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text:towazu:towazu5-14

とはずがたり

巻5 14 御四十九日も近くなりぬればまた都に帰り上りつつ・・・

校訂本文

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御四十九日も近くなりぬれば、また都に帰り上りつつ、その日は伏見の御所に参るに、御仏事始まりつつ、多く聴聞せし中に、「わればかりなる心の中(うち)はあらじ」と思ゆるにも悲し。こと果てぬれば、面々の御布施どものやうも、今日閉ぢめぬる心地して、いと悲しきに、頃しも長月の初めにや、「露も涙もさこそ争ふ御事なるらめ1)」と、御簾の内も悲しきに、「持明院の御所、このたびはまた同じ御所」と承るも、春宮に立ち給ひて角殿(すみどの)の御所に御わたりのころまでは見奉りしいにしへも、とにかくに、あはれに悲しきことのみ色添ひて、「秋しもなどか」と公私(おほやけわたくし)思えさせ給ひて、「数ならぬ身なりとも」と、さしも思ひ侍りしことのかなはで、今まで憂き世にとどまりて七つの七日にもあひ参らする、われながらいとつれなくて、三井寺の常住院の不動2)は、智興内供が限りの病(やまひ)には、証空阿闍梨といひけるが、「受法恩重し。数ならぬ身なりとも」と言ひつつ、晴明3)祀り代へられければ、明王、命に代はりて、「なんぢは師に代はる。われは行者に代はらん」とて、智興も病やみ、証空も命延びけるに4)、君の御恩、受法の恩よりも深かりき。申し受けし心ざし、などしもむなしかりけん。苦(く)の衆生に代はらんために、御名を八幡大菩薩と号すとこそ、申し伝へたれ。数ならぬ身にはよるべからず。「御心ざしのなほざりなるにもあらざりしに、まことの定業(ぢやうごう)はいかなることもかなはぬ御事なりけり」など思ひつづけて、帰りて侍りしかども、つゆまどろまれざりしかば、

  悲しさのたぐひとぞきく虫の音(ね)も老いの寝覚(ねざめ)の長月のころ

古きを忍び涙は、片敷く袖にもあまりて、父の大納言5)身まかりしことも、秋の露に争ひ侍りき。かかる御あはれも、また秋の霧と立ち上らせ給ひしかば、なべて雲居もあはれ にて6)、雨とやなり給ひけむ、雲とやなり給ひけん7)、いとおぼつかなき御旅なりしか。

  いづ方の雲路ぞとだに尋ね行くなど幻のなき世なるらん8)

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翻刻

御四十九日も近くなりぬれはまたみやこにかへりのほりつつその
日はふしみの御所にまいるに御仏事はしまりつつおほくちやう
もんせし中にわれはかりなるこころのうちはあらしとおほゆる
にもかなしことはてぬれはめんめんの御ふせとものやうもけふ
とちめぬる心ちしていとかなしきにころしもなか月のはしめ/s224r k5-32
にや露も涙もさこそあらそふ御事なるらめと御すの
うちもかなしきに持明院の御所このたひは又おなし御所と
うけたまはるも春宮にたち給てすみ殿の御所に御わたり
のころまてはみたてまつりしいにしへもとにかくにあはれ
にかなしきことのみ色そひて秋しもなとかとおほやけわたくし
おほえさせ給てかすならぬみなりともとさしもおもひ侍し
ことのかなはていままてうき世にととまりてななつの七日にも
あひまいらするわれなからいとつれなくて三井寺のしやうちう
院の不動はちこうないくかかきりのやまひにはせうくうあさり
といひけるかしゆほう恩おもしかすならぬ身なりともと
いひつつせいめいにまつりかへられけれは明王命にかはりて/s224l k5-33

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/224

なんちは師にかはるわれは行しやにかはらんとてちこうも
やまひやみせうくうも命のひけるに君の御恩しゆほう
の恩よりもふかかりき申うけし心さしなとしもむなしかり
けんくの衆生にかはらんために御なを八まん大菩薩と号す
とこそ申つたへたれかすならぬみにはよるへからす御心さしの
なをさりなるにもあらさりしにまことのちやうこうはいかなる
こともかなはぬ御事なりけりなとおもひつつけてかへりて
侍しかとも露まとろまれさりしかは
   かなしさのたくひとそきく虫のねもおひのね覚の長月の比
ふるきをしのふ涙はかたしく袖にもあまりてちちの大納言身
まかりしことも秋のつゆにあらそひ侍きかかる御あはれも/s225r k5-34
又秋のきりとたちのほらせ給しかはなへて雲井もあはれ
にてあめとやなり給けむ雲とやなり給けんいとおほつかなき
御たひなりしか
   いつかたの雲ちそとたに尋ゆくなとまほろしのなき世なるらん/s225l k5-35

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/225

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1)
『新古今和歌集』哀傷 藤原定家「たまゆらの露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風」。
2)
不動明王
3)
安倍晴明
5)
久我雅忠
6)
『源氏物語』葵「のぼりぬる煙はそれとわかねどもなべて雲居のあはれなるかな」。
7)
『源氏物語』葵「雨となり雲とやなりにけむ」。
8)
『源氏物語』桐壺「尋ね行く幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく」。
text/towazu/towazu5-14.txt · 最終更新: 2019/11/04 22:56 by Satoshi Nakagawa