中巻 第5 学匠(がくしやう)不審の事
校訂本文
さるほどに、ネタナヲ帝王、国中の道俗学者(だうぞくがくしや)を召し寄せ、「なんぢらの心において思ふ不審あらば、このイソポに尋ねよ」とのたまへば、ある人、進み出でて申しけるは、「ある伽藍(がらん)の中に柱一本あり。その柱の上に十二の里(さと)あり。その里の棟木(むなぎ)三十あり。かの一つの柱、雑役(ざうやく)1)二疋、常に上(のぼ)り下(くだ)ることいかん」。
イソポ答へて云はく、「いとやすきことにて候ふ。われらが国には幼き者までも、これを知ることに候ふ。ゆゑいかんとなれば、『大伽藍』とはこの界(かい)のことなり。『一本の柱』とは一年のことなり。『十二の里』とは十二か月のことなり。『三十の棟木』とは三十日のことなり。『二疋の雑役』とは日夜のことなり」と申しければ、重ねて、「いな」と云ふことなし。
ある時、御門をはじめ奉り、月卿雲客(げつけいうんかく)袖を連ね、殿上に並みゐ給ふ中において、御門、仰せけるは、「天地(あめつち)開け始めてよりこのかた、見もせず聞きもせぬものいかん」とのたまへば、イソポ申しけるは、「いかさまにも、明日こそ御返事申すべけれ」とて、御前をまかり立つ。
さて、その日に臨んで、イソポ、参内申しければ、人々これを聞かんとてさし集ひ給へり。その時イソポ、懐(ふところ)より小文(こぶみ)一つ取り出だし、「今日こそわが国へまかり帰る」とて、奉りければ、御門、開いて叡覧あるに、「それ、リクウルスといふゲレシヤの帝王より、三十万貫を借り候ふ所、実正(じつしよう)明白なり」とありければ、御門、大きに驚かせ給ひ、「われ、このことを知らず。なんぢは知るや」と仰せければ、おのおの口をそろへて、「見たことも、聞き奉ることもなし」と云ひければ、その時イソポ云ひけるは、「さては昨日の御不審は開けて候ふ」と云ひければ、人々、「げにも」とぞ云ひける。
翻刻
五 かくしやうふしんの事/2-41l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/41
去程にねたなを帝王国中のたうそくかくしやを召 よせ汝らの心におゐて思ふふしんあらは此いそ 保に尋よとの給へはある人すすみ出て申けるは あるからんの中にはしら一本あり其柱のうへに十 二の里ありそのさとのむな木卅ありかのひとつの はしらさうやく二ひきつねにのほりくたる事い かん伊曾ほ答云いとやすき事にて候われらかく ににはおさなきものまても是をしることに候ゆへ いかんとなれは大からんとはこのかいの事なり 一本のはしらとはいちねんの事なり十二里とは十 二か月の事なり三十のむな木とは卅日の事/2-42r
なり二ひきのさうやくとは日夜の事なりと申 けれはかさねていなと云事なしある時御門をはし め奉り月けいうんかくそてをつらね殿上になみ ゐ給ふ中におゐて御門仰けるはあめつちひらけ はしめてよりこのかたみもせすききもせぬものい かんとのたまへはいそほ申けるはいかさまにも 明日こそ御返事申へけれとて御前をまかりたつ さて其日にのそんていそ保参内申けれは人々これを きかんとてさしつとひ給へりそのときいそ保ふと ころより小文ひとつとりいたし今日こそわかくに へまかりかへるとて奉りけれは御門ひらひてゑい/2-42l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/42
らんあるにそれりくうるすといふけれしやの帝 王より三十万くわんをかり候所実正めい白なりと ありけれはみかと大きにおとろかせ給ひわれ此事 をしらす汝はしるやと仰けれはをのをの口をそろへ て見た事もきき奉ることもなしといひけれはそ の時いそほいひけるはさてはきのふの御ふしんは ひらけて候といひけれは人々けにもとそ云ける/2-43r