text:isoho:ko_isoho2-18
中巻 第18 京・田舎の鼠の事
校訂本文
ある時、都(みやこ)の鼠、片田舎に下り侍りける。田舎の鼠ども、これをいつきかしづくことかぎりなし1)。
これによつて、田舎の鼠を召し具して上洛(しやうらく)す。しかもその住み所は、京の有徳者(うとくしや)の蔵にてなんありける。かるがゆゑに、食物足(た)つて乏(とも)しきことなし。都の鼠、申しけるは、「上方(かみがた)にはかくなんいみじきことのみおはすれば、いやしき田舎に住みならひて、何にかはし給ふべき」など語りなぐさむ所に、家主、蔵に用あることあつて、にはかに戸を開く。都2)の鼠はもとより案内なれば、わが穴に逃げ入りぬ。田舎の鼠はもとより無案内のことなれば、慌て騒ぎて、隠れ所もなく、からうじて命ばかり助かりける。
その後、田舎の鼠、参会(さんくわい)してこのよしを語るやう、「御辺(ごへん)は都3)を、『いみじきことのみあり』とのたまへど、ただ今の気づかひ、一夜白髪(いちやはくはつ)と云ひつべく候ふ。田舎にてはこと足らぬことも侍れども、かかる気づかひなし」となん申しける。
そのごとく、いやしき者は上つ方の人にともなふことなかれ。もし、しひてこれとともなふ時は、いたづがはしきことのみにあらず、たちまち禍ひ出来(しゆつたい)すべし。貧(ひん)を4)楽しむ者は、万事かへつて満足すと見えたり。かるがゆゑに、諺(ことわざ)に云はく、「貧楽(ひんらく)」とこそ云ひ侍りき。
翻刻
十 京田舎のねすみの事 あるとき都の鼠かたゐなかに下侍りけるゐ中の 鼠ともこれをいつきかしつく事かきりこれに よつてゐ中のねすみをめしくして上洛すしかもそ の住所はみやこのうとくしやのくらにてなん有 けるかるかゆへに食物たつてともしき事なし都 のねすみ申けるはかみかたにはかくなんいみし き事のみおはすれはいやしきゐ中にすみならひ/2-54r
てなににかはし給ふへきなと語なくさむ所に家主 くらに用ある事あつて俄に戸をひらく京のねすみ はもとより安内なれはわか穴ににけ入ぬゐ中 のねすみはもとより無安内の事なれはあはてさは きてかくれ所もなくからうして命計たすかりける その後ゐなかの鼠さんくわいして此よしをかた るやう御辺は宮古をいみしき事のみありとの給へ とたたいまのきつかひ一夜はくはつといひつへく 候田舎にては事たらぬことも侍れ共かかるきつ かひなしとなん申けるそのことくいやしき物 はかみつかたの人にともなふ事なかれもししゐ/2-54l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/54
てこれとともなふときはいたつかはしきことのみ にあらすたちまちわさはひ出来すへしかひんのた のしむものは万事かへつて満足すとみえたりかる か故にことわさにいはくひんらくとこそいひ侍き/2-55r
text/isoho/ko_isoho2-18.txt · 最終更新: by Satoshi Nakagawa