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発心集

第六第1話(63) 証空、師の命に替る事

校訂本文

中ごろ、三井寺に智興内供といひて、貴き人ありけり。年高くなりて、いかなる宿業にてか、世の中心地をして、限りになりければ、弟子ども集りて、泣き悲しむ時、晴明1)といひて、神如(しんによ)なる陰陽師ありけり。これを見て言ふやう、「このたびは、限りある定業なり。いかにも、かなふべからず。それにとりて、志(こころざし)深からん弟子なんどの、『替らん』と思へるあらば、祭り奉りてん。そのほかには、いかにもいかにも力及ばず」となん言ひける。

多くの弟子ども、さし集(つど)へるほどに、このことを聞きて、内供は苦しみの耐へがたきままに、「もし、替る人やある」と、並び居たる弟子どもを次第に見回せど、言(こと)にこそ言へど、まことには捨てがたき命なれば、おのおの色を作りて、伏し目になりつつ、一人として、「われ替らん」と思へる気色なし。

その時、証空阿闍梨といふ人、年若くて、弟子の中にありけり。弟子にとりては末の人なれば、誰も思ひよらぬほどに、進みて内供に申すやう、「われ、替り奉らんとなり。そのゆゑは、法を重くし命を軽(かろ)くするは、師につかふる習ひなり。いかでこのことを聞きながら、身命を惜しまん。いたづらに捨つべき身を。今、三世の諸仏に奉りて、人界の思ひ出にせん。さらにいたましからず。ただ、年八十なる母、今に侍り。われよりほかに子なし。もし、許されを蒙らずは、みづから身を捨つるのみにあらず、二人が命尽きぬべし。よくよくことはりを申し聞かせて、暇(いとま)を乞ひて、帰り参らん」と言ひて、座を立ちぬ。内供を初め、これを聞く人々、涙を流してあはれむこと限りなし。

母のもとに至りて、このよしを語る。「願はくは、歎き給ふことなかれ。たとひ、本意の如く御跡に残りて、後世をとぶらひ奉るとも、かくほどの大なる功徳を作らんこと、きはめて難(かた)し。今、師の恩を重くして、命に替りなば、三世の諸仏もあはれみ、天衆・地類も驚き給ふべし。その功徳を重ねて、母の後世菩提に廻向し奉らん。これまことの孝養なれば、すなはちあやしき身一つ捨てて、二人の恩に報ひてん。いはんやまた、老少不定のさかひなり。もし、いたづらに命尽きて、御先に立つことも侍らば、その時悔やみて何(なに)かせん。何ごとをや、この世の思ひ出にせん」と、泣く泣く言ふを聞きつつ、涙を流し、驚き悲しむもことはりなり。

「わが愚かなる心には、功徳の多くならんことをも思はず。君、いとけなかりし折は、われにはぐくまれき。われ、年たけ、よはひかたぶきては、君を頼むこと天地のごとし。残りの命、今日・明日とも知らぬ時に至りて、われを捨て、心と先立たむことこそ、いと悲しけれど、その志深きことを思ふに、師の命に替りなば、君が後世においては疑ふべからず。もし、このことを許さずは、仏も愚かに思し召し、君が心にもたがひなん。まことに、老少不定の命なり。思へば、夢・幻の前後なり。はやく君が心なり。とく浄土に生れて、われを救ひ給へよ」と言ふ。涙を押さへて言ひければ、証空、泣く泣く悦びて帰りぬ。

やがて、年・名乗り書き付けて、晴明がもとへやりつ。今宵(こよひ)祈り替へ奉るべきよし、言へり。

かくて、夜やうやう更け行くほどに、この証空、頭(かしら)痛み、心地悪しく、身ほとほりて、堪へがたく思えければ、わが房に行きて、見苦しかるべき文など取りしたためつつ、年ごろ持ち奉りける絵像の不動尊に向ひ奉りて申すやう、「われ、年若く身盛りなれば、命惜しからざるにあらねど、師の恩の深きことを思ふによりて、今すでに、かの命に替りなんとす。勤め少なければ、後世きはめて恐し。願がくは、明王、あはれみを垂れて、悪道に落し給ふな。病苦、すでに身を責めて、一時も耐へ忍ぶべからず。本尊を拝み奉らんこと、ただ今ばかりなり」と泣く泣く申す。

その時、絵像の仏眼より血の涙を流し、「なんぢは師に替る。われは汝に替らん」とのたまふ御声、骨に通り肝に染む。「かなひし2)」と掌を合はせて、念じ居たる間に、汗流れぬる身冷めて、すなはち心地さはやかになりにけり。

内供もその日より心地おこたりにければ、このことを聞きて、おろかに思はんやは。後には、人にすぐれてあひたのみたる弟子にてなむありける。

かの本尊は、伝はりて後、白河院におはしましけり。常住院3)の泣不動と申すはこれなり。御目より涙を流したる形、げにさやかに見え給へりけるとぞ。

証空阿闍梨といふは、空也上人の臂の折れ給へるを、余慶僧正の祈り治し給ひたりけるとて、「法器のものなり」とて、聖の奉られたりける小童なり4)

翻刻

発心集第六               鴨長明撰
  証空替師命事
中来三井寺ニ智興内供ト云テ。タウトキ人有ケリ。
歳タカク成テイカナル宿業ニテカ世ノ中ココチヲシ
テ限ニ成ケレバ。弟子ドモ集リテ泣カナシム時。晴明ト
云テ神如ナル陰陽師有ケリ。是ヲ見テ云ヤウ此度ハ
カギリアル定業ナリ。イカニモ叶フベカラズ。其ニトリテ志
深カラン弟子ナンドノ替ラント思ヘルアラハ祭リ奉リ
テン。其外ニハイカニモイカニモ力及ズトナン云ケル。ヲホクノ弟
子ドモサシツドヘル程ニ。此事ヲ聞テ内供ハクルシミノ/n3l
タヘガタキママニ。若カハル人ヤアルト並居タル弟子ドモ
ヲ次第ニ見マハセド言ニコソイヘド。誠ニハ捨ガタキ命
ナレバ各色ヲツクリテフシ目ニ成ツツ。独トシテ我カハ
ラント思ヘル気色ナシ。其時証空阿闍梨ト云人年
若クテ弟子ノ中ニ有ケリ。弟子ニトリテハ末ノ人ナ
レハ。誰モ思ヨラヌ程ニ。進テ内供ニ申様我カハリ奉
ラントナリ。其故ハ法ヲオモクシ命ヲカロクスルハ師ニ
ツカフル習也。イカデ此事ヲ聞ナガラ身命ヲ惜ン。
イタツラニ捨ベキ身ヲ今三世ノ諸仏ニ奉リテ人界
ノオモヒデニセン。更ニイタマシカラズ。但年八十ナル母/n4r
今ニ侍リ我ヨリ外ニ子ナシ若ユルサレヲ蒙ラズハ。ミヅ
カラ身ヲ捨ルノミニアラズ。フタリガ命ツキヌベシ。能々コ
トハリヲ申キカセテ暇ヲ乞テ帰リマイラント云テ座
ヲ立ヌ内供ヲ初コレヲ聞人々涙ヲナガシテ哀ム事限
ナシ。母ノモトニ至リテ此由ヲカタル。願クハ歎給フ事ナ
カレ。タトヒ本意ノ如ク御跡ニ残テ後世ヲ訪タテマツ
ルトモ。カク程ノ大ナル功徳ヲツクラン事キハメテ難シ。
今師ノ恩ヲオモクシテ命ニカハリナバ。三世ノ諸仏モア
ハレミ天衆地類モ驚キ給フベシ。其功徳ヲカサネテ母
ノ後世菩提ニ廻向シ奉ラン。是マコトノ孝養ナレバ則/n4l
アヤシキ身一ツ捨テ。フタリノ恩ニムクヒテン。況ヤマタ老
少不定ノサカヒナリ。若イタヅラニ命ツキテ御サキニ
タツ事モ侍バ其時クヤミテ何カセン。何事ヲヤ此世ノ
思出ニセント泣々云ヲ聞ツツ涙ヲナガシ驚キ悲ムモ
コトハリ也。ワカ愚ナル心ニハ功徳ノ多クナラン事ヲモ思
ハズ。君イトケナカリシ折ハ我ニハグクマレキ。我年タケヨ
ハヒカタフキテハ君ヲ憑ム事天地ノ如シ。ノコリノ命ケ
フ明日トモシラヌ時ニイタリテ。我ヲ捨テ心トサキダ
タム事コソイト悲ケレド。其志フカキ事ヲ思フニ。師
ノ命ニカハリナハ君カ後世ニヲヰテハ不可疑モシ此事/n5r
ヲユルサスハ仏モヲロカニオボシメシ君カ心ニモタガヒナン。
誠ニ老少不定ノ命也。思ヘバ夢マボロシノ前後ナリ。ハ
ヤク君カ心ナリ。トク浄土ニ生レテ我ヲスクヒ給ヘヨト
イフ。涙ヲ押ヘテイヒケレバ。証空ナクナク悦テ帰ヌ。ヤカ
テ年名乗カキツケテ晴明ガモトヘヤリツコヨビ祈リカ
ヘ奉ルベキ由云リ。カクテ夜ヤウヤウフケ行程ニ此証空
カシラ痛ミ心地アシク身ホトヲリテ堪ガタク覚ヘケレ
バ我房ニ行テミグルシカルベキ文ナド取シタタメツツ。
年来モチ奉リケル絵像ノ不動尊ニ向ヒ奉リテ申
ヤウ我年ワカク身サカリナレバ命惜カラザルニアラネド/n5l
師ノ恩ノ深キ事ヲ思フニヨリテ今スデニ彼命ニカ
ハリナントス。ツトメスクナケレバ。後世キハメテヲソロ
シ。願ハ明王アハレミヲ垂テ悪道ニヲトシ給フナ。病苦
ステニ身ヲセメテ一時モタヘシノブベカラス。本尊ヲ拝ミ
奉ラン事只今バカリ也ト泣々申。其時絵像ノ仏眼
ヨリ血ノ涙ヲナガシ汝ハ師ニカハル。我ハ汝ニカハラントノ
給フ御声ホネニトヲリ肝ニシム。カナヰシト掌ヲ合テ
念ジ居タル間ニ汗ナガレヌル身サメテ。スナハチ心地サハ
ヤカニナリニケリ。内供モ其日ヨリ心地ヲコタリニケレバ
此事ヲキキテ愚カニ思ハンヤハ。後ニハ人ニスグレテ相タ/n6r
ノミタル弟子ニテナムアリケル。彼本尊ハツタハリテ
後白河院ニヲハシマシケリ。常住院ノ泣不動ト申ハ
是也。御目ヨリ涙ヲナガシタル形チゲニサヤカニ見ヘ給
ヘリケルトゾ。証空阿闍梨ト云ハ空也上人ノ臂ノヲレ
給ヘルヲ余慶僧正ノ祈リナヲシ給タリケルトテ。法
器ノモノナリトテ。聖ノ奉ラレタリケル小童ナリ/n6l
1)
安倍晴明
2)
神宮文庫本は「あないみじ」。
3)
三井寺常住院
4)
『宇治拾遺物語』142参照。ただし、証空の話は出てこない。
text/hosshinju/h_hosshinju6-01.txt · 最終更新: 2017/08/05 16:26 by Satoshi Nakagawa
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