醒睡笑 巻5 上戸
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校訂本文
俗云はく、「衆生の欲に随ひ、種々説法するなれば、一隅には限るべからず。昔日聞く、分別功徳論に云はく『祇園に比丘有り。病して六年を経たり。優婆梨(うばり)1)往きて須ゆる所を問ふ。答ふ、『唯酒を思ふ』と。優婆梨曰はく、『我の仏に問ふを待て』と。遂に園に至り仏に問ふ。『比丘有り。病みて酒を薬と為(なさ)んと思ふ。不審、可ならんや、否や』と。仏言く『我が制法する所は病苦の者を除く』と。優婆梨、復た往き、酒を索(もと)めて飲2)ましむ。病尋(つ)いで平復して重ねて為に法を説き羅漢果を得たり。仏、優婆梨を讃して、『汝この事を問ふに、すなはち比丘を病瘥し、また使道を得る』と云々」。大聖釈迦、酒を以て薬と為すを得せしめ、飲者には剰(あまつさ)へ羅漢果を得せしめ、優婆梨をして道を得たらしむ。これを以て思へ、酒の功の甚しきこと、焉より大なるは莫(な)し。静に理を案ずるに、賤貧の漁父の行状3)、家々網を晒し船を牽く、破笠鶉衣(はりつじゆんい)、矮屋茅店(わいおくばうてん)も、酒を行(の)み、酔を既(つく)す事を願ふも、 道に麹車に逢ひ口に涎を流し、明朝の雨天を恐るる者も、忽ち蓑衣を解く。当に深切なるを思ふべし。淵明4)が図に、謝幼槃5)は『田家酒熟夜扣門、頭上自有漉酒巾。老農時問桑麻長、提壺提搕来相親。一樽径酔北窓臥、蕭然自謂羲義皇人6)。(田家酒熟して夜門を扣き、頭上に自ら漉酒巾有り。老農時に問ふ桑麻の長ずることを。壺を提げ搕をを提げ来りて相親しむ。一樽径(ただちに)酔ひて北窓に臥す。蕭然として自ら羲義皇の人と謂ふ。)』と。件の晋の陶酔漢7)は、生涯米穀一石を瓶に入れ置き、以て四時の楽と為す。また無弦之琴を弾じて憂を消す。これを呼びて第一の達磨と為す」。
僧云はく、「梵網の古迹に、酒に耽り放逸なれば、後必ず悔有らん。自らの正念を失ひ、本心を違ふ故に、まさに作すべからざるを作し、まさに言ふべからざるを言ふ。悪として造(いた)らざるは無しと云々。己れが利根に迷ひ、聖賢の義を背かば、石を懐て渕に入るにいづれぞ」。
翻刻
濁乱メレハ彼人ヲ堕叫喚獄俗云随衆生欲種々説法ナレハ不可 限一隅ニハ昔日聞分別功徳論ニ云祇園ニ有比丘病シテ経六年ヲ 優婆梨往テ問ヲ所須ユル答唯思酒ヲ優婆梨曰待テ我問仏遂 至園ニ問仏有比丘病テ思酒為ント薬ト不審可ナランヤ否仏言我カ所 制法除病苦ノ者ヲ優婆梨復往索酒令歓病尋(ツイテ)平復シテ重ニ 為ニ説法得タリ羅漢果仏讃ニ優婆梨ヲ汝問ニ此事便比丘ヲ病/n5-33r
瘥又使得道云々大聖尺迦令得以酒ヲ為薬ト飲者剰得 羅漢果ヲ使テ優婆梨得タリ道ヲ以テ此ヲ思ヘ酒ノ功甚莫シ大ナルハ於焉ヨリ 静案理賤貧漁父行状(アリサマ)家々晒網牽ク船破笠鶉衣 矮屋茅店モ行ノミ酒(ヲツクス)既酔ヲ事ヲ願モ道逢麹車口流涎恐ル明朝ノ 雨天ヲ者モ忽解蓑衣当ント思フ深切セヨ淵明カ図ニ謝幼槃カ田家酒 熟シテ夜扣門ヲ頭上自有漉酒巾老農時問ヲ桑麻ノ長スルコトヲ提壺ヲ 提搕ヲ来相親ム一樽径(タンヤニ)酔ヲ北窓ニ臥ス蕭然トシテ自謂義皇上人ト 件晋ノ陶酔漢生涯米穀一石ヲ瓶ニ入置キ以為四時ノ楽ト又 弾シテ無弦之琴消ス憂ヲ呼テ之為第一ノ達磨ト僧云梵網ノ古/n5-33l
迹ニ耽酒放逸ナレハ後必有悔失フ自ノ正念ヲ違フ本心ヲ故ニ作ル不応 作言ヲ不応言無悪トシテ不ト造云々己レカ迷利根ニ背カハ聖賢ノ義ヲ孰(イツレヲ) 若懐テ石入ルニ渕ニ俗云学一篇不兼二道同片闇如来蔵/n5-34r