text:isoho:ko_isoho2-32
目次
中巻 第32 馬と驢馬の事
校訂本文
ある時、よき馬、皆具(かいぐ)負ひて、その主を乗せて通りける傍らに、驢馬(ろば)一匹行き合ひたり。かの馬怒(いか)つて云はく、「驢馬、何とて礼拝(らいはい)せぬぞ。なんぢを踏み殺さんもいとやすきことなれども、なんぢらがごときの者は、従へても事の数にならぬは」とて、そこを過ぎぬ。
その後、何とかしたりけん、かの馬、二つの足を踏み折つて、何の用にも立たぬやうもなし。これによて、土民(どみん)の手に渡り侍りき。賤しきしづの屋に使ひける習ひ、糞土(ふんど)を負ほせて引き歩(あり)きぬ。その馬のさまも痩せ衰へ、あるかなきかの姿になり侍りぬ。
ある時、この馬、糞土を背負ふて通りけるに、件(くだん)の驢馬行き合ひけり。かの驢馬、つ くづくとこの馬を見て、「さてもさても、御辺(ごへん)はいつぞや、われらをののしり給ふ広言(くわうげん)の馬にてわたらせ給はずや。何としてかは、かかるあさましき姿となつて、かほど賤しき糞土をば負ひ給ふぞ。われ賤しく住みなれ候へども、いまだかかる糞土をば負はず。いつぞやの良き皆具どもは、いづくに置かせ給ふぞ」と恥ぢしめければ、返事もなうて逃げ去りぬ。
そのことく人の世にあつて、高き位(くらゐ)にありといふとも、下臈(げらふ)の者をあなづることなかれ。有為無常(うゐむじやう)の習ひ、今日は人の上、明日はわが身の上と知るべし。一旦の栄華に誇つて、人をあやしむることなかれ。
翻刻
卅二 むまとろはの事 ある時能馬かいくおゐてその主をのせてとをり けるかたはらにろは一ひき行あひたりかのむま いかつて云ろはなにとて礼拝せぬそ汝をふみころ さんもいとやすき事なれとも汝らかこときの物 はしたかへても事の数にならぬはとてそこを過 ぬ其後何とかしたりけんかのむま二つの足をふみ おつてなにの用にも立ぬやうもなしこれによて とみんの手にわたり侍りきいやしきしつの屋に つかひけるならひふんとをおほせてひきありきぬ/2-66l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/66
その馬のさまもやせおとろへあるかなきかのすか たになり侍りぬあるときこのむまふんとをせおふ てとをりけるに件の驢馬行あひけりかのろはつ くつくと此むまを見てさてもさても御辺はいつそや われらをののしり給ふくわうけんのむまにてわた らせたまはすやなにとしてかはかかるあさましき すかたとなつてかほといやしきふんとをはおい 給ふそ我いやしくすみなれ候へともいまたかかる ふんとをはおはすいつそやのよきかいく共はいつ くにをかせたまふそとはちしめけれは返事もなふ てにけさりぬそのことく人の世にあつてたかき/2-67r
くらゐに有といふ共下らうのものをあなつる事 なかれうゐむしやうのならひけふは人のうへあす は我身のうへとしるへし一たんのゑいくわにほ こつて人をあやしむる事なかれ/2-67l
text/isoho/ko_isoho2-32.txt · 最終更新: by Satoshi Nakagawa