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醒睡笑 巻4 いやな批判
1 母の娘に向かひそちははや年二十になれど・・・
校訂本文
母の、娘に向かひ、「そちははや年二十(はたち)になれど、つひに苧(お)を績(う)むすべさへ知らいで」と叱りけるを、隣なる家主の女房、居あはせて、「それやうに、あいだてなさうにものは言はぬものじや。これのおごは、今年二十にこそならるれ。智恵も付く時分があるものぞ」と言ひなだめければ、「そなたより、われが生みの母にて、よく知りたり。あれは二十になるにすうだ」といふ。「二十でこそあれ」といさかひ果てず。
かかるところへ、年至極の姥(うば)来たり。「何事を言ふて、からかひ給ふぞ。何のおごの年ならば、何のまぎれもないことが、われがところにある。取りて来て理をすまさん」と、急ぎ内に行き、大きなるふくべを一つ取りて来たれり。
「こは何物ぞや」と問ふ時、「これでざつとすうだ。あのおごの生まれ年に、このふくべがなりてあつた」と。
『姥が年代記』にて、いよいよ知れず。1)
翻刻
いやな批判 一 母のむすめにむかひそちははや年二十に なれとつゐにおをうむすへさへしらいてと しかりけるをとなりなる家主の女房居あ はせてそれやうにあいたてなさうに物はいはぬ 物じやこれのお五はことし廿(はたち)にこそならるれち ゑもつく時分かあるものそといひなためけれは 其なたよりわれかうみの母にてよくしりた りあれは二十になるにすうたといふ廿(はたち)でこ/n4-26l
そあれといさかひはてすかかるところへ年至 極の姥来り何事をいふてからかひ給ふそ何 のお五の年ならはなにのまきれもない事が われが処にあるとりてきてりをすまさんと いそき内にゆき大なるふくへを一つとりて 来れりこは何物ぞやととふ時これでざつと すうたあのお五のむまれとしに此ふくべか なりてあつたと うはか年代記にていよいよしれす/n4-27r
1)
底本、この文小書き。
text/sesuisho/n_sesuisho4-028.txt · 最終更新: 2021/11/25 00:59 by Satoshi Nakagawa