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text:isoho:ko_isoho1-04

伊曾保物語

上巻 第4 農人の不審の事

校訂本文

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ある時シヤント、山野(さんや)に逍遥(せうえう)して、イソポを召し連れ給ふ。ここに農人(のうにん)、シヤントに尋ねて申す、「それ天地の間に生ずる所の草木を見るに、ただ雨露の恵みをもつて生長することなし。このいはれいかに1)」と問ふ。シヤント答へて云はく、「ただこれ天道の恵みなり」とのたまふ。

かの時イソポ、あざ笑つて云はく、「さやうの御答へはあまり愚かに候ふ」と申しければ、「さらば」とて、シヤント立ち返り、かの農人に告げたまはく、「先に答うる所、その理に当たらず。われ召し具し侍る者に答へさすべし」と仰せければ、農人、かのイソポが姿を見て、「仰せにては候へども、かかるあやしの者の、いかほどのことをか答へ候ふべき」と申しければ、イソポ聞きて、「いかが、なんぢの云ふ所、道理にもれたり。答うる所はづれずは、なんぞ姿の醜きによらんや。されば、前(さき)に問ふ所、はなはだもつてわきまへやすし。なんぢ、継子(けいし)と実子(じつし)を知るやいなや。それ人間の習ひとして、実子をばこれを愛し、継子をばこれを踈(うと)んず。そのごとく、四大(しだい)の中(うち)に生ずる、四大がために実子なり。人の耕す田畠(たはた)は、四大がために継子なり。ひとの継子と実子をもつて、四大が親疎(しんそ)をわきまふなり。

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翻刻

  第四   のう人のふしんの事
ある時しやんとさんやにせうようしていそほを召
つれ給ふここにのう人しやんとにたつねて申
それ天地の間に生する所の草木を見るにたた雨露
のめくみをもつて生長する事なし此いはれいかに
ととふしやんと答云たた是天道のめくみなりとの
給ふかの時いそほあさわらつていはくさやうの御
こたへはあまりをろかに候と申けれはさらはとて
しやむとたちかへりかののう人につけたまはく先
にこたうる所その理にあたらす我めしくし侍る物
にこたへさすへしと仰けれはのう人かのいそほ/1-9r
かすかたをみて仰にては候へ共かかるあやしの者
のいかほとの事をか答候へきと申けれはいそほ
ききていかか汝の云所道理にもれたりこたうる所は
つれすはなんそすかたのみにくきによらんやされ
はさきに問所はなはたもつてわきまへやすし汝け
いしと実子をしるやいなやそれ人間の習として実
子をはこれをあひしけいしをは是をうとんす
そのことくしたいの中に生するしたいかためにし
つしなり人のたかやす田畠はしたいかためにけ
いしなりひとのけいしとしつしをもつてした
いかしんそをあきまふなり/1-9l

https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/9

1)
「見るに」と「ただ雨露の」の間に欠文があるか。天草本で農人のセリフは「自然に生ずるとろころの草木は、養ひ育つることがなけれども大きに繁昌し、五穀の類は養育すれども栄ゆることは少いが、この儀は難と」となっている。
text/isoho/ko_isoho1-04.txt · 最終更新: 2025/02/22 11:44 by Satoshi Nakagawa