上巻 第16 イソポと二人の侍、夢物語の事
校訂本文
ある時、サンといふ所の侍二人、イソポを誘引(ゆういん)して、夏の暑さをしのがんため、凉しき所を求めて至りぬ。その所に着いて、三人定めて云はく、「ここに良き肴(さかな)一種あり。むなしく食はんもさすがなれば、しばらくこの台(うてな)にまどろみて、よき夢見たらん者、この肴を食はん」となり。さるによつて、三人同じ枕に臥しけり。
二人の侍は前後も知らず寝入りければ、イソポは少しもまどろまず、ある隙間(すきま)をうかがひて、ひそかに起き上がり、この肴を食ひ尽して、また同じごとくにまどろみけり。
しばらくありて後、一人の侍起き上がり、今一人を起こして云はく、「それがし、すでに夢をかうむる。そのゆゑは、天人二体、天下らせ給ひ、われを召し具して、天(あま)の快楽(けらく)をかうむると見し」と云ふ。今一人が云ふやう、「わが夢はなはだこれに異(こと)なり、天朝(てんちよう)二体、われを介錯(かいしやく)して、インヘルノへ至りぬと見る」。
その時、両人僉議(せんぎ)して後、イソポを起こしければ、寝入らぬイソポが夢の覚めたる心地しておどろく気色(けしき)に申すやう、「御辺(ごへん)たちは、いかにしてかこの所に来たり給ふぞ。さも不審なる」と申しければ、両人の者、あざ笑つて云はく、「イソポは何事をのたまふぞ。われ、この所を去ることなし。御辺とともに1)まどろみけり。わが夢は定まりぬ。御辺の夢はいかに」と問ふ。イソポ答へて云はく、「御辺は天に至り給ひぬ。今一人はインヘルノへ落ちぬ。二人ながら、この界(かい)に来たることあるべからず。しからば、『肴をおきては何かはせん』と思ひて、それがし、ことごとく賜はりぬと夢に見侍る」と云ひて、かの肴の入れ物を開けて見れば、云ひしごとくに少しも残さず。
その時二人の者、笑ひて云はく、「かのイソポの才覚(さいがく)は、くわんのうかがふところにあらず」と、いよいよ敬ひ侍るべし。
翻刻
十六 いそほと二人の侍夢物語の事 ある時さんといふ所のさふらひ二人いそほをゆう いんしてなつのあつさをしのかんためすすしき所 をもとめていたりぬその所につゐて三人さためて いはくここによきさかな一しゆ有むなしくくはん もさすかなれはしはらくこのうてなにまとろみて/1-26r
よき夢みたらん物此さかなをくはんとなりさるに よつて三人同枕にふしけり二人のさふらひは前後 もしらすねいりけれはいそほはすこしもまとろます あるすきまをうかかいてひそかにおきあかり此さ かなをくいつくして又同ことくにまとろみけりし はらくありて後ひとりの侍おきあかり今一人をお こしていはくそれかしすてに夢をかうむるその ゆへは天人二体あまくたらせ給ひわれをめしくし てあまのけらくをかうむると見しといふ今一人か 云やう我ゆめはなはた是にことなり天朝二体我を かいしやくしてゐんへるのへいたりぬと見る其時/1-26l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/26
両人せんきしてのち伊曾保をおこしけれはねいら ぬいそほかゆめのさめたる心ちしておとろくけし きに申やう御辺たちはいかにしてか此所にきたり 給ふそさもふしんなると申けれは両人の物あさ わらつて云いそ保は何事をの給ふそ我この所を去 事なし御辺と友にまとろみけりわかゆめはさた まりぬ御辺のゆめはいかにと問伊曾保答云御へん はてんにいたり給ぬ今一人はゐんへるのへおちぬ 二人なからこのかいにきたる事あるへからす然 はさかなをおきてはなにかはせんとおもひてそれ かしことことく給はりぬと夢に見侍るといひて/1-27r
かのさかなの入物をあけてみれはいひしことく に少ものこさすそのときふたりのものわらひてい はくかのいそほのさいかくはくわんのうかかふと ころにあらすといよいようやまひ侍るへし/1-27l