醒睡笑 巻5 上戸
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校訂本文
僧云はく、「汝、遠師1)を比して類とすることを止めよ。色心倶(とも)に天地雲泥なり。遠公の如しは勤了して傍に飲む。その二道の中、易きは学んて飲み勤むるを奈何(いかん)ともせず。廬山集に、『眼空四座麒麟楦2)、心在百年鸚鵡盃。(眼は四座の麒麟掟を空(むな)しうす。心は百年鸚鵡盃に在り。)』と。煩悩即菩提、犯者に生死有り。即涅槃無火入はこれか。成実論に『酒是実罪耶。答罪。所以者何。飲酒為悩衆生、故而是罪因。若人飲酒、則開不善之門、以能障定及諸善法、如植衆果。(酒は是実に罪なりや。答ふ、罪なり。所以は何ぞ。飲酒衆生を悩ますが為に、故にこれ罪因なり。もし人酒を飲めば、則ち不善之門を開きて、以てよく定及諸善法に障ること、衆果を植うるがごとし。)』云々。倶舎3)に云はく、『莫軽小悪、以為無殃。水滴雖微、漸盈大器。(小悪を軽んじ、以て殃(わざわ)ひ無しとするなかれ。水滴は微なりといへども、漸(やうや)く大器を盈(み)たす。)』とあれば、異人悪を作(な)し、異人苦報を受くるにあらず。悪業の競ふ所、責は一人に帰すなり」。
俗云はく、「去りしころ、法相4)の比丘に聞くこと有り。『夫れ、十波羅蜜の行ずる。前の五波羅蜜は福行。後の五波羅蜜は智行。第六の恵波羅蜜は根本智なり。根本智とは無分別智なり』と。僧は文字言句を謂はず。心に認めて他人の思出まで止めんとや。『李白一斗詩百篇、長安市上酒家眠。天子呼来不上船。自称臣是酒中仙。(李白一斗詩百篇、長安市上の酒家に眠る。天子呼び来たれども船に上らず。自ら称す臣はこれ酒中の仙。)』と云へり。李太白は酔中に主上の礼儀を忘却せり。これ無分別智の境界にあらずや。蘇子5)云はく、『客喜笑洗盞更酌。(客喜び笑ひて盞(さかづき)を洗ひ更に酌む。)』と。黄子6)に云はく、『客至還須飲、逢朋7)起自斟。(客至らばまたすべからく飲むべし。朋に逢ひては起きて自ら斟む。)』と。貴富賤貧、客を得て興を思はぬはなし。酒の外何を以て愛を尽さんや。
僧云はく、「小智は菩提の妨げなるかな。前(さき)に云ふ十波羅蜜は、根本智にて竟(をは)るかや。初地の入心には、麁煩悩を断じたるばかりなり。已下の四波羅蜜の後得智を以て、細煩悩を地に断じ、十真如を悟解して、十地の薩埵に至るなり。この位を弁ぜずして、漫(みだ)りに何ぞ理を伺はんや。沙弥戒経に『飲酒に三十六失有り』と説けり。乃至(ないし)この四は身心散乱の失を出ださる。言はずして知りぬべし。唐の太宗三鏡の中に、『以人為鏡、可以明得失。(人を以て鏡と為し、以て得失を明らかにすべし。』と。最も合頭せる狂歌あり。
酒は唯(ただ)飲まねば須磨の浦閑(さび)て飲めば明石の浪風ぞ立つ
時々これを吟じて諸を免るるに如かじ」。
翻刻
鱠炙(クハイシヤ)アツル人口ニ寔古今ノ絶勝也僧云汝比シテ遠師ヲ止ヨ為ルコト類ト色心 倶天地雲泥如シハ遠公ノ勤了傍飲ム其二道之中易キハ学ンテ飲ミ 勤不奈何トモセ廬山集眼空ス四座麒麟掟ヲ心ハ在百年鸚鵡盃ニ 煩悩即菩提有犯者生死即涅槃無火入者是歟成実論ニ 酒ハ是実ニ罪ナリ耶答罪ナリ所以者何飲酒為悩カ衆生ヲ故而是罪 因ナリ若人飲酒則開テ不善之門ヲ以能障定及諸善法如植衆 果ヲ云々倶舎云莫軽小悪以為無殃水滴雖微漸盈ト大 器有レハ非異人作悪異人受苦報悪業所競責メ帰ス一人也 俗云去(サリシ)比法相ノ比丘有聞コト夫十波羅蜜ノ行スル前ノ五波羅蜜/n5-28r
福行後ノ五波羅蜜ハ智行第六ノ恵波羅蜜ハ根本智根本 智ト者無分別智也僧不謂文字言句認テ心他人ノ思出 迄止メントヤ李白一斗詩百篇長安市上酒家ニ眠ル天子呼来ドモ 不上船自称ス臣ト是酒中仙ト云リ李太白カ酔中ニ主上ノ礼義ヲ 忘却セシ此非無分別智ノ境界ニ乎蘇子云客喜笑洗盞更 酌黄子ニ云客至ラハ還タ須飲逢明起自斟貴富賤貧得テ 客ヲ興ヲ思ハヌハナシ酒外以何尽ンヤ愛ヲ耶僧云小智ハ菩提ノ 妨哉前キニ云十波羅蜜ハ根本智ニテ竟ルカヤ初地ノ入心ニハ断シタル麁 煩悩ヲ計也以已下四波羅蜜後得智ヲ細煩悩ヲ地ニ断シ十/n5-28l
真如ヲ悟解テ至ル十地ノ薩埵ニ也不弁此位ヲ漫ニ何伺ンヤ理沙弥戒 経ニ飲酒有ト三十六失説ケリ乃至此四ハ身心散乱ノ失ヲ出サル不 言而可知ヌ矣唐ノ太宗三鏡ノ中以人為鏡可以明得失ヲ 最合頭セル狂哥アリ 酒和唯飲禰波須磨の浦閑天飲波明石能浪風楚立 時々吟之不如免諸/n5-29r