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巻3第4話(22) 袈裟の事
校訂本文
袈裟のこと、律の中にこれあり。世間の人、律をば小乗と思ひ下して、凡情を執し、仏語を信ぜず。これ愚痴の至りなり。小乗と云ふは、未開会(みかいゑ)の時のことなり。勝鬘1)・涅槃2)・大論3)等の意(こころ)、毘尼(びに)は大乗学と云へり。荊渓尊者4)の云はく、「戒に大小無く、受くる者の心期による」。心地観経に、「戒に大小なし。云々」。南山大師5)の云はく、「大小二乗、理に分隔(ふんきやく)無し。鹿野(ろくや)の初唱に、八万の諸天同じく大心を発す。涅槃の極説、衆小果を得る。(取意)」。
律はただ仏のみ説き給ふ。諸経は人天等の説相(せつさう)雑(まじ)はる。仏、印可(いんか)し給へば、同じく経と名付く、云々。
南山祖師、章儀を作り給ふ。諸天感じて、「何意(なにごころ)をもつて作り給ふ」と問ふに、「大論をもつてこの意を発す。仏、麁布(そふ)の僧伽梨の十三条を着(ちやく)し給へり。天竺より漢土へ渡る梵僧に問ふに、大乗の寺に、絹の袈裟着せざる、云々」。感通伝にこれあり。
律には野蠢綿戒(やしゆんめんかい)とて、「養蚕(かいこ)の家にみづから行きて、これを求めて作るは、袈裟切りて土に雑(まじ)へよ」と重く制し給へり。展転(てんでん)来して、売買せるは、袈裟に作くること、制なきなり。大乗には慈悲の服なり。殺生の衣をもつて作るべからず、云々。涅槃・楞伽6)等の経にこれを制す。
世間の人の学問せざるは、小乗は布袈裟、大乗は絹の袈裟と思へり。顛倒(てんだう)の見(けん)なり。仏語を学ばず、ただ凡情を恣(ほしいまま)にすなり。
南山の云はく、「南岳の寺には、絹類を着さず。葦の華をもつて綿となす、云々」。大智律師7)の云はく、「天台8)は四十余年、ただ一衲(いちなふ)を被(き)る。荊渓(けいけい)9)は一生大布(たふ)の衣を著す。永嘉(やうか)10)は、耕鋤(かうしよ/たかへす・すき)せざるを食とし、蠢口せざるを衣とする。(取意)」。衲(なふ)と云ふは、天竺に人の用ゐずして棄てたる衣、謂はく、死人の衣、月水の時の衣、先の官途の衣、火に焼牛の食したるなどなり。十種あり。これを取り聚(あつ)めて、衲(つづ)りて、条葉なくして、五・七・九等の相なし。ただ一衣なり。
天台は布の衲を着し給へり。「日本の衲はまことに法にあらざるなり。教えにかなはず。深く大乗を解する人はかくのごときなり。今の代の絹の袈裟、衣鉢(えはつ)、全体みな非法なり」と誹(そし)り給へり。
律制を重んぜず、ただ凡心を恣(ほしいまま)にするゆゑか。出家の儀は、みな律を本とす。諸事の結夏(けつげ)、自恣(じし)・布薩(ふさつ)・結界等、みな律の作法なり。衣鉢等は律をもつて本とす。異儀を存すべからざるものか。
心地の修行は、止観禅門もつともこれを信行すべし。五年学律の後、定恵を学すべし。これ本 師11)の金言なり。三学誰か分隔(ふんきやく)せんや。しかれば、異議衣鉢等は律制によるべし。座禅観心は止観禅門によるべし。必ず偏執すべからず。これ仏祖の教誡を仰ぐ人なり。西天漢土の昔は、三学隔てなし。云々。
中古(ちゆうこ/なかごろ)より三院あひ分かれたり。源の同を信ずべし。流の別を執(しつ)することなかれ。興善寺の惟寛禅師の言はく、「無上菩提を身に被(き)るを戒と言ひ、口に説くを法と言ひ、心に行ずるを禅と言ふ。云々」。この師、馬祖12)の弟子なり。昔、律を学び教を学して、後、悟道の人なり。もつとも三学同じくこれを信ずべし。不信の人は、学ばざるゆゑなり。学してこれを知る人、いづれの宗、いづれの法をか隔別(きやくべつ)すべきや。愚老形のごとく、三学少々これを聞く。よつて隔意なし。
翻刻
袈裟ノ事 袈裟ノ事律ノ中ニ有之世間ノ人律ヲハ小乗ト思ヒ下シテ凡情ヲ 執シ不信セ仏語ヲ是愚癡之至也小乗ト云ハ未開会ノ時ノ 事也勝鬘涅槃大論等ノ意毘尼ハ大乗学ト云ヘリ荊渓尊 者ノ云ク戒ニ無ク大小依ル受ル者ノ心期ニ心地観経ニ戒ニ無大小云々 南山大師ノ云大小二乗理ニ無分隔鹿野ノ初唱八万ノ諸天 同シク発ス大心ヲ涅槃ノ極説衆得ル小果ヲ取意律ハ唯仏ノミ説キ給フ諸 経ハ人天等ノ説相雑ル仏印可シ玉ヘハ同ク名ク経ト云々南山祖/2-12r
師章儀ヲ作リ給フ諸天感シテ以テ何意ヲ作リ給フト問ニ大論ヲ以テ 発ス此ノ意ヲ仏麁布ノ僧伽梨ノ十三条ヲ著シ給ヘリ天竺ヨリ漢土ヘ 渡ル梵僧ニ問ニ大乗ノ寺ニ絹ノ袈裟不著セ云々感通伝ニ有之 律ニハ野蠢綿戒トテ養蚕ノ家ニ自ラ行テ求メテ之ヲ作ルハ袈裟切テ 土ニ雑ヘヨト重ク制シ給ヘリ展転来シテ売買セルハ袈裟ニ作クル事無 制也大乗ニハ慈悲ノ服也以テ殺生ノ衣ヲ不可作ル云々涅槃 楞伽等ノ経ニ制ス之ヲ世間ノ人ノ不ルハ学問セ小乗ハ布袈裟大乗ハ 絹ノ袈裟ト思ヘリ顛倒ノ見也不学バ仏語ヲ唯恣ニス凡情ヲ也南山ノ 云ク南岳ノ寺ニハ不著絹類ヲ以テ葦ノ華ヲ為ス綿ト云々大智律師ノ云 天台ハ四十餘年唯被ル一衲ヲ荊渓ハ一生著ス大布衣ヲ永嘉ハ食トシ 不ルヲ耕鋤セ衣トスル不ルヲ蠢口取意衲ト云ハ天竺ニ人ノ不シテ用棄テタル衣 謂ク死人ノ衣月水ノ時ノ衣先ノ官途ノ衣火ニ焼牛ノ食タル等也/2-12l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/12
十種アリ此ヲ取リ聚メテ衲リテ条葉ナクシテ五七九等ノ相ナシ 只一衣也天台ハ布ノ衲ヲ著シ玉ヘリ日本ノ衲ハ誠ニ非法也不 叶ハ教ニ深ク解スル大乗ヲ人ハ如此也今ノ代ノ絹ノ袈裟衣鉢全体 皆非法也ト誹リ給ヘリ不重ンゼ律制ヲ只恣ニスル凡心ヲ故歟出家ノ 儀ハ皆律ヲ為本諸事ノ結夏自恣布薩結界等皆律ノ作法 也衣鉢等ハ以テ律ヲ為本ト不ル可存ス異儀ヲ者歟心地ノ修行ハ 止観禅門尤モ是ヲ可シ信行ス五年学律ノ後可学ス定恵ヲ是レ本 師ノ金言也三学誰カ分隔セン哉然レハ異議衣鉢等ハ可シ依ル律 制ニ坐禅観心ハ可依ル止観禅門ニ必ス不可偏執ス是仰グ仏祖ノ教 誡ヲ人也西天漢土ノ昔ハ三学隔テ無シト云々中古ヨリ三院相分レ タリ可信ス源ノ同ヲ莫レ執コト流ノ別ヲ興善寺ノ惟寛禅師ノ言ク無上 菩提ヲ被ルヲ身ニ言ヒ戒ト口ニ説ヲ言ヒ法ト行ルヲ心ニ言フ禅ト云々此ノ師馬祖ノ/2-13r
弟子也昔律ヲ学ヒ教ヲ学シテ後悟道ノ人也尤モ三学同ク 可信ス之ヲ不信ノ人ハ不ル学故也学シテ知之人何レノ宗何レノ法ヲカ 可キ隔別ス哉愚老如ク形ノ三学少少聞ク之ヲ仍テ無隔意/2-13l
