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下巻 第33 三人よき仲の事
校訂本文
ある人、三人の知音(ちいん)を持ちけり。一人をば、わが身よりも大切に思ふ人なり。今一人は、われと等しく思ふなり。今一人は、その次なり。この三人と常にともなふこと年久し。
ある時、その身に難儀出で来たる時、この知音のもとに行きて、助成をかうむらんとす。まづ、「われ難儀を助け給へ」と申しければ、「せんかたなし」とて、いささかも助けず。われと等しく思ふ人のもとに行きて、「わが難儀を助け給へ」と云へば、「わが身もまぎらはしきことあれば、えこそ助け奉るまじけれ。糺1)し手2)の門外までは御供をこそ申すべけれ」とばかりなり。
また、その次に思ひける3)知音のもとに行きて申しけるは、「われ常に申し通(つ)せずして、今さらわが身にかなしきことのありとて申すことはいかばかりなれども、われ今大事の難儀あり。助け給へかし」と申しければ、かの知音申しけるは、「仰せのごとく、常に親しくはし給はねども、さすが知り侍りたる人なれば、糺し手4)の御前にて、方人(かたうど)5)とこそなり侍らめ」と云ひて出でぬ。
そのごとく、「わが身の難儀」とは臨終のことなり。「わが身より大切に思ひ過ごしたる友」とは財宝のことなり。「わが身と等しく思ふ友」とは妻子眷属(けんぞく)のことなり。「その次に思ふ友」とは、わがなす良きやうなり。しからば、命終はらん時、わが財宝に助けんと云はば、いかでかは助くべき。かへつて仇(あだ)とこそ見えられたれ。妻子眷属を頼めばとて、いかでかは助かるべき。かへつてこれをもつて臨終の障りとぞ見えける。この知音、「糺し手の門外まで」と云ひしは、墓所(はかどころ)まで送ることなり。いささかの良きやうの友とこそ、まことに糺し手の御前にて、方人とならんこと明らかなり。
その時に臨んでは、「われ存生(ぞんじやう)にありし時、一人の方人をもし置かましものを」と悔やむべきこと疑ひなし。
翻刻
卅三 三人よき中の事 ある人三人の知音をもちけり一人をは我身よりも 大切に思ふひとなり今一人は我とひとしく思ふ也 いま一人はその次なり此三人とつねにともなふ事 年久しある時その身に難儀出来る時此ちゐんの もとに行て助成をかうむらんとすまつ我難儀を たすけ給へと申けれはせんかたなしとていささかも/3-115r
たすけす我とひとしく思ふ人のもとに行てわか 難儀をたすけ給へといへはわか身もまきらはしき 事あれはえこそたすけ奉るましけれ紀しての門外 まては御ともをこそ申へけれと斗也又其次に思ひ けるは知音のもとに行て申けるはわれつねに 申つせすして今更わか身にかなしき事の ありとて申事はいかはかりなれともわれ今大 事のなんきありたすけ給へかしと申けれはかの ちゐん申けるは仰のことくつねにしたしくはし 給はね共さすかしり侍りたる人なれは只しての御前 にてかたふととこそなり侍らめといひて出ぬその/3-115l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/115
ことくわかみのなんきとはりんしうの事なり我 身より大切におもひすこしたるともとはさいほう の事なり我身とひとしくおもふともとは妻子 けんそくの事なりそのつきに思ふともとはわか なすよきやうなり然らは命おはらんときわかさい 宝にたすけんといははいかてかはたすくへきかへ つてあたとこそみえられたれ妻子けんそくをたの めはとていかてかはたすかるへきかへつてこれを もつて臨終のさはりとそみえける此ちゐんたたし ての門外まてといひしははか所まておくる事 なりいささかのよきやうのともとこそまことに/3-116r
たたしての御まへにてかたふととならん事あき らかなりその時にのそんてはわれ存生にありし ときひとりのかたふとを若おかまし物をとくやむ へき事うたかひなし/3-116l