中巻 第35 庭鳥と狐の事
校訂本文
ある時、狐、餌食に求めかね、ここかしこをさまよふところに、庭鳥(にはとり)行き合ひたり。「えたりや、かしこし」と、これを捕りて食らはんとす。庭鳥、このことを悟りて、ある木の枝に飛び上がりぬ。
狐、手を失なふて、せんかたなさに、「しよせん、庭鳥をたぶらかしてこそ食はめ」と思ひて、かの木のもとに立ち寄つて、「いかに庭鳥、聞こし召せ。このごろよろづの鳥獣(とりけだもの)の仲直りすることありけり。御辺(ごへん)は知らせ給はぬか。久しく申し承らぬによて、わざとこそこれまて参りて候へ」と、いとむつましげに語りければ、庭鳥、狐の武略(ぶりやく)を悟つて、「まことにかかる折節に生まれあひぬることこそめでたう候へ。よくあひたり。犬、よきやうにはからひ給ふべし」と云ひて、さらに下りず。狐、重ねて申しけるは、「まづこの所に下りさせ給へ。ひそかに申すべきことあり」と、しきりに呼べども、つひに下りず。
庭鳥、用(よう)ありさうに、あなたの方を眺めければ、狐、下より見上げて、「御辺は何事を見給ふぞ」と申しければ、「さればとや。ただ今御辺の物語し給ふことを告げ知らせんとや思はれけん、犬二匹、馳せ来たられ候ふ」と申しければ、狐、慌て騒いで、「さらば、まづそれがしは御暇(いとま)申す」とて去らんとす。庭鳥、申しけるは、「いかに狐、鳥獣の仲直りしける折節、何事かは候ふべき。そこに待ちて、犬とまじはり給へ」とささへければ、狐重ねて申すやう、「もしかの犬、仲直ることを知らずは、わがために悪しかりなん」とて逃げ去りぬ。
そのごとく、たとひ人、われに仇(あた)をなすべきものと悟るとも、仇をもつて向かふべからず。かれか武略にて向かはば、われも武略をもつて退くべし。
万治二年版本挿絵
翻刻
卅五 庭鳥と狐との事 あるとききつねえしきにもとめかねここかしこを さまよう所ににはとりゆきあひたりゑたりやかし こしとこれをとりてくらはんとすには鳥此事を さとりてある木のえたにとひあかりぬきつね手を うしなふてせんかたなさにしよせんにはとりをた ふらかしてこそくはめとおもひてかのきのもとに たちよつていかににはとりきこしめせこのころ万 の鳥けたもののなかなをりする事ありけり御辺 はしらせ給はぬか久しく申うけたまはらぬによて わさとこそ是まて参りて候へといとむつましけに/2-69l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/69
語けれはには鳥きつねのふりやくをさとつて誠に かかる折ふしに生れあひぬる事こそめてたふ候 へよくあひたりいぬ能やうにはからひ給ふへしと いひてさらにおりすきつねかさねて申けるはまつ 此所にをりさせ給へひそかに申へき事ありとし きりによへともつゐにおりすには鳥用ありさうに あなたのかたをなかめけれはきつねしたより見あけ て御辺は何事を見給ふそと申けれはされはと やたた今御辺の物かたりし給ふ事をつけしらせん とやおもはれけんいぬ二ひきはせきたられ候と申 けれはきつねあはてさはひてさらはまつそれかし/2-70r
は御いとま申とてさらんとすには鳥申けるは いかに狐鳥けたものの中なをりしけるおりふしなに 事かは候へきそこにまちて犬とましはり給へと ささへけれはきつねかさねて申やうもしかのいぬ 中なをる事をしらすはわかためにあしかりなんとて にけさりぬそのことくたとひ人我にあたをなすへ きものとさとるともあたをもつてむかふへからす かれかふりやくにてむかはは我もふりやくをもつ てしりそくへし/2-70l