text:isoho:ko_isoho3-16
下巻 第16 鼠と猫の事
校訂本文
ある猫、家の傍らにかがみゐて、日々に鼠を捕りけり。鼠、さし集(つど)ひて申しけるは、「何とやらん、このほどは、わが親類一族も行方(ゆくかた)知らずなり侍るぞ。たれかその行方(ゆくへ)を知り給ふ」と云ふ。ここに年たけたる鼠、進み出でて申しけるは、「こと高し。しづまれとよ。それはこのほど例の猫といふいたづらもの、このうちに来たりて、餌食(ゑじき)になし侍るぞや。かまひて油断すな」などと申しければ、おのおの僉議評定(せんぎひやうぢやう)して、「しかるにおいては、今日よりして、おのおの天井にばかり住むべし」と云ふ法度(はつと)を定めり。
猫、このよしを聞きて、いかんともせんかたなさに、「たばからばや」と思ひて、死したる体(てい)をあらはして、四つ足を踏みのべ、久しくはたらかずしてゐけるところを、鼠、ひそかにこのことを見て、上より猫に申しけるは、「いかに猫、そら黙りなしそ。なんぢが皮を剥がれ、文匣(ぶんかふ)の蓋(ふた)になるとも、下に下がるまじきぞ」と云ひければ、猫、是非に及ばず起き上がりぬ。
そのごとく、「一度(いちど)人を懲(こ)らす人はいつも悪人ぞ」と、人これを踈(うと)んず。ただ人は、愚かにして他人にぬかれたるにしくはなし。かまへてかかる末の世に、人をぬかんと思ふことなかれ。
万治二年版本挿絵
翻刻
十六 鼠と猫の事 あるねこ家のかたはらにかかみゐて日々に鼠を とりけりねすみさしつといて申けるは何とやらん この程は我親類一そくも行かたしらすなり侍る/3-95l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/95
そたれかその行ゑをしり給ふといふここに年 たけたるねすみすすみ出て申けるはことたかし しつまれとよそれはこの程れいのねこといふいた つらもの此うちに来てえしきになし侍るそやか まひてゆたんすななとと申けれはをのをのせん き評定してしかるにおゐては今日よりして各てん しやうに斗すむへしといふはつとをさためりねこ このよしをききていかんともせんかたなさにたは からはやとおもひてししたる体をあらはして四つ 足をふみのへひさしくはたらかすして居ける所を ねすみひそかに此事をみて上よりねこに申けるは/3-96r
いかに猫そらたまりなしそなんちかかはをはかれ ふんかうのふたになるとも下にさかるましきそと いひけれはねこ是非におよはすおきあかりぬその ことく一と人をこらす人はいつも悪人そと人これ をうとんすたた人はをろかにして他人にぬかれ たるにしくはなしかまへてかかるすゑの世に人 をぬかんとおもふ事なかれ/3-96l
text/isoho/ko_isoho3-16.txt · 最終更新: by Satoshi Nakagawa