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text:isoho:ko_isoho3-30

伊曾保物語

下巻 第30 人の心の定まらぬ事

校訂本文

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ある翁(おきな)、「市に出でて馬を売らん」と思ひ、親子連れてぞ出でたりける。馬を先に立てて、親子あとに苦しげに歩むほどに、道行く人これを見て、「あなをかしの翁のしわざや。馬を持ちては乗らんがためなり。馬を先に立てて、主はあとに歩むことは、『餓鬼の目に水の見えぬ』と云ふもこのことにや」と云ひて通りければ、翁、「げにも」とや思ひけん。「若き者なれば、くたびれやする」とて、わが子を乗せて、われはあとにぞ付きにける。

また人これを見て、「これなる人を見れば、盛んなる者は馬に乗りて、翁は徒歩(かち)より行く」とて笑ひければ、また子を下して、翁乗りぬ。

また申しけるは、「これなる人を見れば、親子と見えけるが、あとなる子は、もつてのほかくたびれたるありさまなり。かかるたくましき馬に乗りながら、親子一つに乗りもせで、くたびれけるはをかしさよ」と云ひければ、「げにも」とて、わが子を尻馬(しりむま)に乗せけり。

かくて行くほどに、馬やうやくくたびれければ、また人の申しけるは、「これなる馬を見れば、二人乗りけるによて、ことのほかくたびれたり。乗りて行かんよりは、四つ足を一つに結ひ集め、二人して荷なふてこそよかんめれ」と云ひければ、「げにも」とて、親子して荷なふ。

また人の申しけるは、「重き馬を荷なはんよりは、皮を剥いで軽々と持つて売れかし」と云へば、「げにも」とて、皮を剥がせて、肩にかけて行くほどに、道すがら蝿(はひ)ども取り付いて、目口も開かず。市の人々、これを笑ひければ、翁、腹立ちて、皮を捨ててぞ帰りける。

そのごとく、一度(いちど)かなたこなたと移るものは、翁がしわざに異ならず。「心軽(かろ)き者は、常に静かなることなし」と見えたり。かろがろしく人のことを信じて、みだりに移ることなかれ。

ただし、良き道には、いくたびも移りて誤りなし。ことごとに良ければとて、胡乱(うろん)に見ゆることなかれ。たしかに謹しめ。

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翻刻

  三十   人の心のさたまらぬ事
ある翁市に出て馬をうらんと思ひ親子つれてそ
出たりける馬をさきにたてておや子跡にくるし
けにあゆむほとに道行人これを見てあなおかし
のおきなのしわさや馬をもちてはのらんかため也
馬をさきにたてて主はあとにあゆむ事はかきの
目に水のみえぬといふも此事にやといひてとをり/3-110l

https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/110

けれは翁けにもとや思ひけんわかき者なれはくた
ひれやするとてわか子をのせて我はあとにそつき
にける又人これをみて是なる人をみれはさかん成
物はむまにのりて翁はかちよりゆくとて笑けれは
又子ををろしておきなのりぬ又申けるはこれなる
人をみれはおや子とみえけるかあとなるこはもつ
ての外くたひれたるありさまなりかかるたくまし
きむまにのりなからおやこひとつにのりもせて
くたひれけるはおかしさよといひけれはけにもと
てわかこをしりむまにのせけりかくて行ほとに
むまやうやくくたひれけれはまた人の申けるは/3-111r
是なる馬を見れはふたりのりけるによてことの外
くたひれたりのりてゆかんよりは四つあしをひと
つにゆひあつめ二人してになふてこそよかんめれ
といひけれはけにもとて親子してになふ又人の申
けるはおもきむまをになはんよりはかはをはゐて
かるかるともつてうれかしといへはけにもとてか
はをはかせてかたにかけて行程に道すからはひ
共とりつゐて目口もあかす市の人々是をわらひ
けれは翁腹立てかはをすててそかへりける其ことく
一とかなたこなたとうつるものは翁かしわさに
ことならす心かろきものはつねにしつかなる事/3-111l

https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/111

なしとみえたりかろかろしく人のことを信して
みたりにうつる事なかれ但よき道にはいくたひ
もうつりてあやまりなしことことによけれはとて
うろんにみゆる事なかれたしかにつつしめ/3-112r

https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/112

text/isoho/ko_isoho3-30.txt · 最終更新: by Satoshi Nakagawa