上巻 第13 商人、金を落す公事の事
校訂本文
ある商人(あきびと)、サンにおいて三貫目の銀子を落とすによつて、札を立ててこれを求む。その札に云はく、「この金を拾ひける者のあるにおいては、われに得させよ。その褒美として三分一(さんぶいち)を与へん」となり。
しかるに、ある者これを拾ふ。わが家に帰り妻子に語つて云はく、「われ貧苦(ひんく)の身として、なんぢらを養ふべき財(たから)なし。天道これを照覧(せうらん)あつて賜はるや」と喜ぶことかぎりなし。
しかりといへども、この札の面(おもて)を聞きて云ふやう、「その主すでに分明(ぶんみやう)なり。道理を曲げんもさすがなれば、この銀を主へ返し三分一を得てまし」と云ひ、かの主(ぬし)のもとへ行きて、そのありやうを語るところに、主、にはかに欲念(よくねん)おこつて、褒美の金を難渋(なんじふ)せしめんがため、「わが金をすでに四貫目ありき。持ち来たれるところは三貫目なり。そのまま置き、なんぢはまかり帰れ」と云ふ。かの者、愁へて云はく、「われ、正直をあらはすといへども、御辺(ごへん)は無理をのたまふなり。せんずるところ、守護識(しゆごしき)に出でて、理非を決断せん」と云ふ。
さるによつて、二人ながら紀明1)の庭にまかり出づる。かれとこれと争ふところ決しがたし。かの主、誓断(せいだん)をもつて「四貫目ありき」と云ふ。かの者は「三貫目ありき」と云ふ。奉行も理非を決しかねて、イソポに、「きみやう2)し給へ」と云ふ。
イソポ、聞きて云はく、「もとの主の云ふところ明白なり。しかのみならず誓断あり。真実(しんじつ)これに過ぐべからず。しかれば、この金はかの主の金にてはあるべからず。そのゆゑは、落とす所の金は三貫目なり。拾ひたる物にこれを賜はりて帰れ」とのたまひければ、その時もとの主、驚き騒ぎ、「今はなにをかつつむべき。この金すでにわが金なり。褒美のところを難渋せしめんがため、私曲(しきよく)をかまへ申すなり。あはれ、三分一をばかれに与へ、残りをわれに賜べかし」と云ふ。
その時イソポ笑つて云はく、「なんぢが欲念みだれがはし。今より以後は停止(ちやうじ)せしめよ。さらば、なんぢにつかはす」とて、三分二をは主に返し、三分一を拾ひ手に与ふ。その時、袋を開いて見れば、日記すなはち三貫目なり。
「前代未聞の検断(けんだん)なり」と、人々感じ給ひけり。
翻刻
十三 商人かねをおとす公事の事 ある商人さんにおゐて三くわんめの銀子をおと すによつて札をたててこれをもとむそのふたにい はく此かねをひろひけるもののあるにおゐては 我にえさせよそのほうひとして三分一をあたへん/1-21l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/21
となり然にあるもの是をひろふ我家にかへりさい しにかたつていはくわれひんくの身として汝等 をやしなふへきたからなし天道これをせうらん あつて給はるやとよろこふ事かきりなししかり といへともこのふたのおもてをききていふやうそ の主すてに分明なり道理をまけんもさすかなれは この銀を主へ返し三ふ一をえてましといひかの ぬしのもとへ行てそのありやうをかたる所に主 俄に欲念おこつてほうひのかねをなんしうせし めんかためわかかねをすてに四くわんめありきもち きたれるところは三くわんめなりそのままおき汝/1-22r
はまかりかへれといふかのものうれへていはく我 正直をあらはすといへとも御辺は無理をの給ふ也 詮する所守護識に出て理非をけつたんせんといふ さるによつて二人なから紀明の庭にまかり出る かれとこれとあらそふ所けつしかたしかの主せ いたんをもつて四くわんめありきと云かのものは 三くわんめありきと云奉行も理非をけつしか ねていそ保にきみやうしたまへと云ふ伊曾保ききて いはく本主の云所めい白なりしかのみならすせい たんありしんしつこれにすくへからすしかれは此 かねはかのぬしのかねにてはあるへからす其故は/1-22l
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/22
おとす所のかねは三くわんめなりひろひたる物に これをたまはりてかへれとのたまひけれはその時本 のぬしをとろきさはきいまはなにをかつつむへ き此かねすてにわかかねなりほうひの所をなん しうせしめんかため私曲をかまへ申なりあはれ 三分一をはかれにあたへのこりをわれにたへかし と云その時いそ保わらつていはく汝かよくねんみ たれかはし今より以後はてうしせしめよさら は汝につかはすとて三分二をはぬしに返し三 ふ一をひろひてにあたうそのときふくろをひらい てみれは日記すなはちさんくはんめなり前代みも/1-23r
むのけんたんなりと人々かんし給ひけり/1-23l