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巻4第5話(28) 養性の事
校訂本文
養性(やうじやう)は医書の中に多く記せり。世間の人これを知らず。もつとも用意あるべきことなり。細(つぶさ)に記すにかたし。大旨(たいし)は、旦(あした)より午時(うまのとき)までは、ほしいままに食すべし。未申(ひつじさる)の後は、食を減ずべし。夜食(やしよく)もつとも脚気(かつけ)等の諸病に調(てう)せざることなり。
しかるに、世にありて大きなる人は、終日(しゆうじつ/ひめもす)に出仕して、晩に及んで帰りて、種々(しゆしゆ)の美物(びぶつ/うまきもの)にて飽食(ばうしよく/あくまて)し、飽酒(はうしゆ)して、房事(ばうじ)など行する。大きに養性にそむく。発病(ほつびやう)の因縁なり。かかるままに、世間に豊饒(ぶねう)して家を継ぎ、大名などいはるる人、多分に命短かし。
貧家は、おのづから貧しきほどに、必ずしも養性とは思はねども、得がたきままに、多く空腹し、晩に食すること少なし。脚気等宜(よろ)し。夜食は不食・飲水・大腹水・悪瘡(あくさう)等みな夜食による。脚気ゆゑに発(おこ)る。貧家は、身疲れたれども、多くは病(やまひ)なし。ただ飢ゑを病とす。
律の中に、病を云へるには二つあり。古病(こびやう)・雑病(ざふびやう)。古病は飢ゑなり。雑病は四大の不調なり。富めめる人は食過ぎて雑病を患ふ。貧家は不足にして古病を愁ふ。八苦の随一、病なき人あるべからず。されば、富める人もうらやましからず。いつとなく病する多し。古人の云はく、「四百四種の病は宿食(しゆくしよく)を根本と為す。三途八難(さんづはちなん)の苦は女人を根本と為す」。
かかるままに、世にある人は古病はのがれて雑病に犯され、貧家はおのづから養性するほどに、雑病はのがれて古病を悲しむ。世にありて富めれども命長からず。長命の者も貧しければ生きたるかひなし。これまた作半(さくはん)なり。功徳黒闇いよいよその理(ことはり)知られたり。
薬の草も肥えたる地のは功能(くのう)少なく、疲れたる地のはすぐれたり。人も肥えたるは、肉すぎて力弱く気短し。疲れたるは、なかなか骨と皮ばかりにして気強く侍り。人肥えたるがゆゑに貴からずと云へる、まことなるかな。
思ひ出でたること侍り。因(ちなみ)にこれを記す。筥根(はこね)の山中、葦河(あしかは)の宿にて、ある旅人、実語経を誦(ず)して云はく、「山高きかゆゑに貴(たつと)からず。飯(いひ)大なるをもつて貴しなす」と云々。家主、とりもあへず誦して云はく、「人肥ゆがゆゑに貴からず。賃(やどため1))多きをもつて貴となす。互ひに入興(じゆきよう)して、飯大にし、随(したが)つて賃多くしたりけると云へり。
富家と貧家と得失あひ半(なかば)なり。作半は云ひながら、よくよく思ひ解くに、貧家はただ病の少なきのみならず。暇(いとま)もあり、罪障軽く、人を悩ますことなし。心閑(しづ)かなることのみあれば、富家よりは道行のたよりを得たり。富貴(ふつき)の家うらやむべからず。すべて万事よくよく思ひ解けば、得失あひまじはりて、作半の義もつとも広し。
心に契(かな)はぬ妻子・同法(どうぼふ)・下部(しもべ)等、思ひ解くは知識なり。心に合(かな)ふ同法等は、愛執(あいしふ)も深し。扶持(ふち)したく侍るに、貧家、求不得苦(ぐふとくく)のゆゑに、同法・下部をも心安く養育することなし。衣食(えじき)の二事、常に乏(とぼ)しければ、分々の菩薩の心に似て、常にこれを憂ふ。浄名2)の云はく、「衆生の病は痴(ち)より発(おこ)る。菩薩の病は悲より発る。愛執ある、なほなほ中有(ちゅうう)に伴ふことなし。そのほかは云ふにたへず。心もとどまらさるままに、穢土の愛執、情尽き果てて、浄土の欣求(ごんぐ)、いよいよ心に願はしかるべし。これ自然(じねん)の知識たるべし。いかが悪(わろ)きものに恨みをなさむや。大樹の衆鳥、集(あつま)つて、枯折の憂へあるがごとし。弟子・眷属(けんぞく)あれば、世間も苦しく、自行も立たず。うち捨つべし。遺教経の意(こころ)云々。
人の心、刹那刹那(せつなせつな)に変はること、金言(きんげん)なり、現量(げんりやう)なり。猿猴(ゑんこう)のごとしと説かれたり。まことなるかな。真心は常住(じやうじゆ)なれども、悪心は浮雲(ふうん)のごとく、水の泡に似たり。時に随ひて移り行く。起滅(きめつ)定めなきものなり。怱々(そうそう)の時は閑かなるを願ひ、寂しき時は目を覚ましたく人中へさし出でたし。これ欲界の凡夫(ぼんぶ)の心なるべし。法然房上人の弟子の僧の中に(西阿弥事可有3))云々。これを略す。
座禅の用意は、古人の座禅の儀、ことには天台の止観4)、禅門等に、座儀・法則・用意、委(くは)しく見えたり。止観に云はく「重昏巨散(ぢゆうこんこさん)定明(ぢやうみやう)を翳動(えいどう)す」。煩悩は八万四千の塵労門(ぢんらうもん)とも云ひき。広(くわう)すれば無量無辺なり。略すれば四分の煩悩、おのづから貪瞋痴(とんじんち)等分なり。なほ略すれば、ただ昏散(こんさん)なり。禅師、教相を略して行門を訓(をし)うる時、この名目(みやうもく)を用ふ。源(みなもと)止観中に出でたり。
座禅に四句の分別これあり。
座而不禅(座して禅せず)
禅而不坐(禅して座せず)
而座而禅(しかも坐しかも禅)
不座不禅(坐せず禅せず)
なり。
初めの句は、座儀ばかり、もしは強(し)ひて座し、もしは規式を守りて、座禅するに似たれども、昏散のかるがる定明を奪うて、いたづらに座するなり。
次の句は、浄名5)に云ふかごとし。「不起滅定、現行坐威儀。(滅定を起(た)たず、行坐威儀を現ず。)」。これは深信(じんしん)の菩薩、諸仏の種々の仏事、施作(せさ)し給へども、滅定を起さず、無心にして利益し給ふ。「那伽常在定」とて、仏は常に定(ぢやう)に住し給ふ。那伽(なか)は龍、梵語、仏に譬へたり。されば、大定は事理無しと云へり。浄名居士(じやうみやうこじ)6)の舎利弗(しやりほつ)の座禅せしを呵(か)して、「行住(ぎやうじゆ)に威儀(いぎ)を現ずれども、滅定を不離定の禅なり」と云ふ、この意(こころ)なり。これ禅にして座せず。永嘉(やうか)7)のいはゆる、行亦坐、禅亦禅、語黙(ごもく)、動静(どうじやう)、体安然(たいあんねん)なり。これ凡夫二乗の分に過ぎたり。
而坐而禅なるは、昏散なくして座儀うるはしき、これ凡聖(ぼんじやう)に通じて座禅なるべし。
第四の句は、散乱の凡夫なり。この心を得ざる人は、いたづらに座儀を執(しつ)して、心地に暗し。大恵禅師8)の黙照邪禅(もくせうざぜん)と呵(か)し、天台の祖師9)は闇証禅師と譏(そし)り給へる。坐而不禅の行人なり。古人の云はく、「真実の座禅は昏散無き時なり。煩悩は昏散に摂(せつ)し、実相は定明に極まる。あるいは寂照(じやくせう)、あるいは明静(みやうじやう)。言(ことば)ごとに同体なり。これ理智なり。二つの名あれども、体一つなり。水に照潤(せうにん)の徳あるがごとし。
真如の妙体、本来不生の一実境界なり。百千の名あれども、ただこれ一法性なり。真一と云ふ。あるいは円覚(ゑんがく)と云ふ。名に執して「体不同なり」と思ふことなかれ。古人の経を引きて云はく、「座禅の時、もし昏(こん)沈厚重(ちんこうぢゆう)ならば、起(た)て行道(ぎやうだう)し、読誦念仏(どくじゆねんぶつ)し、説法教化(せつぽうけうげ)せよ。これ仏の禅祖の訓(をしへ)なり」と云ふ(取意)。万善同帰(まんぜんどうき)これに在り。
老病日に随つて気力弱し。よつて座禅行法、年に随ひて廃しおはんぬ。ただ読誦・法談をもつて、一乗の種子に当て侍り。小庵に籠居(ろうきよ)し、時々法談の時指し出で、昏蒙(こんもう)を除き、明静を顕(あら)はさむと思へり。老後の述懐なり。楽天10)の云ふが如く、「大隠は朝市(てうし)に在り。小隠は丘嶽に入る。太冷朝市また喧(かまびす)し。しかじ、中隠に作(な)らんにはと云々。(取意)」。文集にこれ在り。
まことに知恵深くして、境縁にさへられぬ聖人などは、和光同塵(わくわうどうぢん)の朝市にまじはる。人これを知らず。道心深くして境縁に染まぬ人なり。空也上人、四条の町におはして念仏して、「静かなる所」と申されけるとかや。深山(しんざん)に入り籠る人は小隠なり。これ賢人なり。伯夷(はくい)・叔斉(しゆくせい)がごとし。楽天は禄少くして出仕(しゆつし)心に任せ、あるいは入る。これを中隠と思ひて、山にも入らず。また朝市にもまじはらで、道行の縁とせし。うらやましく侍り。
楽天は出家にもあらず、在家にも似ず。禅門に志深くして、世間忘却せし人なり。今の代の出家の僧にまされり。文集(ぶんしふ)11)に見えたり。あるいは野客(やかく)に伴(ともな)うて華を見、詩を作り、あるいは山僧(さんそう)に親しみて座禅し法談して、家へ帰らざること三年、今の世の遁世の僧、かかる人あらん。妻子(さいし)あるに似て汚(けが)れに染まず、家属(けそく)憂へて米塩(まいえん/よねしほ)尽き、衣裳破れて借物(しやくもつ)などあるよし歎きければ、「家をも田をも売りて返せ。もし余りあらば、われに与へよ。酒肉のかはりにして過ぎん。それ持ち尽くさずして死することもあるべし。また、命あらんも憂ふべし。死と生と夢のごとし」と云ひける心、まめやかにまめやかにうらやましく侍り。
賢(けん)を見て斉(ひと)しからんと思はずは、いつか仏の道に足を上げんや。楽天の風情、ことに触れて欣慕(ごんぼ)の心侍るままに、かの言(ことば)、処々(しよしよ)にこれを記す。
翻刻
養性の事 養性は医書の中に多く記せり世間の人此を不知ら尤も可き有る用意 事也細に記にかたし大旨は旦より午時まては恣ままに食すへし未申の 後は食を減すへし夜食尤とも脚気等の諸病に不調せ事也然に世に 有て大なる人は終日に出仕して晩に及て帰て種々の美物にて飽食し 飽酒して房事なと行する大に養性にそむく発病の因縁也かかるままに 世間に豊饒して家をつき大名なといわるる人多分に命みしかし/2-31r
貧家はをのつから貧しき程に必しも養性とは思はねとも得かたき ままに多く空腹し晩に食する事すくなし脚気等宜し夜食は不 食飲水大腹水悪瘡等皆夜食による脚気故に発る貧家は 身疲れたれとも多くは病なしたた飢を病とす律の中に病を云へるには 有二古病雑病古病は飢也雑病は四大の不調也冨める人は 食過て雑病をわつらふ貧家は不足にして古病を愁ふ八苦の随一 病なき人あるへからすされは冨める人もうらやましからすいつとなく 病する多し古人の云四百四種の病は宿食を為す根本と三途八難の 苦は女人を為す根本とかかるままに世にある人は古病はのかれて雑病に をかされ貧家はをのつから養性する程に雑病はのかれて古病を悲し 世にありて冨めれとも命長からす長命の物も貧しけれは生きたる かひなし此又作半也功徳黒闇いよいよ其の理り知られたり薬の/2-31l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/31
草も肥たる地のは功能すくなく疲たる地のはすくれたり人も肥たるは 肉すきて力らよはく気短し疲たるは中々骨と皮はかりにして気 つよく侍り人肥たるか故に不すと貴から云へる誠なるかな思いてたる 事侍り因に記す之を筥根の山中葦河の宿にて或旅人実語経を 誦して云く山高きか故に不貴から飯大なるを以て為す貴しと云々家主とり もあへず誦して云く人肥か故に不貴から以て賃多を為す貴とたかひに入興して 飯大にし随て賃多くしたりけると云へり冨家と貧家と得失 相ひ半はなり作半は云なから能々思とくに貧家は只病の少きのみ ならすいとまもあり罪障軽く人を悩す事無し心閑なる事のみ 有れは冨家よりは道行のたよりを得たり冨貴の家うらやむへ からす都て万事能々思ひ解けは得失相ましはりて作半の義尤も広し ○心に契はぬ妻子同法下部等思解は知識也心に合ふ同法等は/2-32r
愛執も深し扶持したく侍るに貧家求不得苦の故に同法下部をも 心安く養育する事なし衣食の二事常に乏しけれは分々の菩薩の 心に似て常に此を憂ふ浄名の云く衆生の病は痴より発る菩薩の 病は悲より発る愛執ある猶々中有に伴ふ事なし其の外は云に たへす心もととまらさるままに穢土の愛執情つきはてて浄土の欣 求弥心に願はしかるへし此れ自然の知識たるへしいかかわろき物に うらみをなさむや大樹の衆鳥集て枯折の憂へ有か如し弟子 眷属有れは世間も苦しく自行も不立打すつへし遺教経の意云々 ○人の心ろ刹那刹那にかはる事金言也現量也猿猴の如と説れたり 実なるかな真心は常住なれとも悪心は浮雲の如く水の泡に似たり時に 随て移り行く起滅無き定者の也怱々の時は閑なるを願ひさびしき 時は目をさましたく人中へさし出たし此れ欲界の凡夫の心なるへし/2-32l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/32
法然房上人の弟子の僧の中に(西阿弥/事可有)云々略す之を坐禅の用意は 古人の坐禅の儀殊には天台の止観禅門等に坐儀法則用意委く 見たり止観に云重昏巨散翳動す定明を煩悩は八万四千の塵 労門とも云き広すれは無量無辺也略すれは四分の煩悩自貪 瞋痴等分也猶略すれは只昏散也禅師教相を略して行門を 訓うる時此の名目を用ふ源出止観中にたり坐禅に四句の分別 有り之れ坐して而不禅々而不坐而も坐而も禅不坐不禅也初の句は 坐儀はかり若は強て坐し若は規式を守て坐禅するに似たれとも昏 散のかるかる定明を奪て徒に坐する也次の句は浄名に云か如し不起 滅定を現行坐威儀を此れは深信の菩薩諸仏の種々の仏事施 作し給へとも滅定を不起無心にして利益し給ふ那伽常在定とて 仏は常に定に住し給ふ那伽は龍梵語仏に譬たりされは大定は無/2-33r
事理云へり浄名居士の舎利弗の坐禅せしを呵して行住に威儀を 現すれとも滅定を不離定の禅也と云ふ此の意ろ也是れ禅て而不坐永 嘉の所謂る行亦坐禅亦禅語黙動静体安然也此れ凡夫 二乗の分に過たり而坐而禅なるは無く昏散して坐儀うるはしき これ凡聖に通して坐禅なるへし第四の句は散乱の凡夫也此の心を 得さる人は徒に執して坐儀を暗し心地に大恵禅師の黙照邪禅と呵し 天台の祖師は闇証禅師と譏給る坐而不禅の行人也古人の 云く真実の坐禅は無き昏散時き也煩悩は昏散に摂し実相は定明に 極る或は寂照或は明静言はことに同体也此理智也二の名有れとも 体一也水に照潤の徳有るか如し真如の妙体本来不生の一 実境界也百千の名有れとも只是一法性也真一と云或は円 覚と云名に執して体不同也と思ふ事なかれ古人の引て経を云坐禅の/2-33l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/33
時き若昏沈厚重ならは起て行道し読誦念仏し説法教化せよ 此仏の禅祖の訓也と云取意万善同帰在之に老病随つて日に気 力弱し仍坐禅行法随て年に廃し了只読誦法談を以て一乗の種 子に当て侍り小庵に籠居し時々法談の時指出昏蒙を除き 明静を顕はさむと思へり老後の述懐也楽天の云か如く大隠は在り 朝市に小隠は入丘嶽に太冷朝市亦喧し不如作にはと中隠に云々取意 文集に在り之れ実に知恵深くして境縁にさへられぬ聖人なとは和光同 塵の朝市にましはる人此をしらす道心深して境縁に染まぬ人也空 也上人四条の町にをはして念仏してしつかなる所と申されけるとかや 深山に入り籠る人は小隠也是賢人也伯夷叔斉か如し楽天は 禄少くして出仕任せ心に或は入る是を中隠と思て山にも不入又朝市にも ましはらて道行の縁とせしうらやましく侍り楽天は出家にもあらす/2-34r
在家にも似す禅門に志深くして世間忘却せし人也今の代の出家の 僧にまされり文集に見へたり或は野客に伴ふて華を見詩を作り或は 山僧に親て坐禅し法談して家へ帰らさる事三年今の世の遁世の 僧かかる人有らん妻子有に似て不染ま汚れに家属憂へて米塩つき衣 裳破れて借物なと有るよし歎きけれは家をも田をも売て返せ若し 餘り有らは我に与へよ酒肉のかはりにして過きん其れもちつくさすして 死する事もあるへし又命あらんも憂うへし死と生と夢の如しと云ける 心まめやかにまめやかにうらやましく侍り賢を見て斉しからんと思はずは何つか 仏の道に足を上けんや楽天の風情事に触れて欣慕の心侍るままに彼 言処々に記す之を/2-34l
