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巻1第7話(7) 解行の事
校訂本文
法華の六瑞(ろくずい)の中に、白毫(びやくがう)のこと、甚深(じんじん)の義理これあり。智恵の相、光明なり。愚闇を照らすゆゑなり。解(げ)は万法の一空を照らし、行(ぎやう)は種々に差別(しやべつ)して、まづ有縁(うえん)の一門を専らにすべきなり。古徳の云はく、「解は通達して滞らず。行は一業を専らにす」。
今、この口伝道理あり。証拠あり。白毫は解のごとく、諸国の別々の修行、まづ有縁を専らにす。この表示なり。諸行、六度1)を過ぎず。このことに、禅門の人、相分明ならず。私に料簡(れうけん)す。深修禅定は常のことぞ。六度の中の禅なり。禅門の楞厳(りようごん)等の定(ぢやう)には一往(いちわう)異なり。分別功徳品(ふんべつくどくほん)2)の、五度の行、一念信解の功徳に及ばず。これ般若智恵なきゆゑなり。真般若は必ず定あり。真の禅定は必ず恵あり。
しかればすなはち、また、見仏子・心無所著・以此妙恵・求無上道の説、正しく禅門の修行に当たる。禅門の座禅儀に、「行般若の人」と云へり。但(ただ)の禅定ならば般若と言ふべからず。
天台3)の云はく、「定恵なきは狂せり。恵なきの定は愚なり。闇証(あんじよう)の禅師は智恵なく、文字の法師は定なし。狂愚の誡(いましめ)、祖師の遺訓(ゆいくん)なり。
今の代も、禅師道念ありて、必ず戒儀を専らにし、止観等を学す。律師の智恵あるは、常に座禅を学す。木律僧は心地を信ぜず、荒禅僧は戒律を守らず。これすなはち偏見の失なり。もつとも先哲の跡を効(なら)ふべし。
永嘉大師4)・智覚禅師5)の戒行、ほとんど尋常の律僧に超え、庶幾(こいねがふ)ところなり。真実の智恵必ず定あるべし。真実の禅は決して恵あるゆゑなり。
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解行ノ事 法華ノ六瑞ノ中ニ白毫ノ事甚深ノ義理有之智恵ノ相光明也 照ラス愚闇ヲ故也解ハ照万法ノ一空ヲ行ハ種々ニ差別シテ先ツ可専ラニス有 縁ノ一門ヲ也古徳ノ云ク解ハ通達シテ不滞ラ行ハ専ス一業ヲ今マ此ノ口伝 有リ道理有証拠白毫ハ如解ノ諸国ノ別々ノ修行先ツ専有縁ヲ/1-14r
此表示也諸行不過六度ヲ此ノ事ニ禅門ノ人相不分明ナラ私ニ料 簡ス深修禅定ハ常ノ事ソ六度ノ中ノ禅也禅門ノ楞厳等ノ定ニハ 一往異リ也分別功徳品ノ五度ノ行不及バ一念信解之功徳ニ 是レ無キ般若智恵故ヘ也真般若ハ必ス有定真ノ禅定ハ必ス有恵 然レハ則チ又見仏子心無所著以此妙恵求無上道ノ説正ク 当ル禅門ノ修行禅門ノ座禅儀ニ行般若ノ人ト云ヘリ但ノ禅定 ナラハ不可言フ般若ト天台ノ云無定恵ハ狂セリ無恵之定ハ愚 也闇証ノ禅師ハ無ク智恵文字ノ法師ハ無定狂愚之誡メ祖師ノ 遺訓ナリ也今ノ代モ禅師有テ道念必ス専ニシ戒儀学ス止観等ヲ律師ノ 有ルハ智恵常ニ学ス座禅ヲ木律僧ハ不信心地ヲ荒禅僧ハ不守ラ戒律ヲ 是レ則チ偏見ノ之失也尤モ可効フ先哲ノ之跡ヲ永嘉大師智覚禅 師ノ戒行殆ド超尋常ノ律僧ニ所庶幾也真実ノ智恵必ス可シ有ル定/1-14l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384726/1/14
真実ノ禅ハ決テ有ル恵故ヘ也/1-15r
