巻4第6話(29) 説法には聴衆のあるが吉き事
校訂本文
中ごろに、京中に、身は豊かにして貪欲(とんよく)極まりなく、知恵・才覚無くて、しかもまた音声(おんじやう)悪(わる)く、口もきかずしてある説法者一人候ひき。心請用(こころしやうよう)の不浄説法はひまなくしけれども、人たのむこと努力なかりける間、もとより持ちたる者なれば、京中の空き地を六処(ろくしよ・むところ)買ひて、六人の尼を語らひて、かの地一つづつ取らせて、「わが説法の時、必ず聴聞につらなはりて泣きて給べ」と云ひければ、六人の尼思ふやう、「心ならぬ音(ね)をば、いかが泣くべき」と思へども、この尼どもにさせる住処もなくて、うかれ歩(あり)く尼なれば、おのおの一つづつ主(ぬし)つきつ。
さて、かの僧の説法の時は、必ず聴聞衆に列(つら)なりて泣きけるに、ある時の説法に、六人の尼の中に、一人の尼、いまだ説法の始めなるに、ことさら声も惜しまず、けたたましげに泣きけり。導師思ふやう、「さ云ひたればとて、時をも知らず、機嫌もなく早く泣くものかな」と思ひけり。聴聞の人々も、「いかなることぞ」と思ひて、目も心もあきれけり。あるいは「心に歎きのあるか」と思ひ、あるいは、「かかる説法の庭を踏むこと、今生の楽しみにあらず」と思て泣くかと思ひ、あるいは、「説法と思へば、かねて貴(たと)く覚ゆるゆゑに泣くか」と思ひ、あるいは、けしからず思ひて憎む者もあり、そしる者もありけり。
さて、この尼、説法の半ばばかりに、つい立ちて、高らかに云はく、「導師の御房、聞こし召し候へ。尼一人には、暇(いとま)給び候へ。さしたる悪しきこと候ふ。かいはげみて、よく泣きて候ふぞ。しかも、尼が地は一つ戸主(へぬし)と申しながら、余(よ)の尼御前(あまごぜ)たちの地よりも、はるかに少く候ふ」と云ひて立ちぬ。この導師、このことを聞くに、さすが人なれば、身より火を出だす。諸人の聞きを驚かす。
これすなはち十悪のいたす所なり。よくよく慚愧(ざんぎ・はぢはづる)して、念仏を唱ふべし云々。
翻刻
説法ニハ聴衆ノ有カ吉事 中比ニ京中ニ身ハ豊ニシテ貪欲無ク極リ知恵才覚無テ然モ又音声/2-34l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/34
ワルク口モキカスシテアル説法者一人候キ心ロ請用ノ不浄説法ハ 無ク隙シケレトモ人タノム事努力ナカリケル間タ自リ本モチタル物 ナレハ京中ノアキ地ヲ六処カヒテ六人ノ尼ヲ語ヒテ彼ノ地一ツ ツツトラセテ我カ説法ノ時必ス聴聞ニツラナハリテナキテタベト 云ケレハ六人ノ尼思フヤウ心ナラヌネヲハ何カカナクヘキト思ヘ トモ此尼共ニサセル住処モナクテウカレアリク尼ナレハ各一ツヅツヌシ ツキツサテカノ僧ノ説法ノ時ハ必ス聴聞衆ニ列リテナキケルニ或 時ノ説法ニ六人ノ尼ノ中ニ一人ノ尼イマタ説法ノ始ナルニコトサラ 声モヲシマスケタタマシゲニナキケリ導師思フヤウサイヒタレバトテ 時ヲモシラスキゲンモナク早クナク物カナト思ヒケリ聴聞ノ人々モ イカナル事ソト思テ目モ心モアキレケリ或ハ心ニナケキノ有カト思ヒ 或ハカカル説法ノニハヲフム事今生ノ楽ニアラスト思テナクカト/2-35r
思ヒ或ハ説法ト思ヘハカネテタトク覚ル故ニナクカト思ヒ或ハケシ カラス思テニクム物モアリソシル物モアリケリサテ此ノ尼説法ノ ナカハ計リニツイ立テタカラカニ云ク導師ノ御房キコシメシ候ヘ尼 一人ニハイトマタヒ候ヘ指タル悪事候カイハゲミテ能クナキテ 候ソ然モ尼カ地ハ一ツヘヌシト申ナカラヨノ尼御前タチノ地ヨリモ ハルカニ少ク候トイヒテタチヌ此ノ導師此ノ事ヲ聞クニサスカ人ナレハ 身ヨリ火ヲイダス諸人ノキキヲヲトロカス是即チ十悪ノイタス所 也能々慚愧シテ念仏ヲ可唱フ云々/2-35l
