text:zotanshu:zotan02-02
巻2第2話(16) 恩を知る事
校訂本文
水獺(かはうそ)十月肥魚(ひぎよ)を取りて親に祭り、烏(からす)は老いたる親を養ふ。これを「反哺(はんほ)の恩」と云ふ。よつて、養はれたる恩を思ひて、養ひかへすゆゑなり。
中昔、伊豆の国のある所の地頭の若く、田狩(かり)のついでに猿を捕りて柱に縛りつけて置きたりけるを、母の尼公(にこう)慈悲ある人にて、「あらいとほし。冠者(くわじや)ばら、足解き許して山へやれ」と云へども、主を恐れて解く者なかりければ、われと解き許して山へ追ひやりてけり。
これは春のことなりけるに、夏のころ、いちごを柏(かしは)の葉に包みて、人のひまに、持ちて来たりてけり。あまりにあはれに覚えて、布の袋に大豆(まめ)を入れて賜びたりける。九月ばかりに、かの袋に栗を入れて持ちて来たりける時、あまりに不思議にも、いとほしくも覚えて、捕へておきて、子ども召して、かかる心ある次第語りて、「これほどに恩を知る心あるものなり。『今より以後、この後に、子々孫々まで、猿殺し悩まさじ』と起請(きしやう)を書け。さらずは、親子の儀あるべからず」とて、起請書かせて、当時までも、かの処に猿殺すことしと申し伝へたり。
されば、恩を知らざる者は、畜類にもなほなほあるべからざるものなり。
翻刻
知恩事 水獺十月肥魚ヲ取テ親ニ祭リ烏ハ老タル親ヲ養フコレヲ反 哺ノ恩ト云仍テ養レタル恩ヲ思テ養ヒ反ス故也中昔伊豆ノ 国ノ或所ノ地頭ノ若ク田狩ノ次ニ猿ヲトリテハシラニシハリツケテ ヲキタリケルヲ母ノ尼公慈悲アル人ニテアライトヲシ冠者原 アシトキユルシテ山ヘヤレト云ヘトモ主ヲ恐レテトク物ナカリケレバ 我トトキユルシテ山ヘヲイヤリテケリ是ハ春ノ事也ケルニ夏ノ比 イチゴヲ柏ノ葉ニツツミテ人ノヒマニモチテ来テケリアマリニアハレニ 覚ヘテ布ノ袋ニ大豆ヲ入テタヒタリケル九月ハカリニ彼袋ニ栗ヲ 入テモチテ来リケル時アマリニ不思議ニモイトヲシクモ覚ヘテ トラヱテヲキテ子共モ召シテカカル心アル次第カタリテ是程ニ恩ヲ/1-29l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384726/1/29
知ル心有ル物也自リ今以後此ノ後ニ子々孫々マテ猿殺シ悩マ サジト起請ヲカケサラズハ親子ノ儀不可有ルトテ起請カカセテ 当時マテモ彼ノ処ニ猿殺ス事ナシト申伝ヘタリサレハ恩ヲ不ル知ラ 物ハ畜類ニモ猶々不ル可有者也/1-30r
text/zotanshu/zotan02-02.txt · 最終更新: by Satoshi Nakagawa
