集ルムクヒヲ得トノ給ヘリ 長雨ノコロヲヒニ送ヤル事ハコノコロナルヘシ又経ニ云諸仏皆 喜玉フトイヘリ況ヤ心ヲカケシツカニ観スル人ハ功徳イヨイヨスクレ タリ又宝積経ニ乃給ハクスヱノヨニハ多ク物ヲタクハヘ人ノ施 ヲウケム僧ヲハ人オホク敬ヒホメシ若世ヲイトヒハナレテシツカニ ヨクツトメオコナヒテイソクコトスクナクナカラム僧ヲハ人其所ニ/n3-54l・e3-52l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/54
ユキテヲカミ敬ウモノアラシ世ニアル人ハタタコノ世ノコトヲノミ シテ後ノヨノ事ヲハシラネハナリ昔ノ世ニチキリアル人ノ僧ヲ シタシク敬ヒ尊ヒホムヘシトノ給ヘリアマネクアメノシタノ事 クノイヘヲススムシタシキモナクウトキモナクシツカナル僧ヲ トフラヘ/n3-55r・e3-53r