上巻 第15 長者と他国の商人の事
校訂本文
さるほどに、サンといふ所に並びなき長者ありけり。ほかには正直をあらはすといへども、内心すてに奸曲(かんきよく)なり。
ある時、片田舎の商人(あきびと)、銀子十貫目持ち来たりて、この長者を頼りけるは、「われこの所よりエジツに至リぬ。遠路の財宝あやうければ、預け奉らん」と云ふ。長者、たやすく預かりける。
この商人、エジツより帰りて、この銀子を乞ふ。長者、あらがひて云はく、「われ、なんぢが銀を預かることなし。証跡(しようせき)あるや」と問ふ。商人、いかんと申すことなくして、イソポのもとへ行きてこのよしを歎きければ、イソポ教へて云はく、「その人は、この所にてほまれある長者なり。証拠はなければ紀明1)しがたし。なんぢに計略を教へん。そのことし給へ」と教へければ、商人つつしんて承る。
その計略に云はく、「一尺四方の箱一つこしらへ、上をば美しく作り飾りて、中には石多く入れて、なんぢが国の人に持たせて、これを『玉(たま)ぞ』と偽つて、かの長者のもとへ預けさせよ。その時にのぞんで、なんぢ、かの金を乞へ。玉を預からんがため、銀子をばなんぢに返すべし」。
商人、これをこしらへて、イソポの教へのごとく同国の者に持たせ、かの長者の所へ行きて、これを預くる。その時商人、金を乞ふ。案のごとく、かの玉を預からんがために、商人に云ふやう、「いかなれば、御辺(ごへん)は金(かね)を取り給はぬぞ。これこそ、おごとの金ぞ」とて、もとの銀子を与へてけり。そのゆゑは、「これはこの国のめいしや。十貫目の南鐐(なんれう)より、そくばくまさるべし」と思ふによつてなり。すなはち箱一つ預けて、金をば取りて帰りけり。
「あはれ、かしこき教へかな」とて讃めぬ人こそなかりけり。
翻刻
十五 長者と他国の商人の事 さる程にさんといふ所にならひなき長者ありけり 外には正直をあらはすといへ共内心すてにかんき/1-24l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/24
よくなりある時かたいなかの商人銀子十くわんめ もち来て此長者を頼けるは我此所よりえしつにい たりぬえん路のさいほうあやうけれはあつけ奉らん と云長者たやすくあつかりけるこのあき人ゑしつ よりかへりてこの銀子をこふ長者あらかひて云我 汝か銀をあつかる事なしせうせきあるやと問商 人いかんと申事なくしていそほのもとへ行き てこのよしをなけきけれは伊曾保をしへて云その人 はこの所にてほまれある長しやなりせうこはなけ れは紀明しかたし汝に計略ををしへんそのこと したまへとをしへけれは商人つつしんて承その斗/1-25r
略にいはく一尺四方の箱ひとつこしらへうへをは うつくしくつくりかさりて中には石おほく入て 汝か国の人にもたせてこれを玉そといつはつて かの長者のもとへあつけさせよそのときにのそん て汝かのかねをこゑたまをあつからんかため銀子 をは汝にかへすへし商人是をこしらへていそほの をしへのことく同国のものにもたせかの長者の 所へゆきてこれをあつくる其とき商人かねをこう あんのことくかのたまをあつからんかために商人 にいふやういかなれは御辺はかねをとり給はぬそ これこそおことのかねそとてもとの銀子をあたへ/1-25l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/25
てけりそのゆへは此はこの国のめいしや十くわん めのなんりやうよりそくはくまさるへしと思ふに よつてなり則はこひとつあつけてかねをはとりて かへりけりあはれかしこきをしへかなとてほめ ぬひとこそなかりけり/1-26r