目次
巻3第5話(23) 愚老述懐
校訂本文
少年、師匠、片山の院主を譲る。世事正体なきゆゑに、再三辞退す。しかれども、子細ありて譲りをはりて、世事丁寧に教訓、何事もあひはからうて助けられ侍りき。わづかなる什物(じふもつ)その数を知らず。わが物、人の物の見分けず。正体なきこと物に歴(ふ)れかくのごとし。これ道心ゆゑにあらず。ただ世間無沙汰(ぶさた)にして、貧なる因縁、自然(じねん)に遁世の媒(なかだち)たるにや。遁世の門に入りて、随分(ずいぶん)律を学び、また止観(しかん)など学しき。律の中に、南山大師1)のことこれあり。昼学律、夜座禅し、智恵深くましましることこれを聞く。賢を見て「斉(ひと)しからん」と思へることを思ひて、夜は座禅せしかども、脚気(かつけ)の病体、志ありて功なし。
三十五歳、寿福寺の悲願長老2)の下(もと)に、春より秋に至りて、叢林(そうりん)の作法これを行ず。律儀これを守りき。東福3)の開山4)の座下にして、禅門の録・義釈等これを聞く。これによりて形のごとく、三学斉(ひと)しくこれを修する志これあり。しかるに、身(み)、病体、心、懈怠(けだい)、学ありて行なし。ただし、病導師(びやうだうし)のごとし。同法を教訓・呵責(かしやく)す。しかるに、不法の仁は多く、如説(によせつ)の僧は少なし。このこと、凡夫(ぼんぶ)の力及ぶべからず。しかるに、あるいは親類の僧、同法・不法は、愚老が教訓なく正体なきゆゑかと思ひてこれを譏(そし)る。このことまことに身の過(とが)免れがたし。ただし、聖僧の中に、なほ失あり。凡夫、なんぞなからんや。
舎利弗の弟子、一人は金師(こんし)5)が子、一人は浣衣師(くわんいし)6)が子、金師が子に不浄観(ふじやうくわん)を教へ、浣衣師が子に数息観(しゆそくくわん)を教ふ。これによりて、多年道得ず。仏の言く、「機に違ひ、金師が子に数息観を教ふべし。風息に馴るるゆゑに。浣衣師が子には不浄観を教ふべし。浄不浄を知るゆゑに」。よつてすなはち得道しき。
聖僧なほ機に暗し。いかにいはんや凡夫をや。ただ教誡によりて道を得べき者、諸仏菩薩、神通、自在、慈悲、甚深(じんじん)なり。方便をもつて教戒済度すべし。しかるに、機生(なま)しければ、仏菩薩なほ時を待ちて化せず。凡夫は言ふに足らず。云々。弟子の作法、しかしながら師の過失とすること、これしかるべからざるか。
世の譬へをもつて知るべし。「仏法を学し行ぜよ」と勧むるを用ひざること、譬へば不食の者に食を勧むるに、すべて食せず欲せざるがごとし。心中に愛習(あいしふ)深く思ひ染ぬることは、いかに制(せい)すれども、隠れ忍びても、寄合ひて邪行これあり。これ人も勧めず。制し恥がましく、身損じ災来たるを知らず。去れば業強く、志深きゆゑに、人の勧めを待たず、志なきことは、呵責及ぶべからず。何ぞ師の過(とが)になさむや。されば、なかなか仏法にすかぬ者には、聖教を見せず、制して「な見そ」と云へば、おのづから学したきこともあるべきか。
昔、鳥羽の法皇7)、御不食のことありて、天下の歎きなりけるに、伏見の修理の大夫8)、心ある人にておはしましければ、伏見へ御幸(みゆき)なし参らせて、「物参らせむ」とて、大福長者にて、蔵ども多かりけるを、ことごとく見せ参らせて、その中に稲(いね)積みたる蔵を見せ参らするとて、「これは稲と申し候ふ」と申して、日たくるまで、供御(ぐご)の沙汰なし。さて入り参らせて、下手女(げすをんな)に稲を抱(いだ)かせて、御前を通させて、「あれをことさらに供御にして参らすべく候ふ。さて遅く候ふ」と申して、「これはもみと申し候ふ」、また、「これは米と申し候ふ」など時尅(じこく)を延べて、午の時まで、すべて物参らせず。ちと物参りたがりける時、纔(はつか)に塵(ちり)ばかりを、「作り9)出だし候ふ」と虚言(そらごと)を申して、欲しがらせ参らせむ料(れう)に、少しづつ殊勝の物どもを参らせられたりければ、それより御口づきて、物参りけり。
真言の中に、法を秘すると云ふも、これていなり。ただよしなく惜しむにはあらず。欣慕(こんぼ)の心をすすめ、愛楽(あいげう)の志深くして習ひぬれば、重々(ぢゆうぢゆう)貴く思ひて、如法に修行するゆゑなり。
先人10)、少食下戸にて侍りしが、京に五条の左衛門の尉と申し候ふ者、このこと知りて、少しづつ殊勝のものども取り出だして、優(いう)にもてなして候ひけること、語り侍りし。
信州にゆかりたる者のもとへ、善光寺参詣のついでにまかりて侍りけるに、あした胡桃(くるみ)の粥を地蔵頭(ぢざうがしら)に盛りて出だしたりけるを始めとして、いろいろの物ひきつづけてもてなし侍りける。後には「何に参らせよ」と云ふを聞きて、頭打ちて、二十日ばかり何物も食せざりしこと、語り侍りし。
されば、「なかなか学問せぬ同法(どうばう)には、聖教も取り隠して見せずして、もしや学したき時の熟するを待つべくや」と思ふかたも侍り。また、「いよいよ遠ざかりて、聞くことなくば、いたづらに死して、多少同法の縁も欠くこともや」と思ふかたも侍り。このこと、まことにはからひがたく侍り。
あはれ、あはれ、「心と学問し、座禅もせよかし」と思ひて、大きなる寺には被巾(ひきん)はき、過(とが)を行ひ侍れども、かつは貧しき寺、万事欠如、ただ身の自由を食(じき)と思ひて、過(とが)行ふことなし。過(とが)行ふ寺も、無道心の僧はその行徳なきがごとし。身は責めてよしなし。心もつとも訓(をし)ふべし。
昔、外道、五熱(ごねつ)の苦行し、四方に火を燃(とも)して、日に頭(かしら)を照らされけり。仏弟子、これを呵(か)して云はく、「牛に車を駕(か)す。車、もし行かざる時は、牛を打つや11)、これ車を打つや。これ車は身のごとく、牛は心のごとし。心をあぶるべし。身をあぶることなかれ」と教へし。されば、談義のついで、かくのごとき雑談(ざうたん)など見て、心おこり、底より思ひよりて、三学斉(ひと)しく修せむことを願ふ。貧しき寺、そぞろに呵責(かしやく)・擯出(ひんじゆつ)これを行ぜず。心あらむ人、愚老が心を知りて、如説行学庶幾(そき/こひねがふ)するところなり。
愚老は、嘉禄二年(丙戌)十二月二十八日(卯時)産まれたる者なり。先人が夢に、「今夜この里に生まれたる者は、大果報の者なり」と云ふ人ありけり。しかるに、先祖12)、鎌倉の右大将家13)に召し仕へて、寵臣(ちようしん)たりと云へども、運尽きて夭亡(えうばう)しおはんぬ。よつてその跡継ぐことなし。
十三歳の時、鎌倉の僧房に住して、十五歳の時、下野の伯母かもとへ下り、十六歳の時、常州へ行きて親しき人に養はれて、十八歳にして出家し、二十ばかりの年、師匠房の譲り給ひしかば、なまじひに請け取りて住しながら、世間不階(せけんふかい)にして、執心なく侍りしままに、ことのついでをもつて二十七歳の時、住房を律院になして、二十八歳の時、遁世の身となりて、律学六七年、本来定恵の学志侍りしかば、三十五歳、寿福寺に住して、悲願長老14)の下(もと)にて、釈論・円覚経講を聞く。(釈論二十七歳、世良田15)にてこれを聞く)16)。座禅など行じ侍りしが、一年までもなくして、脚気(かつけ)持病にて座禅心にかなはず。その後、真言志(こころざし)ありて、三十六歳、菩提山に登りて、形のごとく、東寺の三宝院の一流肝要伝へおはんぬ。
その後、東福寺の開山17)の下(もと)に詣でしに、天台の灌頂・谷の合行・秘密灌頂、ことのついでに伝へおはんぬ。大日経の義釈・永嘉集(やうかしふ)・菩提心論・肝要の録など聞きおはんぬ。もとより疎略、愚鈍・晩学のゆゑ、いづれの宗もその旨(むね)を得ず。ただ、大綱これを聞く。顕密・禅教の大綱、心肝に銘じ識蔵(しきざう)に薫(くん)ず。しかしながら開山の恩徳なり。宗鏡録、退ひて被覧。開山の風情、宗鏡録の意なり。よつて処々思ひ合はせ侍り。
師匠の恩徳、生を経ても忘れがたし。幼年に三井寺18)の円幸教王坊の法橋(ほつけう)に、倶舎頌疏(くしやじゆしょ)ところどころこれを聞く。二十歳の時、法身坊の上人に玄義19)これを聞く。二十九歳、実道坊上人に止観20)これを聞く。菩提山において、法相の法門要処少しこれを聞く。いづれの宗もその旨(むね)を得ず。ただ肝要耳にふるるばかりなり。
当寺に因縁あるゆゑか、あひ通(かよ)ふこと四十三年。無縁の寺、常に煙絶え、衣鉢道具のほか資財の蓄へなし、世間の人の心は、非人のごとく思ひあへり。大果報の夢、もつてのほかにたがひて覚え侍りし。
ただし、よくよく思ひ解くれば、遁世の門に入りて、近代の明匠に仏法の大綱これを聞く。大果報なり。相州の禅門21)、累代の家を継ぎ、果報威勢国王大臣にもなほ勝(すぐ)れて、万人これを仰ぐ。しかるに、物々勝劣・好悪は境縁にこれなし。ただの人の分別の情の上に、仮にこれを論ず。
古人の云はく、「境縁(きやうえん)に好醜(かうしう)なし。好醜は心より起こる。云々」。されば、果報の善悪、人の情分別なり。あひ対してこれを論ず。かの相州に勝(すぐ)れて、心を遣(や)ることこれ多し。年長(としたけ)22)学問、ことには、洛陽諸国の処々(ところどころ)の名所・霊寺・霊社、山門、南都の七大寺、ことには南浮第一の仏と聞こゆる大仏、日本第一の大霊験熊野、生身仏のごとく思える善光寺、大師23)御入定の高野、上宮太子24)の御建立、仏法最初の四天王寺、ならびに彼の御誕生の橘寺、御建立法隆寺御廟窟、かくのごとき霊所、思ふさまにこれを拝す。人間の思ひ出でなれば、これをこそ果報のめでたきとは申しつべけれ。
ことに朝夕用心なき無縁の寺、一物も蓄へず。盗賊の恐れなし。先年。強盗、寺に入りて、土蔵打ち破りて「物やある」と聞きたれば、「犬の屎だにもなかりける」とて、腹立てて去りおはんぬ。その後、うとみて入ることなし。
門は閉ぢず、鈎(つりばり)は懸けず、安穏に起き臥し、第一の快楽(けらく)なり。楽天25)が云はく、「楽は身の自由に在り」。かの果報の身大にして、世間の名所、近国なほ遊行無きこと、これ大鵬(たいばう)のごときゆゑなり。愚老は蟭螟(せうめい)のごとし。荘子の中に、互ひに笑ふことを云へり。まことなるかな。近代の貧家26)、謀反の企て露顕して、誅せられおはんぬ。これを嘲り曰く、「蟭螟大鵬を笑ふの風に背いて、蟷螂(たうらう)隆車(りうしや)を禦(ふせ)ぐの譏(そし)りを招く。鵬を笑ふ蟭螟の身はうらやまし。車をふせぐ蟷螂(いもじり)はいや」。
かの所領は十万町とかや。当寺はただ十町ばかりなり。ことのほかに劣れり。ただし、これも 心には勝(すぐ)れたり。かの禅門は、十万町の外(ほか)は、わが所領のごとく、自在に遊戯(ゆげ)あるべからず。わが分、なほ身大にして見られじ。愚老はいづれの国へも遊行して、自在に身を資(たす)く。わが所領も身に用分は多からず。ただし乞食(こつじき)に似たり。これも、世間の人の思ふに、乞食とて賤しく思へり。
仏法には乞食・頭陀、上行なり。釈尊の三界の独尊、四生の依怙(えこ)たる、みづから衣鉢を持ちて、乞食を行じ給ひき。釈梵語世27)、誰か賤しく思ひし。凡情いたむにたらむ。仏儀もつとも学ぶべし。律の中に、出家の貴きことを云へるには、田宅を蓄へず、四海を家となす。百姓の門に立ちて頭陀を行ず。無尽(むじん)の食(じき)ありとて、恩にもあらず、ただ彼を福せしめんがためなり。
されば、国郡を知行(ちぎやう)するは国王の恩なり。出家は国王も臣(しん)とし給はず。父母も子とせず。されば、龍天八部これを敬ふ。かくのごとく思へば、所知も広く、種姓も高し。いかがこれを悦ばざらむ。
先祖夭亡の事なくは、形のごとく所領をも知行して公家奉公せんには、いかかかくのごとく仏法に薫修(くんじゆ)のことありや。遁世の門に入ること五十余年、その間、学行識に薫ず。生々(しやうじやう)の悦びなり。世間の人を見るに、苦をもつて楽となす。遁世の身は真実の楽なり。楽天28)云はく、「富貴の名のみありて、富貴の実(じつ/まこと)なし」と。書に云はく、「貧しといへども、諂(へつら)ふことなく、富めりといへども、憍ることなし(取意)29)」。いみじき誡めなり。身にも、こればかりは随分に古人の跡を学び侍り。述懐。
へつらひて富める人よりへつらはで貧しき身こそ心やすけれ
楽天云はく。「富貴してもまた苦有り。苦は心の危憂(きう)に在り。貧賤にしてもまた楽有り。楽は身の自由に在り。云々」。処々(しよしよ)に書き侍るにや。愛し思ふままに、楽天の言(ことば)、常に思ひ出だし侍り。また云はく、「匹如身(するすみ)30)の後、何事かある。応向(あしたたぬ)世間は、求むるに所無し。云々」。古人の云はく、「大厦(たいか)千間(せんげん)なれども、夜八尺に臥す。良田万項(ばんきやう)なれども、日に二舛を食す。大人も衣食の身に用ゆる分は、ただ貧家のごとし。げにも名ばかりなり。上に奉(つか)へ下を顧(かへりみ)れば、人の後見か、従者かとぞ見え侍る。功の入ることは、上も下も別なることなし。大なる人は家人・下部多ければ、なほなほ下れば多く費(つひえ)あるか。ただ、座こそ下なれども、主君のごとく下座せるなるべし。上に事(つか)へ下に事(つか)ふるにて侍るべし。
世にあるは思へば人の従者(しようしや)かな上につかわれ下につかはる
天竺の勝軍論師(しようぐんろんじ)と云ひしは、俗ながら仏法を行じて、天文・地理・内典・外典に明らかなりしかば、戒日大王、召して国の師とせんとし給ひしを、辞し申して、「人の禄(ろく)31)を受けぬれば、人のことを憂ふ。生死(しやうじ)の身の纏(まと)へるを断たんと思ふ務めあり。何の暇(いとま)あてか、君につかへん」と申しき。
人を恃(たの)み、恩を蒙ぶりてつかへざるは不忠なり。つかうれば暇なし。「生死解脱の行業、専(もつぱ)らせむ」と思はば、人の恩をかぶる事無くして、貧家もつとも便宜(びんぎ)を得たり。かの論師の言(ことば)、心肝に銘せり。さしもあひがたき仏法にあひながら、よしなき世事に隙(ひま)なくして、空しく死なば、思ひ出であらじ。
大論32)に、「六根具足し、知恵あきらかなりとも、善根を修せず、五欲の楽ばかり思はん人は禽獣と同じ」と云へり。まことに身命(しんみやう)を助け、欲楽を思ふ心は、いかなる鳥獣(とりけだもの)もあることなり。人身とならば、道行これいとなむべし。古徳33)、この文を引きおはつて云はく、「道行いかん。一切無染(むぜん)なるこれなり」と云へり。釈迦の御代には、貧にして道を行じ、弥勒の時は富みて法を悟ると云へり。今の末世に、たまたま滅後の遺弟(ゆいてい)列(つら)なりて、貧なることを悦ぶべし。心あらむ人、歎くに足らず。
貧しきをなにか歎かむ心あらば捨ててもかくしぞあるべかりける
よしやげに貧しき家ぞおのづから世を遁れたる住居(すまひ)なりける
まことしき心なけれど貧しさの恥隠しにぞ世を遁れぬる
世を捨つる形と見えて墨染の袖は貧しき恥隠しかな
「道を学せむと思はば、貧を学せよ」と云へり。仏法に志(こころざし)あらむ人、わざとも貧(ひん)なるべし。これ便宜(びんぎ)を得たる幸ひなり。悲しとばかり思ふべからず。
思ひほどけば、今生富める人は後世たのみなし。道行の身の貧なるは、まことには当来富める人なるべし。一旦は貧しと云へども、来世富みなむこと、悦ぶべし。わづかの夢の中の貧賤、憂ふべからざるものか。
ただし、さしあたりては、また術(じゆつ)なきかたも侍るにや。
ことはりはさるべきことと思へども身の貧しきも悲しかりけり
かかるこそ世を遁れたる形よと思ふ時こそ身の貧しさはなぐさましけり
当寺の作法、常に煙絶え、夏は麦飯(ばくはん)・粥などにて命をつぎ侍り。愚老、病体、万事不階の中に、老子の云へる、禍(わざはひ)の中福(さひはひ)にて、麦飯と粥を愛し侍るゆゑ、分の果報なり。述懐。
さらずとも愛するよしにいひなして世をわたるべき粥と麦飯
麦飯のむまれかかりて好まるるかな
相州禅門34)のこと、かけばくも、勝劣を論ずる尾籠(びろう)なれども、仏法の道理の一義を記せり。同法知音(どうぼふちいん)のためなり。外聞その憚りこれ多し。彼の先祖、夢想のことありて、七代保たるべし云々。しかるに、仏法を信じ徳政行はれ、諸寺に寄進のことこれあり。もつとも久しく保たるべきか。愚推(ぐすい)せることこれあり。そのゆゑは、故義時35)、三度の難を逃れて、その身久しく保たる。
一つには、輪田左衛門尉36)世を乱しし時、故駿河前司平六兵衛尉37)とて、北門堅めたる起請書きながら、反忠(かへりちう)して、彼の一門38)亡びおはんぬ。
二つには、若宮の禅師殿39)、大臣殿40)を打ちて、次の太刀に義時を打たんと思はれけるが、白地(あからさま)に要事ありて、御太刀を文章博士41)に持たせたるを、義時と思ひて博士を打ちてける。これ大きなる幸なり。
三つには、承久の乱れ42)、十善の帝王を敵とし、臣下として身を全うせらるる、希代の大運なり。
相州禅門も、三度の難逃れて、身を全うせらる。城(じやう)の禅門43)、威勢先祖に越えて、人多く随ひき。その企(くはだて)遂げず。平入道44)またこれに同じ。吉見殿45)、武勇抜群なりし。みな亡びぬれば、三宝の帰依ありて、諸寺の行業の力なるべし。
諸寺の寄進、僧衆の帰依、末代はありがたく聞こえ侍り。書に云はく、「妖怪は善政に勝たず。云々」。怪異(けい)多く聞こゆれども、天下安穏なり。政事(まつりごと)おだしき、なほなほ妖怪にすぐる。これは世間の政(まつりごと)なり。まして仏法の徳用(とくゆう)、などか虚無の怪異に勝たざらむ。「邪(じや)は正をおかさず」とも云へば、世法・仏法、正直の行儀いかが、邪偽(じやぎ)の小用に勝たずやと覚え侍り。
故最明寺の禅門46)、幼少の時、遊びに堂作り仏作りなどせられけるを、平左衛門入道47)、諏訪入道48)など、「弓矢取らせ給ふ御身は、弓矢の御遊びこそ候はめ。所詮(しよせん)なき御事なり」と制しけるを、祖父泰時49)、「なしに制する。わが夢に見たることあり。先世、須達長者(しゆだつちやうじや)、祇園(ぎをん)造りし時、東北の角の番匠(ばんじやう)の引頭が生まれたると見えたり。やうあるものなるべし」と申されけるに、日本は天竺より東北の角に当れり。威勢国王のごとく、建長寺建立し、唐僧渡り、唐国のごとく、禅院の作法盛んなること、しかしながら、彼の興業(こうぎやう)なり。建仁寺の本願50)の再誕とも云へり。在世に生まれて、さだめて見仏聞法の益もおはしければ、貴きことなるべし。
天下を自在に成敗せられしかば、ただ国王のごとし。王と云ふは、自在の義なり。承久の後は、関東の計(はからひ)として、院・国王をも遠き島へ移し奉り、公家には関東を御心にまかせず。されば、ただ王の徳用なるべし。
故松下の禅尼51)はありがたき人にておはしける。上東門の女院52)の御事を常に慕ひ申されて、「われもかくありたき」とて、仏法を信じ、行ぜざる者は召し使はれず。かの女院、「人を憑(たの)むと云ふは、身も心も同じやうなるこそ、その形(すがた)なる。われは仏法にすきたる者なり。仏法愛し、信じ、行ぜざらん者、召し使ふべからず」と仰せられて、御中(みうち)の人、男女みな仏法者なり。
西行法師修行の時、武蔵野の中に、法華経を読みて、草の庵に煙も立てざりけるも、上東門院の一郎の判官と云へり53)。北山の奥に人に知られず行ひける二人の比丘尼も、彼の御内の女房なりけると云へり54)。彼の御跡を慕ひて、朝より昼までは他事なく、真言・法華等の行のほか世間のことなかりけり。夕方は酒宴(しゆえん)などもありと聞こゆ。めでたきことなり。うらやましく思ひ侍り。彼の宿因も貴く、当来もなほたのもしきことなり。
さて子孫もみな仏法を帰依。上宮聖霊の御手印の縁起、天王寺55)にあり。先年拝しき。「わが滅後に大きなる寺をも立て、仏法をも弘通(ぐづう)せむ人をば、わが後身と知れ」と記し給へり。されば、知らずなしぬ。この人々56)、在家出家は云ふべからず、聖霊の後身にもおはすらんかし。おろかに思はめや。和光同塵(わくわうどうぢん)の利益、三世(さんぜ)絶えず三国にあまねかるべし。
この巻はことに述懐多し。同法(どうぼふ)、没後(もつご)57)見て、片見(かたみ)と思ひて、菩提をとぶらふべし。あなかしこ、あなかしこ。
上東門院の御事、感じ思ひ侍るままに、「同法も下部(しもべ)も、仏法を学し行じ侍れかし」と思へども、心にかなはぬ者のみあり。わが身の昔の業因(ごふいん)の果報にて、思ふやうなる同法・下部まれなり。一向なきまでは侍らず。形のごとく、身たすくる同法・下部ありとも、十分まではいかかあるべき。
これ人の過(とが)にあらず。ただ、わが罪業のゆゑなり。父母(ぶも)・師長(しちやう)に奉事せず、あるいは謗法(はふぼふ)の所感なるべし。法華58)に云はく、「雖親附人(すいしんふにん)、人不在意。云々」。人みな踈(うと)くなりて、心にかなはぬこと、ただわが過(とが)なり。また、人も情(なさけ/こころ)なく、慈悲なき方もあるべし。
そのゆゑは、本師釈尊、三界(さんがい)の独尊(どくそん)、四生(ししやう)の依怙(えこ)として、三十二相を具し、ことに見者無厭(けんしやむえん)の徳まします。誰かこれを厭(いと)ひ踈(うと)く思ひ奉るべきなる。しかるに、御入滅ありしゆゑを寿量品59)に説き給へるに、「われもし久しく住せば、世に人みな厭怠(えんたい)すべし。入滅(にふめつ)すれば、おのづから恋慕(れんぼ/こひしたふ)の心ありて、解脱道(げだつだう)に入るべし。(取意)」。在世わづかに八十年、説法の時節四十九年、人なほ憍恣厭心(けうしえんしん)あり。御入滅の時、僧ありて、喜び舞ひ遊びけり。迦葉(かせふ)尊者、問ひ給ふに、「入滅を喜ぶ心なり」と云へり。後分60)にこれあり。これ仏の過にあらず。人の罪業のゆゑなり。されば自他の行業みな由(ゆゑ/よし)あるべきか。
愚老、当国に通ふこと、四十三年に及ぶ。人みな厭怠の思ひあるべし。されば年を逐(お)うて親近(しんごん)する知音(ちいん)・在家・出家、まれなり。もつともしかるべきこなり。ただし、昔の因縁にや、芳心の人々さすがままにこれあり。当国の因縁いまだ尽ざるか。老後には随分に、「世間出世、物々道理は、その意を得て、万事心にまかせじ」と思ひて、縁にしたがひて放行して、余算(よさん)を天運にまかすべし。いかにあらむとすれども、心にかなはぬは世間の習ひなり。古人の申されしは、「人も心も、わが心にまかせんとすれば、すべてさることなし。ただ人の心にまかせ、所にまかすれば、いかなる人にもそはれ、いかなる所にもあらるる」と。いみじき詞(ことば)なり。
世の中はあるにまかせてあられけりあらむとすれはあられざりけり
よしさらば物を心にまかせじよ心を物にうちまかせつつ
心をは水のごとくにもちなして方(はう/けた)と円(ゑん/まろ)とを物にまかせん
繋がざる船のごとくに身をなして西も東も風にまかせん
南都に覚念房とて、真言の教相(けうさう)読みて、住処(じゆしよ)定めず、一物も蓄へず、本尊には紙に画きたる弘法大師61)ばかり持ちたり。時の者にて、ただ一人、諸山・寺にて教相談じて、臨終めでたく聞こゆ。先年一度あひ見つかまつりて侍りし。愚老もうらやましく存じながら、病体事と心と相違す。
よつて、「同法・下部、今はさだめて厭怠(えんたい)あらむ」と、心中に思ひながら、無道心のゆゑに、世をもうち捨てずして侍り。仏ならば心にまかせて入滅もさるべし。拙(つたな)く思ひながら、世にまかひ侍り。顕(けん)に付け冥(みやう)に付け、恥づかしく思ひ侍り。
翻刻
愚老述懐 少年師匠譲ル片山ノ院主ヲ世事無キ正体故ニ再三辞退ス而レドモ子 細有テ譲了テ世事丁寧ニ教訓何事モ相ヒ計ウテ被助ケ侍纔ナル 什物其ノ数ヲ不知ラ我カ物ノ人ノ物ノ不見分無正体事歴物ニ如此ノ 是レ道心故ニ非ス只世間無沙汰ニシテ貧ナル因縁自然ニ遁世ノ 媒タルニヤ遁世ノ門ニ入テ随分律ヲ学ヒ又止観等学シキ律ノ 中ニ南山大師ノ事有之昼学律夜坐禅シ智恵深ク御坐ケル 事聞之見テ賢ヲ斉シカラント思ヘル事ヲ思テ夜ハ坐禅セシカトモ 脚気ノ病体有テ志無シ功三十五歳寿福寺ノ悲願長老ノ下ニ/2-13l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/13
自リ春至テ秋ニ叢林ノ作法行之律儀守リキ之東福ノ開山ノ座下ニシテ 禅門ノ録義釈等聞ク之ヲ依テ之ニ如ク形ノ三学斉ク修スル之ヲ志有之 然ルニ身病体心懈怠有学無行但シ如病導師同法ヲ教訓 呵責ス然ルニ不法ノ仁ハ多ク如説ノ僧ハ少シ此ノ事凡夫ノ力不 可及フ然ルニ或ハ親類ノ僧同法不法ハ愚老カ無教訓無正体 故カト思テ譏ル之ヲ此ノ事誠ニ身ノ過難シ免レ但シ聖僧ノ中ニ猶有 失凡夫何ンソ無ランヤ哉舎利弗ノ弟子一人ハ金師ガ子一人ハ浣衣師カ 子金師カ子ニ不浄観ヲ教ヘ浣衣師カ子ニ数息観ヲ教フ依之 多年不得道ヲ仏ノ言ク違機ニ金師カ子ニ可シ教フ数息観ヲ馴ル風 息ニ故浣衣師カ子ニハ可教不浄観ヲ知ル浄不浄ヲ故仍テ即チ得道 シキ聖僧猶ヲ暗シ機ニ何ニ況ヤ凡夫ヲヤ只依テ教誡ニ可得道ヲ者諸 仏菩薩神通自在慈悲甚深也以テ方便ヲ可シ教戒済渡ス然ルニ/2-14r
機生シケレハ仏菩薩猶待テ時ヲ不化セ凡夫ハ不足ラ言フニ云々弟子ノ 作法併為スル師ノ過失ト事是レ不ル可然ル歟世ノ譬ヲ以テ可シ知ル仏 法ヲ学シ行セヨト勧ムルヲ不ル用事譬ハ不食ノ物ニ食ヲ勧ムルニ都テ不 食セ不欲カ如シ心中ニ愛習深ク思ヒ染ヌル事ハ何ニ制スレドモ隠レ 忍テモ寄合テ邪行コレアリ是人モススメス制シ恥ガマシク身損シ 災来ルヲ不知去レハ業ツヨク志シ深キ故ニ人ノ勧メヲマタズ無キ志事ハ 呵責不可及フ何ソ師ノ過ニナサムヤサレハ中々仏法ニスカヌ物ニハ 聖教ヲミセズ制シテナミソト云ハ自ラ学シタキ事モ有ルヘキカ ○昔鳥羽法皇御不食ノ事有リテ天下ノ歎ナリケルニ伏見ノ 修理ノ大夫有ル心人ニテ御坐ケレハ伏見ヘ御幸ナシマイラセテ 物マヒラセムトテ大福長者ニテ蔵共多カリケルヲ悉ク見セマイラ セテ其中ニ稲ツミタル蔵ヲ見セマイラスルトテ是ハ稲ト申候ト/2-14l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/14
申テ日タクルマテ供御ノ沙汰ナシサテ入マイラセテ下手女ニ稲ヲ イタカセテ御前ヲトヲサセテアレヲ殊更ニ供御ニシテマヒラスヘク 候サテヲソク候ト申テ是ハモミト申候又コレハ米ト申候ナト時 尅ヲノヘテ午ノ時マテスベテ物マヒラセスチト物マイリタガリケル 時纔ニチリハカリヲソクリイタシ候トソラ事ヲ申テホシカラセマイ ラセムレウニスコシツツ殊勝ノ物トモヲマイラセラレタリケレハ其ヨリ 御口ヅキテ物マイリケリ真言ノ中ニ法ヲ秘スルト云モコレテイ ナリタタヨシナクヲシムニハアラス欣慕ノ心ヲススメ愛楽ノ志深ク シテ習ヒヌレハ重々貴ク思テ如法ニ修行スル故也 ○先人少食下戸ニテ侍シカ京ニ五条ノ左衛門ノ尉ト申候者 此ノ事知テスコシツツ殊勝ノモノトモトリイタシテ優ニモテナシテ候 ケル事語リ侍シ信州ニユカリタル者ノ許ヘ善光寺参詣ノ次ニ/2-15r
マカリテ侍ケルニアシタ胡桃ノ粥ヲ地蔵頭ニモリテ出シタリケルヲ 始トシテ色々ノ物ヒキツツケテモテナシ侍ケル後ニハ何ニマイラセ ヨト云ヲ聞テ頭打テ二十日計何物モ不食セシ事カタリ侍シ サレハ中々学問セヌ同法ニハ聖教モトリカクシテ見セスシテ モシヤ学シタキ時ノ熟スルヲ待ツヘクヤト思カタモ侍リ又イヨイヨ トヲサカリテ聞ク事ナクハイタツラニ死シテ多少同法ノ縁モ闕ク事 モヤト思カタモ侍リ此ノ事マコトニハカラヒカタク侍リアハレアハレ 心ト学問シ坐禅モセヨカシト思テ大ナル寺ニハ被巾ハキ過ヲ ヲコナイ侍レトモ且ハ貧シキ寺万事闕如只身ノ自由ヲ食ト 思テ過行フ事ナシ過行フ寺モ無道心ノ僧ハ其ノ行徳無カ如シ 身ハ責テヨシナシ心尤モ可訓フ昔外道五熱ノ苦行シ四方ニ 火ヲ燃テ日ニ頭ヲ照サレケリ仏弟子是ヲ呵シテ云ク牛ニ車ヲ駕ス/2-15l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/15
車若シ不ル行カ時ハ牛ヲ打テヤ是レ車ヲ打ヤ是レ車ハ如ク身ノ牛ハ如シ心ノ 心ヲアブルヘシ身ヲアフルコトナカレト教ヘシサレハ談義ノ次如此雑 談ナト見テ心ヲコリ底ヨリ思ヨリテ三学斉シク修セム事ヲ願フ 貧キ寺ソソロニ呵責擯出此ヲ行セス心アラム人愚老カ心ヲ知テ 如説行学処庶幾也 ○愚老ハ嘉禄二年(丙戌)十二月 二十八日(卯時)産タル者也先人カ夢ニ今夜此里ニ生タル者ハ大 果報ノ者也ト云人有ケリ然ルニ先祖鎌倉ノ右大将家ニ召 仕テ寵臣タリト云ヘトモ運尽テ夭亡シ了ンヌ仍テ其ノ跡継ク事ナシ 十三歳ノ時鎌倉ノ僧房ニ住シテ十五歳ノ時下野ノ伯母カ許ヘ 下リ十六歳ノ時常州ヘ行テ親キ人ニ被テ養ハ十八歳ニシテ出家シ 二十計ノ年師匠房ノ譲リ給シカハナマシイニ請取リテ住シナカラ 世間不階ニシテ執心ナク侍シママニ事ノ次ヲ以テ二十七歳ノ時/2-16r
住房ヲ律院ニナシテ二十八歳ノ時遁世ノ身ト成テ律学六 七年本来定恵ノ学志侍シカハ三十五歳寿福寺ニ住シテ悲 願長老ノ下ニテ釈論円覚経講ヲ聞ク(釈論二十七歳/世良田ニテ聞之)坐禅 ナト行シ侍リシカ一年マテモナクシテ脚気持病ニテ坐禅心ニ不 叶ハ其ノ後真言志有テ三十六歳菩提山ニ登テ如ク形ノ東寺ノ三 宝院ノ一流肝要伝了ンヌ其ノ後東福寺ノ開山ノ下ニ詣シニ天台ノ灌 頂谷ノ合行秘密灌頂事ノ次ニ伝了大日経ノ義釈永嘉集菩 提心論肝要ノ録ナト聞キ了ヌ本来疎略愚鈍晩学ノ故何ノ宗モ不 得其ノ旨ヲ只大綱聞之顕密禅教ノ大綱銘シ心肝ニ薫ス識蔵ニ併ラ 開山ノ恩徳也宗鏡録退イテ被覧開山ノ風情宗鏡録ノ意也仍テ 処々思ヒ合セ侍リ師匠ノ恩徳経テモ生ヲ難シ忘レ幼年ニ三井寺ノ円幸 教王坊ノ法橋ニ倶舎頌疏処々聞之二十歳ノ時法身坊ノ上/2-16l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/16
人ニ玄義聞之二十九歳実道坊上人ニ止観聞之於テ菩提 山ニ法相ノ法門要処少シ聞之何レノ宗モ不得其ノ旨ヲ只肝要経ルル 耳ニ計也当寺ニ有ル因縁故ヘ歟相通コト四十三年無縁ノ寺常ニ絶 煙衣鉢道具之外無資財ノ畜ヘ世間ノ人ノ心ハ非人ノ如ク思ヒ合ヘリ 大果報ノ夢以ノ外ニタガヒテ覚エ侍シ但シ能々思ヒ解クレハ遁世ノ門ニ入テ 近代ノ明匠ニ仏法ノ大綱聞之大果報也相州ノ禅門累代ノ 家ヲ継キ果報威勢国王大臣ニモ猶勝レテ万人仰ク之ヲ然ニ物々 勝劣好悪ハ境縁ニ無之只ノ人ノ分別ノ情ノ上ヘニ仮ニ論ス之ヲ古人ノ云 境縁ニ無好醜々々ハ起ル於心ヨリ云々サレハ果報ノ善悪人ノ情分 別也相対シテ論ス之ヲ彼ノ相州ニ勝レテ心ヲ遣ル事多之年長(七十九五尺四寸)学 問殊ニハ洛陽諸国ノ処々ノ名所霊寺霊社山門南都ノ七 大寺コトニハ南浮第一ノ仏ト聞ル大仏日本第一ノ大霊験/2-17r
熊野生身仏ノ如ク思エル善光寺大師御入定ノ高野上宮 太子ノ御建立仏法最初ノ四天王寺并ニ彼ノ御誕生ノ橘寺御 建立法隆寺御廟窟如此霊所思フサマニ拝ス之ヲ人間ノ思 出ナレハ是ヲコソ果報ノ目出トハ申シツヘケレ殊ニ朝夕無用心 無縁ノ寺一物モ不畜ヘ盗賊ノ恐レナシ先年強盗寺ニ入テ土蔵打 破テ物有ト聞タレハ犬ノ屎ダニモナカリケルトテ腹立テ去リ了ンヌ其ノ 後ウトミテ入事ナシ門不閉鈎不懸安穏ニ起キ臥シ第一ノ快 楽也楽天カ云ハク楽ハ在リ身ノ自由ニ彼ノ果報ノ身大ニシテ世間ノ名所 近国猶無コト遊行コレ如大鵬故也愚老ハ如シ蟭螟ノ荘子ノ中ニ 互ニ笑ウ事ヲ云ヘリ実ナル哉近代ノ貧家謀反之企露顕シテ被 誅セ了ンヌ嘲リ之ヲ曰ク背イテ蟭螟笑フノ大鵬之風ニ招ク蟷螂禦ク隆車之譏ヲ 鵬ヲワラフ蟭螟ノ身ハウラヤマシ車ヲフセク蟷螂ハイヤ彼ノ所/2-17l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/17
領ハ十万町トカヤ当寺ハ只十町計也事ノ外ニ劣レリ但シコレモ 心ニハ勝レタリ彼ノ禅門ハ十万町ノ外ハ我カ所領ノ如ク自在ニ 不可有ル遊戯我カ分猶身大ニシテ見ラレジ愚老ハ何レノ国ヘモ遊 行シテ自在ニ資ク身ヲ我カ所領モ身ニ用分ハ不多カラ但シ乞食ニ似タリ コレモ世間ノ人ノ思ニ乞食トテ賤シク思ヘリ仏法ニハ乞食頭 陀上行也釈尊ノ三界ノ独尊四生ノ依怙タル自持テ衣鉢ヲ 行シ乞食ヲ給ヒキ釈梵語世誰カ賤シク思シ凡情イタムニタラム仏 儀尤モマナフヘシ律ノ中ニ出家ノ貴キ事ヲ云ヘルニハ田宅ヲ不 畜ヘ四海ヲ為家ト百姓ノ門ニ立テ行ス頭陀ヲ無尽ノ食アリトテ 恩ニモアラス只彼ヲ福セシメンガタメ也サレハ国郡ヲ知行スルハ 国王ノ恩也出家ハ国王モ臣トシ給ハス父母モ子トセスサレハ龍 天八部敬フ之ヲ如此ノ思ヘハ所知モ広ク種姓モ高シイカカコレヲ/2-18r
悦バサラム先祖夭亡ノ事ナクハ如ク形ノ所領ヲモ知行シテ公家奉公 センニハイカカ如ク此ノ仏法ニ薫修ノ事有哉遁世ノ門ニ入ル事五 十餘年其ノ間学行薫ス識ニ生々ノ悦也世間ノ人ヲ見ルニ以テ苦ヲ 為楽ト遁世ノ身ハ真実ノ楽也楽天云ハク冨貴ノ名ノミ有テ冨 貴ノ実無シト書ニ云ハク雖モ貧シト無ク諂ウコト雖モ冨メリト無憍ルコト(取意)イミシキ誡メ也 身ニモコレハカリハ随分ニ古人ノ跡ヲ学ビ侍リ述懐 ヘツラヒテ冨メル人ヨリヘツラハテマツシキ身コソ心ヤスケレ 楽天カ云ハク冨貴シテモ亦有リ苦々ハ在リ心ノ危憂ニ貧賤ニシテモ亦有リ楽々ハ 在リ身ノ自由ニ云々処々ニ書キ侍ニヤ愛シ思フママニ楽天ノ言常ニ思 出シ侍リ又云匹如身ノ後有ル何事カ応向ヌ世間ハ無シ所求ムルニ云々古 人ノ云大厦千間ナレトモ夜臥ス八尺ニ良田万項ナレトモ日ニ食ス二舛ヲ大 人モ衣食ノ身ニ用ユル分ハ只貧家ノ如シケニモ名ハカリ也上ニ奉ヘ/2-18l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/18
下ヲ顧レハ人ノ後見歟従者歟トソ見ヘ侍ル功ノ入ル事ハ上モ下モ 無別ナル事大ナル人ハ家人下部多ケレハ猶々下レハ多ク費 有ルカ只座コソ下ナレトモ如主君ノ下座セルナルヘシ上ニ事ヘ下ニ 事フルニテ侍ルヘシ 世ニアルハ思ヘハ人ノ従者カナ上ニツカワレ下ニツカハル 天竺ノ勝軍論師ト云シハ俗ナカラ仏法ヲ行シテ天文地理内典 外典ニ明カナリシカハ戒日大王召シテ国ノ師トセントシ給シヲ辞シ 申テ人ノ録ヲ受ヌレハ人ノ事ヲ憂フ生死ノ身ノ纏ヲ断ント思フ務メ アリ何ノ暇アテカ事ヘン君ニト申キ人ヲ恃ミ恩ヲ蒙テ不ルハ事不忠也 事フレハ無シ暇生死解脱ノ行業専ラセムト思ハハ人ノ恩ヲカフル 事無クシテ貧家尤モ得タリ便宜ヲ彼ノ論師ノ言心肝ニ銘セリサシモ難キ 値ヒ仏法ニアヒナカラヨシナキ世事ニ無シテ隙空ク死ナハ思出アラシ/2-19r
大論ニ六根具足シ知恵アキラカナリトモ善根ヲ修セス五欲ノ 楽ハカリ思ハン人ハ禽獣ト同シト云ヘリマコトニ身命ヲタスケ欲 楽ヲ思フ心ハイカナル鳥獣モアル事也人身トナラハ道行是イトナム ヘシ古徳此ノ文ヲ引キ了テ云道行如何一切無染ナル是也ト 云ヘリ釈迦ノ御代ニハ貧ニシテ道ヲ行シ弥勒ノ時ハ冨テ法ヲ悟ト 云ヘリ今ノ末世ニ適滅後ノ遺弟列リテ貧ナル事可シ悦フ心アラム 人ナケクニタラス 貧キヲナニカナケカム心アラハステテモカクシソアルヘカリケル ヨシヤケニ貧キ家ソヲノツカラ世ヲノカレタルスマイナリケル マコトシキ心ナケレトマツシサノ恥カクシニソ世ヲノカレヌル 世ヲスツル形トミエテ墨染ノ袖ハマツシキハチカクシカナ 道ヲ学セムト思ハハ貧ヲ学セヨト云ヘリ仏法ニ志アラム人ワサトモ 貧ナルヘシ是便宜ヲ得タル幸也カナシトハカリ思ヘカラス思ヒホトケハ/2-19l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/19
今生冨ル人ハ後世タノミナシ道行ノ身ノ貧ナルハマコトニハ当 来冨ル人ナルヘシ一旦ハ貧シト云トモ来世冨ナム事悦ヘシ纔ノ 夢ノ中ノ貧賤不可憂者ノ歟タダシサシアタリテハ又無キ 術カタモ侍ルニヤ コトハリハサルヘキコトト思ヘトモ身ノマツシキモカナシカリケリ カカルコソ世ヲノカレタル形ヨト思フ時コソ身ノ貧シサハナクサマシケリ 当寺ノ作法常ニ絶ヘ煙夏ハ麦飯粥ナトニテ命ヲツキ侍リ愚老病 体万事不階ノ中ニ老子ノ云ヘル禍ノ中福ニテ麦飯ト粥ヲ愛シ 侍ル故分ノ果報也述懐 サラストモ愛スルヨシニイヒナシテ世ヲワタルヘキ粥ト麦飯 麦飯ノムマレカカリテコノマルルカナ 相州禅門ノ事カケバクモ勝劣ヲ論スル尾籠ナレトモ仏法ノ/2-20r
道理ノ一義ヲ記セリ同法知音ノタメナリ外聞其ノ憚リ多シ之彼ノ 先祖夢想ノ事有テ七代可被ル保タ云々然ルニ仏法ヲ信シ徳 政被行諸寺ニ寄進ノ事有之尤モ久シク可キ被保可愚推セル事 有之其ノ故ハ故義時三度ノ難ヲ逃テ其ノ身久ク被保一ニハ輪 田左衛門尉乱シ世ヲ時故駿河前司平六兵衛尉トテ北門 堅メタル起請カキナカラ反忠シテ彼ノ一門亡ビ了二ニハ若宮禅師 殿大臣殿ヲ打テ次ノ太刀ニ義時ヲ打ント思ハレケルカ白地ニ 要事有テ御太刀ヲ文章博士ニモタセタルヲ義時ト思テ博士ヲ 打テケルコレ大ナル幸也三ニハ承久ノ乱レ十善ノ帝王ヲ敵トシ臣下 トシテ全身ヲラルル希代ノ大運也相州禅門モ三度ノ難逃テ 全フ身ヲセラレ城ノ禅門威勢先祖ニ越テ人多ク随ヒキ其ノ企 不遂ゲ平入道亦同之ニ吉見殿武勇抜群ナリシ皆ホロヒヌレハ/2-20l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/20
三宝ノ帰依有テ諸寺ノ行業ノ力ナルヘシ諸寺ノ寄進僧衆ノ 帰依末代ハ難ク有リ聞エ侍リ書云妖怪ハ不勝タ善政ニ云々怪 異多ク聞ユレトモ天下安穏也政事ヲタシキ猶々妖怪ニスクル 是レハ世間ノ政也マシテ仏法ノ徳用ナドカ虚無ノ怪異ニ勝タサラム 邪ハ不干サ正ヲトモ云ヘハ世法仏法正直ノ行儀イカカ邪偽ノ 小用ニ不勝哉ト覚ヘ侍リ ○故最明寺ノ禅門幼少ノ 時遊ニ堂作リ仏作リナトセラレケルヲ平左衛門入道諏訪 入道ナト弓矢トラセ給フ御身ハ弓矢ノ御遊コソ候ハメ所詮ナキ 御事也ト制シケルヲ祖父泰時ナシニ制スル我夢ニ見タル事アリ 先世須達長者祇園造リシ時東北ノ角ノ番匠ノ引頭カ生レ タルト見ヘタリ様有ル物ナルヘシト申サレケルニ日本ハ天竺ヨリ 東北ノ角ニ当レリ威勢如国王ノ建長寺建立シ唐僧渡リ如/2-21r
唐国ノ禅院ノ作法盛ナル事併ラ彼ノ興業也建仁寺ノ本願ノ 再誕トモ云ヘリ在世ニ生レテ定テ見仏聞法ノ益モ御坐ケレハ貴キ 事ナルヘシ天下ヲ自在ニ成敗セラレシカハ只如シ国王ノ王ト云ハ 自在ノ義也承久ノ後ハ関東ノ計トシテ院国王ヲモ遠キ嶋ヘ奉リ 移シ公家ニハ関東ヲ御心ニマカセスサレハ只王ノ徳用ナルヘシ ○故松下ノ禅尼ハ難キ有リ人ニテ御坐ケル上東門ノ女院ノ御 事ヲ常ニ慕ヒ申サレテ我モカクアリタキトテ仏法ヲ信ジ行ゼザル 者ハメシツカハレス彼ノ女院人ヲ憑ムト云ハ身モ心モヲナジヤウナル コソ其ノ形タナル我ハ仏法ニスキタル物也仏法愛シ信シ行セサラン 物メシツカフヘカラズト仰セラレテ御中ノ人男女皆仏法者也西 行法師修行ノ時武蔵野ノ中ニ法華経ヲヨミテ草ノ庵ニ煙モ不 立テケルモ上東門院ノ一郎ノ判官ト云ヘリ北山ノ奥ニ人ニシラレス/2-21l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/21
行ヒケル二人ノ比丘尼モ彼ノ御内ノ女房也ケルト云ヘリ彼ノ御跡ヲ シタヒテ朝ヨリ昼マテハ無他事真言法華等ノ行ノ外カ世間ノ 事ナカリケリ夕方ハ酒宴ナトモ有ト聞ユ目出事也浦山敷 思ヒ侍リ彼ノ宿因モ貴ク当来モ猶タノモシキ事也サテ子孫モ 皆ナ仏法ヲ帰依上宮聖霊ノ御手印ノ縁起天王寺ニアリ 先年拝シキ我ガ滅後ニ大ナル寺ヲモ立テ仏法ヲモ弘通セム人ヲハ 我カ後身ト知レト記シ給ヘリサレハ不知為此ノ人々在家出家ハ 云ヘカラス聖霊ノ後身ニモヲハスランカシヲロカニヲモハメヤ和光同 塵ノ利益三世不絶三国ニアマネカルベシ此ノ巻ハ殊ニ述懐多シ 同法没後見テ片見ト思ヒテ可訪フ菩提ヲ穴賢々々 ○上東門院ノ御事感シ思ヒ侍ルママニ同法モ下部モ仏法ヲ 学シ行シ侍レカシト思ヘトモ心ニカナハヌ者ノミアリ我カ身ノ昔ノ業因ノ/2-22r
果報ニテ思様ナル同法下部マレナリ一向ナキマテハ侍ラス如ク 形ノ身タスクル同法下部有トモ十分マテハイカカアルヘキ是人ノ 過ニアラス只我カ罪業ノ故也父母師長ニ不奉事セ或ハ謗法ノ 所感ナルヘシ法華ニ云ク雖親附人々不在意云々人皆踈ク ナリテ心ニカナハヌ事只我カ過也又人モ無ク情無キ慈悲方モアル ヘシ其ノ故ハ本師釈尊三界ノ独尊四生ノ依怙トシテ三十二相ヲ 具シ殊ニ見者無厭ノ徳マシマス誰カ是ヲ厭ヒ踈ク思ヒタテマツル ヘキ也然ニ御入滅有シ故ヲ寿量品ニ説キ給ヘルニ我レ若シ久ク住セハ 世ニ人皆厭怠スヘシ入滅スレハ自ラ恋慕ノ心有テ可入解脱 道ニ取意在世纔ニ八十年説法ノ時節四十九年人猶憍恣 厭心アリ御入滅ノ時僧有テ喜ビ舞遊ヒケリ迦葉尊者問ヒ給フニ 入滅ヲ喜ブ心也ト云ヘリ後分ニ有之此レ仏ノ過ニアラス人ノ/2-22l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/22
罪業ノ故也サレハ自他ノ行業皆可キ有由歟愚老当国ニ通ウ 事及ブ四十三年ニ人皆厭怠ノ思ヒアルヘシサレハ逐フテ年ヲ親近スル 知音在家出家希也尤モ可キ然ル事也但シ昔ノ因縁ニヤ芳心ノ 人々サスカママニ是アリ当国ノ因縁未尽歟老後ニハ随分ニ世 間出世物々道理ハ其ノ意ヲ得テ万事心ニ任セシト思テ随縁ニ 放行シテ余算ヲ天運ニ任スヘシイカニアラムトスレトモ心ニカナハヌハ 世間ノナラヒ也古人ノ申サレシハ人モ心モ我カ心ニマカセントスレハ 都テサル事ナシ只人ノ心ニマカセ所ニマカスレハイカナル人ニモソハレ イカナル所ニモアラルルトイミシキ詞也 世ノ中ハアルニマカセテアラレケリアラムトスレハアラレサリケリ ヨシサラハ物ヲ心ニマカセシヨ心ヲ物ニウチマカセツツ 心ヲハ水ノ如ニモチナシテ方ト円トヲ物ニマカセン/2-23r
ツナカサル船ノ如クニ身ヲナシテ西モ東モ風ニマカセン 南都ニ覚念房トテ真言ノ教相ヨミテ住処定メス一物モ不 畜ヘ本尊ニハ紙ニ画タル弘法大師ハカリモチタリ時ノ者ニテ 只一人諸山寺ニテ教相談シテ臨終目出ク聞コユ先年一度 相見仕テ侍シ愚老モ浦山敷乍存ジ病体事與心相違ス仍テ 同法下部今ハ定テ厭怠アラムト心中ニ思ナカラ無道心ノ 故ニ世ヲモ打ステスシテ侍リ仏ナラハ心ニマカセテ入滅モサルヘシ 拙ク思ナカラ世ニマカヒ侍リ顕ニ付ケ冥ニ付ケ恥ク思ヒ侍リ 雑談集巻第三/2-23l
