上巻 第20 ヱリミポ、イソポがことを奏聞の事
校訂本文
ある時ヱリミポ、ひそかに奏聞(そうもん)申しけるは、「御歎きを見奉るに、御命も危うく見えさせ侍るなり。今は何をか包み申すべき。イソポう誅(ちゆう)すべきよし、仰せ付けられ候ふ時、あまりに惜しく存じ、公(おほやけ)の私(わたくし)をもつて、今まで助け置きて候ふ。違勅(いちよく)の物を助け置くこと、かへつてわが罪も軽(かろ)からず候へども、『かかる不審も出で来(く)ならば、国中の障りともなりなん』と覚え1)侍れば、助けてこそ候へ」と申し侍れば、御門、なのめならずに喜ばせ給ひ、「こは、まことにて侍るや。とくとく彼を参らせよ」とて、かへつて御感(ぎよかん)にあづかりし上は、あへて勅勘(ちよくかん)の沙汰少しもなし。
これによつて、急ぎイソポを召し返さる。イソポすなはち参内して、御前にかしこまる。御門、このよし叡覧(えいらん)あるに、久しく籠居(ろうきよ)せしゆゑ、いとど姿もやつれはて、をかしといふもおろかなる様なり。御門、臣下に仰せ付けられ、「イソポをよきにいたはり侍るべし」とのたまへば、人々いやましにぞもてなされける。
その後、御門、イソポを召して、かの不審を、「いかに」と仰せければ、「いとやすき不審にてこそ候へ。いかさまにも、これより御返事あるべきよし、仰せ返させ給ふべし」と奏しける。申すがごとくせさせ給ふ。
さるほどに、イソポを召し直されける上は、かのエウヌス2)が罪科(ざいくわ)のがれずして、彼を死罪に行なはれんとの勅定(ちよくぢやう)なり。しかるところに、イソポ、ささへ申しけるは、「とても、われを憐れみ給ふ上は、彼をも御免されかうむりたくこそ候へ。かの者に諫(いさめ)めをなさば、悪心たちまち翻りて、忠臣となさんこと疑ひなし」と奏しければ、「ともかくも」とて免されけり。
翻刻
廿 ゑりみほ伊曾保か事をそうもんの事 あるときゑりみほひそかにそうもん申けるは御 なけきを見奉るに御命もあやうくみえさせ侍る也 今はなにをかつつみ申へきいそ保ちうすへきよし 仰付られ候時あまりにおしく存おほやけのわた くしをもつて今まてたすけをきて候いちよくの物 をたすけをく事かへつてわか罪もかろからす候 へともかかるふしんも出来ならは国中のさはり共 なりなんとおほせ侍れはたすけてこそ候へと申/1-30l
侍れは御門なのめならすによろこはせ給ひこは誠 にて侍るやとくとくかれをまいらせよとてかへつ て御感にあつかりしうへはあへて勅かんのさた すこしもなしこれによつていそきいそほを召かへ さる伊曾保則参内して御前にかしこまる御門此 由ゑいらんあるにひさしくろうきよせし故いとと すかたもやつれはておかしといふもをろかなる さまなりみかとしむかに仰つけられいそほをよき にいたはり侍るへしとのたまへは人々いやまし にそもてなされけるそののち御門いそ保をめして かのふしんをいかにと仰けれはいとやすきふしん/1-31r
にてこそ候へいかさまにも是より御返事あるへき よし仰かへさせ給ふへしとそうしける申かこと くせさせ給ふ去程にいそ保を召なをされける上は かのえうぬすかさい科のかれすしてかれを死罪に おこなはれんとの勅定なり然所にいそほささへ申 けるはとても我をあはれみ給ふうへはかれをも御 ゆるされかうむりたくこそ候へかの物にいさめ をなさは悪心たちまちひるかへりて忠臣となさん 事うたかひなしとそうしけれはともかくもとてゆる されけり 伊曾保物語上終/1-31l