text:isoho:ko_isoho3-15
下巻 第15 ある人、仏を祈る事
校訂本文
ある人、一つの仏像を安置して、常に名利(みやうり)・福祐(ふくいう)を祈る。日にそひて貧しく賤しくなれども、さらにその利生(りしやう)あることなし。
これによて、かの人、怒(いか)つて仏像を取(と)て打ち砕くところに、その仏の御髪(みぐし)の中に、金数百両ありけり。その時、その人、仏を祈つて云はく、「さても、この仏、愚かなる仏かな。われ常に香花(かうげ)・灯明(とうみやう)を供へ恭敬礼拝(くぎやうらいはい)する時はこの金を与へずして、その身を亡ぼす時、福を定めけるよ」と笑ひ喜びけり。
そのごとく、悪に極まりたる者、その自然(じねん)を待ち善に立ち返ることなし。おさへて仏を割るがごとく、悪を善(ぜん)にひるがへすやうにすべし。
翻刻
十五 ある人仏をいのる事 ある人一つのふつさうをあんちしてつねに名利 ふくゆうをいのる日にそひてまつしくいやしく なれともさらにその利生ある事なしこれによて かの人いかつてふつさうをとてうちくたく所に そのほとけのみくしの中に金数百両有けりその時/3-95r
その人仏をいのつて云さても此ほとけをろかなる ほとけかなわれつねに香花とうみやうをそなへ くきやうらいはいするときは此金をあたへすして 其身をほろほす時ふくをさためけるよと笑ひよろ こひけりそのことく悪にきはまりたるものそのし ねんをまち善に立かへる事なしおさへてほとけを わるかことく悪をせんにひるかへす様にすへし/3-95l
text/isoho/ko_isoho3-15.txt · 最終更新: by Satoshi Nakagawa