巻1第9話(9) 同法呵責の事
校訂本文
世間(せけん/よのなか)のことをもつて仏法の理を知るは、これ智人の貌(かたち)なり。火を燃(た)くに、生(なま)しき木は、吹き調ずれども、ことさら燃へず。自(をのづか)ら内火(ないくわ/うちのひ)の勢出でて、外縁(げゑん)を待つゆゑなり。もし一向に外縁に依らば、生しき木も枯たる木も燃ゆべし。このことをもつて、諸事意(こころ)を得べし。
同法等、機生しきことは、呵責(かしやく)及ぶべからず。孔子、弟子の誡めがたきことを云へる、「朽ちたる木をば、彫(ゑ)るべからず。糞土の墻(かき)をば朽(なだら)かにすべからず」1)。この言(こと)明誡(めいかい)なり。
仏菩薩の慈悲方便、一切衆生を頓(とん)に道に入るべし。しかるに、機時を待ちて、漸々(ぜんぜん)に方便し、和光同塵(わくわうどうぢん)し給ふなり。いはんや、凡夫(ぼんぶ)の師、頓に教誡すべからず。肇公(でうこう)2)、「天沢(てんたく)私(わたくし)無しといへども、枯木を生ぜず。仏慈平等なりといへども、無機を益せず。(取意)」。わが身に随分に学解(がくげ)有る、なほ如法ならず。いはんや弟子をや。
律の中に、弟子を教訓すべきことを云へるには、内に慈悲に住し、外(ほか)に威怒(ゐぬ)を現ず。これすなはち、仏菩薩の儀なり。正法輪身は、慈悲に住すること母のごとく、観音等なり。教令輪身は、威怒を現じて父のごとし。不動等なり。内外隠顕(ないげおんけん)差別に似たりといへども、悲智必ず具するなり。よつて、仏教を禀(う)くるの輩(ともがら)、仏化を効(なら)ひて、内に慈悲に住し、弟子を見ること子のごとし。外(ほか)に威怒を現じ、方便に住すること父のごとし。降伏(がうぶく)し摂受(せふじゆ)すべし。これすなはち仏法を守護するの貌(かたち)なり。
聖徳太子の、昔、勝鬘夫人(しようまんぶにん)として十代受を受け給ふ、これすなはち誓願(せいぐわん)なり。または戒なり。その中に摂受正法の願とは、降伏すべきをば守屋3)を降伏し給へるごとく、摂受すべきをば、四十六ヶの伽藍を立て、一千三百の僧尼を度せしかごとく摂受す。このこと随一に闕(か)けじと。あるいは放逸(はういつ)なり。あるいは退転す。
このゆゑに、放逸の同法をば追却(ついきやく)すべし。これ慈悲なり。犯戒放逸にして住せば、寺に五千の鬼(き)、足の跡を払ふべし。現世の小苦をもつて当来の大患に代ふ。何んぞ無慈悲と云はんや。その間事、よくよく斟酌すべし。
学問の器量も慈悲智性も有りて、法命も継ぐべし。同法をば憐むべし。昔の王臣、寺を建て、僧を敬ひ、官途福禄(くわんどふくろく)のことあるもこの意(こころ)なり。道心無しといへども、まづ名利のために、懃(ねんごろ)に顕密を学び、学解によりて法義を知り、法門に依りて道心を発し、仏道を行ふ。所謂(いはゆる)欲の鈎(つりばり)をもつて、引きて道に入る云々。
かくのごときの心無き、いたづらに非器の輩を養ふこと、慈悲に似たりといへども、しかしながら悪趣の因縁なり。ただ牛馬を養ふがごとし。無智の輩、学行無き者は、牛馬の類のごとし。智論4)に云はく、「多聞無く智恵無きは、人身に似たる牛なり。云々」。
これ私に新儀を立つるにあらず。そもそも祖師の教誡に依る。しかれば、師は弟子を子のごとく思ひて、慈悲に住して教訓し、弟子は師に於て仏の想ひを作(な)し敬重すべきなり。高野の大師5)の云はく、「四恩(しおん)の中に父母(ぶも)の恩重しといへども、ただ一世の生身を養ふ。国王の恩貴しといへども、ひとへに現世の栄(えい/さかふる)を喜ぶ。衆生は累世(るいせ)の父母なり。今世の父母のごとくすべからず。
この中に、三宝(さんぼう)の恩、もつとも大なり。ただし、仏法は幽玄(ゆうげん/ふかし)にして知るべからず。菩薩、また現前せず。当時現前の人師の恩、もつとも大なり。父母・国王・衆生の恩を知ること、現前の師の恩による。仏像に言説無し。経論に、「因説のことこれ無し。現世の師、文字・義理、教導の恩もつとも大にしてもつとも貴なり。(取意)」。弟子、心あればこの品に住すべし。師、慈あれば仏化を効ふべし。上に慈あれば、下に信あり。君臣・親子・師弟、その因縁みな同じかるべき者なり。
昔、唐国(からくに)に王あり。唐国の習ひは日域に似ず、后臣(こうしん)座を並べて、夜中に酒宴(しゆえん/さかもり)あり。灯(ともしび)の消えたる時、ある臣下、寵愛(ちようあい)の后(きさき)の手を取る。
后、臣下の纓(えい/かんぶり)を取りて落して、主(あるじ)にこのことを語りて、臣下を誅せしめんと思ふ。その王、仁恵(じんけい)あり。臣下を憐れむゆゑに、諸臣みな纓を取下すべし。その後、火を燃(とも)す。これによりて、彼の臣下、その咎(とが)顕(あら)はれずして命を全す。
その後、国に兵乱あり。強敵禦(ふせ)ぎがたし。一人の臣下あり。身命を捨て、武力を振ひ戦(たたか)ひ禦(ふせ)ぐ。これによりて、賊敵引き退く。王、大きに感じてこれを讃む。臣下、窃(ひそ)かに王に申さく、「后のために命を棄つべきは、臣が身にあるなり」。王の仁恵によりて法命をなす。
教訓せば感あらんこと必せり。弟子、学業廃すべからず。木を燃(た)くに、生木は燃ゆべからず。自然に枯るを待つべし。常に調すれば、また燃えず。捨てて調せざれば燃えず。木の生枯を知り、方便常に調しせせらず。また一向捨てず、時にこれを調すれば、自身よく其の意(こころ)を得るなり。
しかればすなはち同法、子のごとく思ひて、法命を継がんために養育し、常は呵責すべからず。時に慈心に住して教訓すべし。法談の次(ついで)に常にこれを教訓せよ。
厭悪の心に住するの時は、呵責すべからず。必ず悪口に及ぶべし。もし、悪口し、悪念することあれば、当来に怨となるべし。当時も随かはじ。経に云はく、「今世の恨み、意、最もあひ憎嫉せば、興世の転劇大怨と成らしめん」。
また、一向教訓せざること、その咎これあるべし。律の中に、「昔、師、弟子を養ひて、教訓せず。弟子、放逸にして大毒蛇となる。『われ毒蛇となること、師の教訓欠けたるゆゑ』と思ひて、恨みの心深く師を呑みけりと云へり。進退、まことにかたし。もし棄てて訓(おし)へず、弟子のために侵さるべく悪念に住し教訓せば、怨敵となるべし。ただ慈悲の方便に住せば、をのづからこの難を免るべき者か。
悲智具足は菩薩の通行なり。凡夫の師弟、誠にこのこと免れがたし。しかりといへども、随分にこの道理を存じ、漸々に大行を習ふべし。頓に達すべからざるものか。
翻刻
同法呵責ノ事 以テ世間ノ事ヲ知ルハ仏法ノ理ヲ是レ智人之皃也火ヲ燃ニ生シキ木ハ吹キ 調スレトモ故ラ不燃ヘ自ラ内火ノ勢出テ待ツ外縁ヲ故ヘ也若シ一向ニ 依ル外縁ニ生シキ木モ枯タル木モ可燃ユ以テ此ノ事ヲ諸事可得意ヲ 同法等機生キコトハ呵責不可及フ孔子弟子ノ難誡メ事ヲ云ヘル 朽タル木ヲハ不可雕ル糞土ノ墻ヲハ不可朽ニス此ノ言ノ明誡ナリ仏菩薩ノ 慈悲方便一切衆生ヲ頓ニ可入道ニ然ルニ機待テ時ヲ漸々ニ方 便シ和光同塵シ給フ也況ヤ凡夫ノ師頓ニ不可教誡ス肇公天沢 雖無シト私而不生セ枯木ヲ仏慈雖平等ナリト而モ不益セ無機取意我カ 身ニ随分ニ学解有ル猶不如法ナラ況ンヤ弟子ヲヤ律ノ中ニ可キ教訓ス 弟子ヲ事ヲ云ヘルニハ内ニ住慈悲ニ外ニ現ズ威怒ヲ此レ則チ仏菩薩ノ/1-17r
之儀也正法輪身ハ住スルコト慈悲ニ如ク母ノ観音等也教令輪身ハ 現シテ威怒ヲ如シ父ノ不動等也内外隠顕雖似リト差別ニ悲智必ス具スル 也仍テ禀クル仏教ヲ之輩俲テ仏化ヲ内ニ住慈悲ニ見コト弟子ヲ如子ノ外カニ現 威怒ヲ住方便ニ如父ノ可降伏シ摂受ス此レ則チ守護スル仏法ヲ之皃チ也 聖徳太子ノ昔シ為テ勝鬘夫人ト受十代受ヲ給フ此レ則チ誓願也 亦ハ戒也其ノ中ニ摂受正法ノ願ト者可ヲハ降伏ス如ク降伏シ玉ヘル守屋ヲ 可ヲハ摂受ス摂受ス如立テ四十六ヶノ伽藍ヲ度セシカ一千三百ノ僧尼ヲ此ノ 事随一ニ闕ジト或ハ放逸也或ハ退転ス所以ニ放逸ノ同法ヲハ可追 卻是レ慈悲也犯戒放逸ニシテ住セハ寺ニ五千ノ鬼可シ払フ足ノ跡ヲ以テ現 世ノ小苦ヲ代当来ノ大患ニ何ンソ云ンヤ無慈悲ト哉其ノ間事能々可斟 酌学問ノ器量モ慈悲智性モ有テ可継グ法命モ同法ヲハ可シ憐ム 昔ノ王臣建テ寺ヲ敬ヒ僧ヲ有モ官途福禄ノ事此ノ意ロ也雖無道心先/1-17l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384726/1/17
為メニ名利ノ懃ニ学顕密ヲ依学解ニ知法義ヲ依法門ニ発道心ヲ行 仏道ヲ所謂以テ欲ノ鈎引テ入道ニ云々無如此心而徒ニ養コト非器ノ 之輩ヲ雖似タリト慈悲ニ併ナカラ悪趣之因縁也只如養牛馬ヲ無智之 輩無学行者ハ如牛馬ノ類ノ智論ニ云無ク多聞無ハ智恵似タル人身ニ 牛也云々是レ非ス私ニ立ルニ新儀ヲ抑依ル祖師ノ教誡ニ然レハ師ハ弟子ヲ 如ク子ノ思ヒテ住シテ慈悲ニ教訓シ弟子ハ於テ師ニ作仏ノ想ヒヲ可キ敬重ス也 高野ノ大師ノ云四恩ノ中ニ父母ノ恩雖重シト只養フ一世ノ生身 国王ノ恩雖貴シト偏ヘニ喜フ現世ノ栄ヲ衆生ハ累世ノ父母也不可如シク 今世ノ父母ニ此ノ中ニ三宝ノ恩尤モ大也但シ仏法ハ幽玄ニシテ不可知ル 菩薩亦不現前セ当時現前ノ人師ノ恩尤モ大也知ル父母国王 衆生ノ恩ヲ事依現前ノ師ノ恩ニ仏像ニ無言説経論ニ因説ノ事無之 現世ノ師文字義理教導ノ之恩尤大尤貴也取意弟子有ハ/1-18r
心可住ス此ノ品師有慈可効仏化上ニ有レハ慈下ニ有信君臣親 子師弟其ノ因縁皆可キ同カル者ノ也 昔シ唐国ニ有王唐国ノ習ヒハ 不似日域ニ后臣座ヲ並テ夜中ニ酒宴アリ灯ノ消タル時キ或ル臣 下寵愛ノ后ノ手ヲ取ル后キ臣下ノ纓ヲ取テ落シテ主ニ此ノ事ヲ 語テ臣下ヲ誅セシメント思フ其ノ王有仁恵憐ム臣下ヲ故ニ諸臣 皆纓ヲ可取下ス其ノ後チ火ヲ燃ス依テ之ニ彼ノ臣下其ノ咎不シテ顕レ全ス 命ヲ其ノ後国ニ有兵乱強敵難シ禦キ有一人ノ臣下捨身命ヲ振イ武 力ヲ戦ヒ禦ク依テ之ニ賊敵引キ退ク王大ニ感シテ讃ム之ヲ臣下竊ニ申サク王ニ為メニ 后可キハ棄ツ命ヲ有臣カ身ニ也依テ王ノ仁恵ニ為ス法命ヲ教訓セハ有ンコト感必セリ 弟子学業不可廃ス木燃ニ生木ハ不可燃ユ自然ニ可待ツ枯ヲ常ニ調スレハ 又不燃捨テ而不調セ又不燃ヘ木ノ生枯ヲ知リ方便常ニ調シセヽラス 又一向不捨時ニ調スレハ之ヲ自身能ク得其ノ意ヲ也然レハ則チ同法如子ノ/1-18l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384726/1/18
思テ為継法命ヲ養育シ常ハ不可呵責ス時ニ住シテ慈心ニ可教訓ス法 談ノ次ニ常ニ教訓セヨ之ヲ住厭悪ノ心ニ之時ハ不可呵責ス必ス可及フ悪 口ニ若シ悪口シ悪念スルコト有レハ当来ニ可為ル怨ト当時モ不シ随カハ経ニ云 今世ノ恨ミ意最モ相ヒ憎嫉セハ興世ノ転劇使ン成ラ大怨ト 又一向不教訓セ事其ノ咎可有ル之律ノ中ニ昔シ師養テ弟子ヲ而不 教訓セ弟子放逸ニシテ成ル大毒蛇ト我レ毒蛇トナル事師ノ教訓闕 タル故ト思テ恨ノ心深ク師ヲ呑ミケリト云ヘリ進退実ニ難シ若シ 棄テテ不訓ヘ為メニ弟子ノ可被侵サ住シ悪念ニ教訓セハ可成ル怨敵ト只 住セハ慈悲之方便ニ自ヲ可キ免ル此ノ難ヲ者ノ歟悲智具足ハ菩薩ノ通行ナリ 也凡夫ノ師弟誠ニ難免此ノ事雖然ト随分ニ存此ノ道理ヲ漸々ニ 可習フ大行ヲ不可頓ニ達ス者ノ歟/1-19r
