中巻 第9 イソポ、臨終において鼠蛙の喩へを云ひて終はる事
校訂本文
さるほどに、イソポ、リクウルス帝王にも御暇を賜はつて、諸国修行とぞ心ざしける。ここにゲレシヤの国に至り、諸人によき道を教へければ、人々尊(たつと)みあへり。
また、その国の傍らデルホスといふ島に渡つて、わが道を教へけるに、その所の心悪にきはまり、一向(いつかう)これを用ゐず。イソポ、力及ばず帰らんとする時に、人々評議して云はく、「この者を外国へ帰すならば、この島のありさまを謗(そし)りなんず。かれが荷物に黄金を入れ、道にておつかけ、盗賊人と号し失なはばや」とぞ申しける。評定して、その日にもなりしかば、道にておつかけ黄金を探し、盗賊人と号して、すでに籠者(らうしや)せしむ。
やうやく命も危ふく見えしかば、「終はり近付きぬ」とや思ひけん、「末期(まつご)に云ひ置くことありけり。されば、いにしへ、鳥獣(とりけだもの)のたぐひ、交はりをなしけるとき、鼠、蛙(かいる)を請じていつきかしづきもてなすこときはまりなし。その後、また蛙、鼠を招待(せうだい)す。
その来たるにのぞんで、蛙、迎ひに出で、蛙、鼠に向かつて云ふやう、『わがもとはこの辺りなり。さだめて案内知らせ給ふまじ1)と覚え候ふほどに、御迎ひにまかり出で侍る』と申しければ、鼠、かしこまつて喜び、その時、蛙、細き縄を取り出だして、『導き奉らん』とて、鼠の足にこれを結ひ付けたり。かくて互ひに河の辺(ほとり)に歩み寄つて、つひに水の中へ入る。
鼠、あはて騒いで蛙に申しけるは、『情けなし。御辺(ごへん)をばさまざまにもてなし侍りけるに、われをばかかる憂き目にあはせ給ふや』とつぶやきける所に、鳶(とび)、このよしを見て、『いみじき餌食(ゑじき)かな』と二つながらつかみ、つひに餌食2)となしてけり。
そのごとく、今イソポは鼠のやうにて、御辺たちに良き道を教へ侍らんとすれど、御辺たちは蛙のごとくに、われをいまして給ふなり。しかりといへども、鳶となるバビラウニヤのエジツトの国王より、さだめて島を攻めらるべし」と申しければ、聞きもあえず、傍若無人(ばうじやくぶじん)の奴ばらが、天下無双(てんかむさう)の才人を、峨々(がが)たる山の巌(いはほ)より、取つて下に押し落す。その時イソポ果てにけるとかや。
案のごとく、西国の帝王より武士(もののふ)に仰せて、かの島を攻められける。それよりして、かのイソポが物語を世に伝へ侍るなり。
万治二年版本挿絵
翻刻
九 伊曾保りんしうにおゐて鼠蛙のた とへをいひておはる事 去程にいそ保りくうるす帝王にも御いとまをたま はつて諸国修行とそ心さしけるここにけれしや のくににいたり諸人によき道ををしへけれは人々 たつとみあへり又そのくにのかたはらてるほすと いふ嶋にわたつて我道を教けるにその所の心悪 にきはまり一かうこれをもちいすいそほちからお よはすかへらんとする時に人々ひやう儀して云此 者を外国へかへすならはこの嶋のありさまをそし りなんすかれか荷物に黄金をいれ道にておつかけ/2-47r
たうそく人とかうしうしなははやとそ申ける 評定してその日にもなりしかは道にておつかけ黄 金をさかしたうそく人とかうしてすてにろうしや せしむやうやく命もあやうくみえしかはおはり ちかつきぬとや思ひけん末期に云をく事有けり されはいにしへ鳥けた物のたくひましはりをなし けるとき鼠蛙をしやうしていつきかしつきもてな す事きはまりなしその後又かいるねすみをしやう たひす其きたるにのそんてかいるむかひに出かい るねすみにむかつて云やう我もとは此辺なりさた めて安内しらせ給ふとおほえ候ほとに御むかひに/2-47l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/47
まかり出侍ると申けれはねすみかしこまつてよろ こひそのときかいるほそきなはをとり出してみち ひき奉らんとてねすみのあしにこれをゆいつけ たりかくてたかひに河のほとりにあゆみよつてつ ゐに水の中へ入ねすみあはてさはいてかいるに申 けるはなさけなし御辺をはさまさまにもてなし侍 けるにわれをはかかるうきめにあはせ給ふやとつ ふやきける所にとひ此由をみていみしきゑしきか なとふたつなからつかみつゐに衣食となしてけり 其ことくいま伊曾保はねすみのやうにて御辺たち によき道ををしへ侍らんとすれと御辺たちはかい/2-48r
るのことくに我をいまして給ふなりしかりとい へともとひとなるはひらうにやのえしつとの国王 よりさためて嶋をせめらるへしと申けれはききも あへすはうちやくふちんのやつはらか天下むさう の才人をかかたる山のいはほよりとつて下におし をとす其時いそほはてにけるとかやあんのことく 西国の帝王より武士に仰てかの嶋をせめられける それよりしてかのいそほか物語を世につたへ侍也/2-48l