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巻4第9話(32) 六賊の事
校訂本文
色(しき・いろ)といは、春の花・秋の紅葉(もみぢ)の色、男女のつくろひ、けすらひたる顔の色、染め飾りなしたる着物の色、煎り焼きあへなしたる肉等の色なり。声(しやう・こゑ)といは、管絃糸竹(くわんげんしちく)、男女のわりなき音(こゑ)等、香といは、沈麝香(ぢんじやかう)、薫物(たきもの)等、食物等の香、味(み)といは、もろもろの食物、触(そく)といは、男女の互ひにつくろひなしたる形、着物のたぐひ、法といは、たぶらかし、汚(けが)せるよろづの法なり。
この六人の賊に、六人の仲人(ちゆうにん)あり。菩提の財(たから)をば、見まうくることあれども、みな忘れぬ。六人の仲人は眼(げん)・耳(に)等なり。六人の賊人(ぬすびと)、おのおのこの六人の仲人を一人づつ語らひふせたり。色の賊人をば、眼(まなこ)の仲人いれて、かの菩提の財を、わが ままに奪(ば)ひ取らす。
昔、国王、証果(しようくわ)の聖人のもとにおはしまたりけるに、聖の言はく、「まします道もよく、還(かへ)らせ給ふ道もようあるべき」と申し給ふに、国王、ただこの言葉ばかりを聞かせ給ひて、還らせ給ふ。一人のたまはく、「『いかにめでたき言どもか申し給はむ』と思ふに、別(べつ)のことなくて還らせ給ふ」と申し給ふに、国王、答へ給ふ、「昔の善によつて国王となりたれば、これを『まします道よし』との給ふ。『還らんずる道も善し』とは、『今生の善によりて、来世にまた善処(ぜんしよ)に生ずべしと』のたまふ。現世・後世のこと、たしかに承る上は、めでたきこと何事かあるべき」とのたまひければ、おのおの随喜(ずいき)の涙を流しけり。
六波羅蜜経に云はく、
衆生無定性(衆生定性(ぢやうしやう)無きこと) 猶如水上波(なほ水の上の波のごとし) 願得智恵風(願はくは智恵の風を得て) 吹入法性海(法性の海に吹き入らんと)文
翻刻
六賊事/2-37l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/37
色ト者春ノ華秋ノモミチノ色男女ノツクロヒケスラヒタルカホノ色ソメ カザリナシタルキモノノ色イリヤキアヘナシタル肉等ノ色ナリ声ト 者管絃糸竹男女ノワリナキ音等香ト者沈麝香タキモノ 等食物等ノ香味者諸食物触者男女ノ互ニツクロヒナシタル 形キモノノタクヒ法者タブラカシケガセルヨロヅノ法ナリ此ノ 六人ノ賊ニ六人ノ仲人アリ菩提ノ財ヲハ見マウクル事アレ トモミナワスレヌ六人ノ仲人ハ眼耳等也六人ノ賊人各此ノ六 人ノ仲人ヲ一リツツカタラヒフセタリ色ノ賊人ヲハ眼ノ仲人イレテ 彼ノ菩提ノ財ヲワカママニバイトラス昔シ国王証果ノ聖人ノモトニ ヲハシマタリケルニ聖ノ言ハク来道モヨク還ラセ給フ道モヨフアルヘキト 申給フニ国王只此ノ言ハハカリヲ聞セ給ヒテ還ラセ給フ一人ノ 給ハク何ニメテタキ言トモカ申シ給ハムト思ニ別ノ事無テ還ラセ給ト/2-38r
申給ニ国王答ヘ給昔ノ善ニヨツテ国王トナリタレハ此ヲ来道ヨシ トノ給フカヘランズル道モ善トハ今生ノ善ニヨリテ来世ニ又善処ニ 生スヘシトノ給フ現世後世ノ事慥ニウケ給ルウヘハメテタキ事何 事カアルヘキトノ給ケレハ各々随喜ノ涙ヲ流シケリ 六波羅蜜経ニ云ク 衆生無定性 猶如水上波 願得智恵風 吹入法性海(文)/2-38l
