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text:sanboe:ka_sanboe3-05

三宝絵詞

下巻 正月 5 布薩

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布薩(ふさつ)

鑑真和尚楊州江陽県人也。俗姓淳于氏。就智満禅師遂出家、遇弘景律師。最三蔵度人、受戒遇四万有餘。天平勝宝六年来朝。天皇詔曰「大徳和上遠渉滄波来投此国。誠契朕意。授戒伝律一任和上」。遂立唐招提寺、長伝四分律蔵。宝字七年五月六日、結跏趺坐而西化。春秋七十七矣。天平勝宝は孝謙天皇。

(鑑真和尚は楊州江陽県の人なり。俗姓は淳于氏。智満禅師に就きて出家を遂げ、弘景律師に遇ふ。三蔵を最(あつ)め人を度し、戒を受くること四万有余に遇ふ。天平勝宝六年来朝す。天皇詔して曰はく、「大徳和上遠く滄波を渉りてこの国に来投す。誠に朕の意に契(あ)ふ。授戒伝律は和上に一任す」。遂に唐招提寺を立て、長く四分律蔵を伝ふ。宝字七年五月六日、結跏趺坐して西化す。春秋七十七なり。天平勝宝は孝謙天皇。)1)

月ごとの十五日三十日に、寺々に布薩(ふさつ)を行なふ。鑑真和尚(がんじんわじやう)の伝へ給へるなり。和上(わじやう)は唐土(もろこし)の楊州の竜興寺の大徳(だいとく)なり。広く経論を渡して、ことに戒律に詳し。

この国より唐土に渡る僧、栄叡(えいえい)・行業(かうげう)ら、ねむごろに和上に申さく、「仏法東に流れて、わが国にとどまれるを、法文ありながら、伝へ教ふる人なし。願はくは、和上、渡り給へ」と言ふ。

勝宝四年に、わが国の使(つかひ)の渡りて、帰るたよりに、弟子二十四人と副使(そひつかひ)大伴の宿禰古麿2)が舟に乗りて来たれり。天(あめ)の御門、尊び給ひて、東大寺にすゑて供養し給ふ。経の文を正さしむれば、口に誦(ず)して多く直す。薬の名を問へば、鼻にかぎてみな弁(わきま)ふ。御門に戒事(いむこと)を授け奉り、后(きさき)に薬を奉る。

始めに大僧都(だいそうづ)の位におさめ給へる。綱所(かうしよ)の来たることを厭(いと)ひしかば、あらためて大和尚(だいわじやう)の名を授けて、戒院を静かにして住ましめたり。今の招提寺3)これなり。

和尚、初めて奏して、布薩を東大寺に行ふ。この後、所々に弘(ひろ)まれり。大衆(だいしゆ)みな堂に集まりて、戒師一人、経を誦す。

梵網経(ぼんまうきやう)にのたまはく、「新学の菩薩は半月半月に布薩せよ。十重(じふぢう)・四十八軽戒(しじふはちきやうかい)を誦(ず)せよ。百千人の布薩すとも一人誦せよ。誦せむ人は高くゐて、聞かむものは下(くだ)りて居よ。これ三世(さんぜ)の諸仏の誦し給ふ所なり。我もまた誦す。なむたちの心をおこせる菩薩もまた誦せよ。一切の大衆(だいしゆ)・国王・王子・比丘(びく)・比丘尼(びくに)・信男(しんなん)・信女(しんによ)も、菩薩の戒事(いむこと)を誦し持(たも)ちなば、悪道に落ちず」とのたまへり。

その作法の間をば、僧にあらぬ人には見聞かしめず。仏のをおしましし時に、一人の童(わらは)ありて、隠れたる所にして、僧の布薩を聞きき。仏、よそにして知ろし召して、金剛密迹(こんがうみつしやく)4)をつかはして追はしめ給ふに、童の頭(かしら)を打ちて殺しつ。これはまことの童にはあらざりけり。これ戒律の重き道、仏法の古き跡なり。

六月の晦日(つごもり)のほどは、男女(をとこをむな)寺に来たりて籌(ちう)を受く。功徳のためなり。

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 布薩 (鍳真和尚楊州江陽県人也俗姓淳于氏就智満禅師遂出家遇弘景/律師最三蔵度人受戒遇四万有餘天平勝宝六年来朝天皇詔曰大徳/和上遠渉滄波来投此国誠契朕意授戒伝律一任和上遂立唐招提寺長伝四分律蔵宝字七年/五月六日結跏趺坐而西化春秋七十七矣/天平勝宝ハ孝謙天皇
月コトノ十五日卅日ニ寺々ニ布薩ヲオコナフ鍳真和尚ノ伝ヘ
給ヘル也和上ハモロコシノ楊州ノ龍興寺ノ大徳也ヒロク経論ヲ
ワタシテコトニ戒律ニクハシコノ国ヨリモロコシニワタル僧栄叡
行業等ネムコロニ和上ニ申サク仏法東ニナカレテ我国ニトト/n3-20r・e3-18r
マレルヲ法文アリナカラ伝ヘヲシフル人ナシ願ハ和上ワタリ給ヘトイフ
勝宝四年ニ我国ノツカヒノワタリテカヘルタヨリニ弟子廿四人トソヒ
使大伴ノ宿禰古麿カ舟ニノリテ来レリアメノ御門タウトヒ給テ
東大寺ニスヱテ供養シ給経ノ文ヲタタサシムレハ口ニ誦シテ多ク
ナヲスクスリノ名ヲトヘハハナニカキテ皆弁フ御門ニイム事ヲサツケ
タテマツリ后ニ薬ヲタテマツルハシメニ大僧都ノ位ニヲサメタマヘル綱所
ノキタルコトヲイトヒシカハアラタメテ大和尚ノ名ヲサツケテ戒院ヲ
シツカニシテスマシメタリイマノ招提寺コレナリ和尚ハシメテ奏シテ/n3-20l・e3-18l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/20

布薩ヲ東大寺ニ行フコノノチ所々ニ弘マレリ大衆ミナ堂ニアツ
マリテ戒師一人経ヲ誦ス梵網経ニ乃給ハク新学ノ菩薩ハ半
月々々ニ布薩セヨ十重卌八軽戒ヲ誦セヨ百千人ノ布薩ス
トモ一人誦セヨ誦セム人ハ高クヰテキカムモノハ下(クタ)リテ居ヨ
コレ三世ノ諸仏ノ誦シ給フ所ナリ我モ又誦スナムタチノ心ヲオ
コセル菩薩モ又誦セヨ一切ノ大衆国王々子比丘々々尼信
男信女モ菩薩ノイムコトヲ誦シタモチナハ悪道ニヲチストノ給
ヘリソノ作法ノ間ヲハ僧ニアラヌ人ニハミキカシメス仏ノヲハシ/n3-21r・e3-19r
マシシ時ニヒトリノ童アリテカクレタル所ニシテ僧ノ布薩ヲキキ
キ仏ヨソニシテシロシメシテ金剛密迹ヲツカハシテヲハシメタマフニ
童ノ頭ヲウチテコロシツコレハマコトノ童ニハアラサリケリコレ
戒律ノヲモキ道仏法ノフルキアトナリ六月ノツコモリノ程ハ
オトコ女寺ニ来テ籌(チウ)ヲウク功徳ノタメナリ/n3-21l・e3-19l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/21

1)
以上は鑑真についての後人の注。
2)
大伴古麻呂
3)
唐招提寺
4)
金剛力士
text/sanboe/ka_sanboe3-05.txt · 最終更新: 2024/11/10 13:03 by Satoshi Nakagawa