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巻1第8話(8) 上人の事
校訂本文
ある禅僧、律僧比丘尼(びくに)と寄り合ひて、子息多くこれあり。私の利口に云はく、「聖の本(もと)には彼(か)の禅僧の子息なるべし。鴡胎(みさごばら)の鷹の子の、父方に似て雉(きじ)を取り、母方に似て魚(いを)を取らむごとく、父方は達磨大師の末葉(ばつえふ)、宗風に明らかなるべし。母方は南山律師1)の孫裔(そんえい)、戒律を専(もつぱら)すべし。父方・母方無双(ぶさう)の上人なるべし」と云ふ時、ある僧の云はく、「彼の母、さだめて子生まること安穏(あんおん)ならじ。南山(なんざん)の末なるゆゑに」と。此の利口、殊勝なり。
「聖人の子、さだめて貴かるべし」と云ふ時、ある人、難じて云はく、「父に似れば何ぞ貴からむ」。答へて云はく、「もししからば、一生不犯(いつしやうふぼん)の聖の子ばかりぞ、父に似て貴からむ。比興々々」。
大方は物ごとに三品(さんぼん)有り。三品清浄の僧は上品(じやうぼん)、一向犯戒(いつかうぼんかい)の僧は下品(げぼん)、乱行の僧は法衣を帯して道行相雑(まじ)ふるは中品(ちうぼん)なり。経に云はく、「犯戒の僧中心に慚愧(ざんぎ)を懐き、深く自ら悔嘖(けしやく)し、大乗を読誦し、深く三宝を信じ、専ら仏法を護り大乗の行人を供養す。かくのごとき人等は、一向犯戒と云ふべからず。(取意)」。涅槃経の第十巻2)の文なり。
しかれば、得失相応雑(まじ)られば、もし得多くは失を消すべし。失多くは得を消すべし。水火の勢の互ひにあひこれを奪ふ。譬への全分符合すべし。
楞厳経(りょうごんきやう)に五莘(ごしん)の失を説く所には、「十二部経を読誦すれども、賢聖諸天、臭穢(しゆえ)を悪(にく)みて聞かず。鬼神随逐(ずいちく)し、福徳滅し、災禍来たる。(取意)」。神呪功能(じんしゆくのう)のゆゑには、「この呪を誦せば、たとひ犯戒すれども消滅犯罪、風の塵を払ふに咎(とが)無きがごとし。(取意)」。ともにこれ仏説一経の文なり。一を信じ一を信ぜざること、その謂ひあるべからず。これすなはち、水火の譬へをもつて意を得るべし。水多くして火を消し、火盛りにして水を消すこと必然の道理なり。
しかれば、凡夫(ぼんぶ)未断惑(みだんわく)のゆゑに、たとひ犯戒すといへども、仏法修行、またその志深くして、寺院に住し、法衣を着し、常に慚愧(ざんぎ/はぢはづる)の心を懐(いだ)き、懺悔(さんげ)し、修行せば、もし行業勢多くは、さだめて罪障を消すべし。一向在家に住み、すべて道行なき人には勝(すぐ)るべし。
しかるに、世間の人の心中の我等は在家の作法なり。「寺に住みながら不調(ふてう)なり」と誹(そし)る。我が身の一向黒色なるを知らず、他人の雑色(ざうしき)を下(くだ)すこと、しかるべからず。
上品の人は白色のごとし。涅槃経に譬ふるに、斗塩(とえん)を大池に拋(なぐ)るに、味はひ水のごとし。小塩を器水に入るるに、醎苦(かんく/しはゆくにかし)にして飲むべからざるがごとし。(取意)」。智人の行善の中に犯戒ある、池水の塩のごとし。愚者の罪障を作し行善無きは、小器水の塩のごときなり。
梵網3)の誡(いまし)めは、「故起(こき)の心にして犯戒し寺に住する僧をば、五千の鬼神、足跡を払ひて大賊と云ふ。云々」。この説を聞くには、犯戒の身として、一日も寺に住すべからず。また涅槃4)の説は、法衣を着ながら犯戒すとも、慚愧改悔(ざんきかいげ)の心あり、道行を悪(にく)まざれば、一分その益(やく)これあり。ただし、我心を密すべし。慚愧無くひとへに渡世をなすならば、五千の大鬼、もつともこれを畏(おそ)るべし。
もし道行心中に思ひ染みて、法衣も捨てがたく、寺院も楽欲(げうよく)せば、分に随ひて名利を悪(にく)み、執着を棄て、常に三宝の妙境に親近(しんごん)奉事(ぶじ)せば、生死の夢の中の悦びなり。
酔(ゑ)へる婆羅門・花色比丘尼(けしきびくに)の先縦(せんじよう)すでに憑(たの)みあり。学行の儀、多く薫習(くんじゆ)せば、虚妄犯過、漸々に消滅して、さだめて当来如法の聖人と成るべき者なり。
古人の云はく、「生処を熟さしめ、熟処を生ぜしめ、妄業の熟処を生ぜしめ、道行の生処を熟さしむべし」。これ学人の志(こころざし)なるべし。純善の人は上品、善悪あひ雑(まじ)る人は中品、純悪の人は下品なり。もつとも分別すべきことなり。
昔、天竺に王あり。田猟(かり)のついでに、便宜(びんぎ)の寺に詣して仏僧を礼することあり。臣下、これを咲ふ。王、その心を取りて云はく、「釜の湯沸ける底に金銭あり。取るべきやいなや」。答ふ、「取るべからず」。もし冷水をもつて之に入るに、手にあひ随ひて取るべきや」。答ふ、「取るべし」。王の云はく、「家田猟は沸(たぎ)る湯のごとし。仏僧を礼するは冷水のごとし。国務を行ふといへども、仏事を悪まずんば、何ぞこれを咲はんや」。
なぞらへてこれを知るべし。縁によつて戒を犯す、凡夫(ぼんぶ)の常の習ひなり。之によつて、一向仏行を棄つべからず。常懐慚愧(じやうえざんき)して、仏行をもつて罪障を消すべし。何ぞ一向に犯戒し、永く道行を棄んや。もつとも弁(わきま)ふべきことなり。
涅槃経の意(こころ)、大乗の行解(ぎやうげ)は日のごとし。犯罪等は闇のごとし。日出でて闇を滅すこと譬へをもつて信ずべきなり。
翻刻
上人ノ事 或ル禅僧律僧比丘尼ト寄リ合テ子息多ク有之私ノ利口云聖ノ 本ニハ彼ノ禅僧ノ子息ナルヘシ鴡胎ノ鷹ノ子ノ父方ニ似テ取リ鴙母 方ニ似テ取ル魚ラム如ク父方ハ達磨大師ノ末葉宗風ニ明カナルヘシ 母方ハ南山律師ノ孫裔戒律ヲ専スヘシ父方タ母方無双ノ 上人ナルヘシト云フ時或ル僧ノ云彼ノ母定テ子生事安穏ナラジ南 山ノ末ナル故ニト此ノ利口殊勝也聖人ノ子定テ可ト貴云フ時キ或 人難シテ云ク父ニ似ハ何ソ貴ラム答テ云若シ尓者一生不犯ノ聖ノ子 バカリゾ父ニ似テ貴カラム比興々々大方ハ毎物有リ三品三 品清浄ノ僧ハ上品一向犯戒ノ僧ハ下品乱行ノ僧ハ法衣ヲ 帯シテ道行相雑フルハ中品也経ニ云犯戒ノ僧中心ニ懐慚愧深ク/1-15r
自ラ悔嘖シ読誦大乗ヲ深ク信シ三宝ヲ専ラ護仏法ヲ供養ス大乗ノ行 人ヲ如キ此人等ハ一向犯戒ト不可云フ取意涅槃経ノ第十巻ノ 文也然ハ得失相応雑ラレハ若シ得多ハ可消ス失ヲ失多クハ可シ消ス 得ヲ水火ノ勢ノ互ヒニ相ヒ奪フ之譬ノ全分可符合フ楞厳経ニ五莘ノ 失ヲ説ク所ニハ十二部経ヲ読誦スレトモ賢聖諸天臭穢ヲ悪ミテ 不聞鬼神随逐シ福徳滅シ災禍来ル取意神呪功能ノ 故ニハ誦此呪ヲ縦犯戒スレトモ消滅犯罪如風払ニ塵ヲ無カ咎取意 倶ニ是レ仏説一経ノ文也一ヲ信シ一ヲ不信事其謂不可有此レ 則チ以テ水火ノ譬ヲ可得意水多シテ消シ火ヲ火盛ニシテ消ス水ヲ事必然ノ道理 也然ハ凡夫未断惑ノ故ニ縦雖犯戒スト仏法修行又其ノ志深クシテ 住寺院ニ著シ法衣ヲ常ニ懐キ慚愧ノ心ヲ懺悔シ修行セハ若行業勢多ハ 定テ可消罪障一向住在家都無キ道行人ニハ可シ勝ル然ルニ世/1-15l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384726/1/15
間ノ人ノ心中ノ我等ハ在家ノ作法也寺ニ住ミナガラ不調也ト 誹ル我カ身ノ一向黒色ナルヲ不知他人ノ雑色ヲ下ス事不 可然ル上品ノ人ハ如白色ノ涅槃経ニ譬ルニ斗塩拋ルニ大池ニ味ハヒ如シ 水ノ小塩ヲ入器水ニ醎苦ニシテ如シ不ル可飲取意智人ノ行善ノ中ニ 犯戒有ル如池水ノ之塩愚者ノ作罪障ヲ無キハ行善如小器水之 塩ノ也梵網ノ誡メハ故起ノ心ニシテ犯戒シ而住寺ニ僧ヲハ五千ノ鬼神 払テ足跡ヲ云大賊云々此ノ説ヲ聞クニハ犯戒ノ身トシテ一日モ不 可住寺ニ又涅槃ノ説ハ法衣ヲ著ナカラ犯戒ストモ有慚愧改 悔ノ心不レハ悪マ道行ヲ一分其ノ益有之但可密我心ヲ無ク慚愧偏ニ 為ナラハ渡世五千ノ大鬼尤モ可畏ル之若道行心中ニ思ヒ染テ法衣モ 難ク捨テ寺院モ楽欲セハ随分ニ悪名利ヲ棄執著常ニ三宝ノ妙 境ニ親近奉事セハ生死ノ夢ノ中ノ悦ヒ也酔ヱル婆羅門花色比丘/1-16r
尼ノ先縦已ニ有憑学行ノ儀多ク薫習セハ虚妄犯過漸々ニ消滅シテ 定テ当来如法ノ聖人ト可キ成ル者ノ也古人ノ云生処ヲ令熟々処 令生妄業ノ熟処ヲ令生道行ノ生処ヲ可令熟是レ学人ノ志シ ナルヘシ純善ノ人ハ上品善悪相雑ル人ハ中品純悪ノ人ハ下品也 尤モ可キ分別ス事也 昔シ天竺ニ有王田猟之次ニ便宜ノ寺ニ 詣シテ礼スル仏僧ヲ事有リ臣下咲ウ之ヲ王取其ノ心ヲ云釜ノ湯沸ケル底ニ金 銭有リ可ヤ取ル不哉答不可取ル若シ以テ冷水ヲ入之ニ手ニ相随テ可キ 取哉答可取ル王ノ云家田猟ハ如沸ル湯ノ礼スルハ仏僧ヲ如冷水ノ雖 行フト国務ヲ不悪マ仏事ヲ何ンソ咲ハンヤ之ヲ哉准ヘテ可シ知ル之依テ縁ニ犯ス戒ヲ凡夫ノ 常ノ習ヒ也依之ニ一向不可棄ツ仏行ヲ常懐慚愧シテ以テ仏行ヲ可 消ス罪障ヲ何ンソ一向ニ犯戒シ永ク棄ンヤ道行ヲ哉尤モ可キ弁フ事也涅槃経ノ 意大乗ノ行解ハ如日ノ犯罪等ハ如闇ノ日出テ闇ヲ滅ス事以テ譬ヲ/1-16l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384726/1/16
可キ信ス也/1-17r
