下巻 十一月 30 比叡霜月会
校訂本文
比叡霜月会(ひえのしもつきゑ)
比叡(ひえ)1)の霜月会は、唐土(もろこし)の天台大師2)の忌日(きにち)なり。大師は南岳の恵大師(ゑだいし)3)の弟子、陳・隋両代の帝師なり。南岳は位六根を浄め、天台は悟り五品(ごほん)に昇れり。
天台大師、はじめて生れ給ひしとき、光、室(むろ)に満てり。二人の僧たちまちに来たりて、「この子は必ず出家すべし」と言ひて、すなはち失せぬ。七歳にして寺に詣でて、一度(ひとたび)聞くに普門品(ふもんぼん)4)を得たり。十八にして髪を剃りて、初めて大蘇山5)に登れり。南岳大師、手を取りてのたまはく、「昔、霊山に在りて同じく法華を聴く。宿縁の追ふ所、今復(また)来たれり」とのたまへり。法華三昧(ほふくゑさんまい)を得たり。智恵深明(ちえしんみやう)にして無碍(むげ)の弁才(べんさい)を得たり。説法窮(きは)まり無し。南岳大師、常に身に代へて経を講ぜしめたまふ。
夢に、高き山の上に、僧の立ちて招くを見る。後にはじめて天台6)に登れるに、定光菩薩(じやうくわうぼさつ)といふ聖僧(しやうぞう)、待ち悦べる形、昔の夢のごとし。すなはち、この山に留まり住み給ふ。
陳の代の帝(みかど)、菩薩戒の弟子となりて、師を尊びて智者大師と名付け奉り、大師、口をすすぎて経を述べ説けば、弟子の灌頂大師7)、筆を取りて紙に記す。その時おけるあまたの文、みな公(おほやけ)に奉り世に広めたり。
開皇十七年十一月二十四日に、維那(ゐな)に告げてのたまはく、「命まさに終はりなむとす。鐘の声を聞きて、正念を増さむ。久しく打て。息の絶えむを限りとせよ」とのたまひて、長くゐて動かず。定(ぢやう)に入るがごとくにて終はりぬ。天(あめ)の雲めぐりたなびきて、風寒くいたむ。山の木低(た)れ傾き、水むすび悲しぶ。十日、顔の色同じくして誤らず。身にあまねく汗流れて、生き給へる時のごとし。
忌日に至るごとに公家(おほやけ)の政(まつりごと)を止(や)む。使をさして千僧を供養せしめ給ふ。斎場(さいぢやう)に僧を数(かぞ)ふれば、千僧に一を余(あま)せり。名を呼びてこれを記せば、また数のごとし。供養を送れば、また余りぬ。こと終はりぬれば満ちぬ。すなはち知りぬ。大師の来たりて、僧にまじり給ふなりけりと。
奇妙のこと、説き尽すべからず。もしこれを知らむと思はば、記せる文を尋ねよ。唐高僧 伝(たうかうそうでん)ならびに霊応伝(りやうおうでん)等に見えたり。
伝教大師8)、深く大師9)の恩を思ひて、延暦七年の十一月に、はじめて七大寺の名僧十人を請じて、比叡の山の狭(せば)き室にして、はじめて十講を行へり。十日終りて、その明くる朝(あした)二十四日、大師供(だいしぐ)を行ふ。霊応図(りやうをうず)10)を堂の中(うち)に懸けて供養す。供物を庭の前より送るに、荼(だ)を煎じ菓子を供ふ。天台の昔に奉供(ぶく)するに同じ。花を捧げ香を伝ふ。震旦の煙を思ひやる。
時々鐃鈸(ねうばち)を打ち、かたがた画讃を唱ふ。すべて、天竺・震旦・わが国の諸道の祖師達をも供(く)を供へて、同じく奉る。画賛は顔魯公11)が天台大師を讃め奉れる文なり。智証大師12)、唐土(もろこし)より伝へたるなり。
智証大師は讃岐国の人なり。その母夢に空の日を口に入ると見て孕(はら)めり。いときなきより文を読み経を誦す。天長の中ごろ、はじめて山に登れり。義真座主(ぎしんざす)、悦びて弟子とせり。仁寿三年の秋、唐に渡りて法を求む。天安二年夏、帰朝して道を伝ふ。
そもそも天台の跡を広めたる寺々に、同じく法華経を講じて、大師供を行ふことあまたなり。梵網経(ぼんまうきやう)にのたまはく、「もし仏子は父母(ぶも)・和尚・阿闍梨の過去の日、大乗経を読誦し講説すべし」とのたまへり。このゆゑに、末の御弟子の心ざしをもても、大師の恩を報ひ奉らむといそぐなり。
翻刻
比叡霜月会 比叡ノ霜月会ハモロコシノ天台大師ノ忌日也大師ハ南/n3-74l・e3-72l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/74
岳ノ恵大師ノ弟子陳隋両代ノ帝師也南岳ハ位六根 ヲキヨメ天台ハサトリ五品ニノホレリ天台大師ハシメテ生レ 給シトキ光室ニミテリ二人ノ僧忽ニ来テ此子ハカナラス 出家スヘシトイヒテ即ウセヌ七歳ニシテ寺ニ詣テ一度聞 ニ普門品ヲエタリ十八ニシテ髪ヲ剃テ初テ大蘇寺(山イ)ニ 乃ホレリ南岳大師手ヲ取テノ給ハク昔在霊山同聴 法花宿縁ノ所追今復来レリトノ給ヘリ法花三昧ヲ エタリ智恵深明ニシテ无㝵弁才ヲエタリ説法無窮シ/n3-75r・e3-73r
南岳大師常ニ身ニカヘテ経ヲ講セシメ玉フ夢ニ高キ山 ノウヱ(エ)ニ僧ノ立テマネクヲミル後ニハシメテ天台ニ乃ホレルニ 定光菩薩トイフ聖僧マチ悦ヘルカタチ昔ノ夢ノコトシ即 此山ニトトマリスミ給フ陳ノ代ノ御門菩薩戒ノ弟子トナリテ 師ヲタウトヒテ智者大師トナツケタテマツリ大師口ヲススキテ 経ヲノヘトケハ弟子ノ灌頂大師筆ヲトリテ紙ニシルス其 時ヲケルアマタノ文ミナヲホヤケニタテマツリ世ニヒロメタリ開 皇十七年十一月廿四日ニ維那ニツケテノ給ハク命マサニ終ナム/n3-75l・e3-73l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/75
トスカネノコヱヲ聞テ正念ヲマサムヒサシクウテイキノタエムヲ カキリトセヨトノ給テナカクヰテウコカス定ニ入カコトクニテ 終ヌ天ノ雲メクリタナヒキテ風サムクイタム山ノ木低(タレ)傾(キ)水 ムスヒカナシフ十日カホノ色同クシテアヤマラス身ニアマネク 汗ナカレテイキ玉ヘル時ノコトシ忌日ニ至コトニ公家ノマツリ コトヲヤム使ヲサシテ千僧ヲ供養セシメ給フ斎場ニ僧ヲ カソフレハ千僧ニ一ヲアマセリ名ヲ呼テコレヲシルセハ又カスノ コトシ供養ヲ送レハ又アマリヌ事終ヌレハミチヌ即知/n3-76r・e3-74r
ヌ大師ノ来テ僧ニマシリ給ナリケリト奇妙ノ事トキツクス ヘカラスモシコレヲシラムト思ハハシルセル文ヲタツネヨ唐高僧 伝并霊応伝等ニ見エタリ伝教大師フカク大師ノ恩ヲ 思テ延暦七年ノ十一月ニハシメテ七大寺名僧十人ヲ請シテ ヒエノ山ノセハキ室ニシテハシメテ十講ヲ行ヘリ十日ヲハリ テソノアクル朝廿四日大師供ヲオコナフ霊応(リヤウヲウ)面ヲ堂ノ中ニ カケテ供養ス供物ヲ庭ノマヘヨリオクルニ荼ヲ煎シ菓子 ヲソナフ天台ノ昔ニ奉供スルニヲナシ花ヲササケ香ヲツタフ/n3-76l・e3-74l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/76
震旦ノ煙ヲ思ヤル時々鐃鈸ヲウチカタカタ画讃ヲトナフ スヘテ天竺震旦我国ノ諸道ノ祖師達ヲモ供ヲソナヘテ同 クタテマツル画賛ハ顔魯公カ天台大師ヲホメタテマツレル文 也智証大師モロコシヨリ伝ヘタル也智証大師ハ讃岐国ノ人 也其母夢ニソラノ日ヲ口ニ入トミテハラメリイトキナキヨリ 文ヲヨミ経ヲ誦ス天長ノナカコロハシメテ山ニノホレリ義真 座主悦テ弟子トセリ仁寿三年ノ秋唐ニ渡テ法ヲモトム 天安二年夏帰朝シテ道ヲツタフ抑天台ノアトヲヒロメ/n3-77r・e3-75r
タル寺々ニ同ク法花経ヲ講シテ大師供ヲ行事アマタ也梵網 経ニノ給ハクモシ仏子ハ父母和尚阿闍梨過去ノ日大乗経 ヲ読誦シ講説スヘシトノ給ヘリコノユヘニスヱノ御弟子乃心 サシヲモテモ大師ノ恩ヲムクヒタテマツラムトイソク也/n3-77l・e3-75l