下巻 十月 28 山階寺維摩会
校訂本文
山階寺維摩会(やましなでらのゆいまゑ)
昔、大織冠(だいしよくくわん)内大臣鎌足の大臣(おとど)1)、山城の宇治の郡(こほり)山階の村の陶原(すゑはら)の家に住む。久しく身の病ありて、公(おほやけ)に仕へず。新羅2)の尼ありて、その家に至れり。内大臣問ひて云はく、「その国にかかる病する人ありや」と。答へて云はく、「病あり」。また問ふ、「いかが治(ぢ)する」。答へて云はく、「維摩詰(ゆいまきつ)の形をあらはして、維摩経を読めばすなはち止(や)みぬ」と云ふ。
これによりて、大臣、家の中に堂を建てて、その像をあらはし、その経を講ぜしむ。すなはちこの尼を講師(かうじ)とす。初日、まづ問疾品(もんしつぼん)を講ず。大臣の病すなはち止みぬ。また明くる年より、年ごとにこれを行なふ。大臣失せ給ひて、このこと絶えぬ。
大臣の二男(になん)不比等(ふひと)3)、年若くして父におくれぬ。やうやく仕へ昇りて、大臣の位に至る。また身に病あり。その祟(たた)りを占はするに、「親の時の法事の絶えたる祟りなり」と言へり。
このゆゑに維摩会を行ふ。陶原の家より、法光寺4)に移し行ふ。この法光寺5)より、殖槻寺(うゑつきでら)に移し行ふ。後に不比等の大臣(おとど)、興福寺を建て給ふ。かの山階の陶原の家の堂具を渡し造れるによりて、奈良の京に建てたるを山階寺(やましなでら)といふなり。
法光寺を、時の人、初めは中臣寺(なかとみでら)といふ。内大臣、初めて藤原の姓を賜はりてより後、藤原寺といふ。その後、代々(よよ)の聖朝(せいてう)、みなこの氏の腹に生まる。世々(せぜ)の賢臣(けんしん)、多くこの門跡(もんぜき)を継げり。寺の栄え会(ゑ)の大きなることしかるべしと見えたり。氏の上達部(かんだちめ)よりはじめて五位に至るまで、衾(ふすま)を縫ひて僧に施すこと、縁起ならびに雑記等に見えたり。
そもそも、この経の問疾品は、仏6)の、浄名(じやうみやう)7)の病を訪(と)はしめ給へることなり。維摩詰、かりに方便をもて病を示せり。国王・大臣よりはじめて諸人(もろびと)の来り訪(とぶら)ふこと数なし。答へて云はく、「この身、夢のごとし。まことと思ふべからず。この身は雲のごとし。久しからずして消え失せぬ。諸(もろもろ)の人、みなこの身を厭(いと)ひて、まさに仏の身を願ふべし」。
仏、また文殊8)を使として、維摩詰を訪ひ給ふ。かねて知りて、室(むろ)の中を空しくして、ただ一つの床(ゆか)をのみ置けり。文殊至りて問ひ給ふ。「この病は何によりておこれるぞ。つくろはんに験(しるし)ありなむや。いかにしてか止むべし。仏、ねむごろに訪ひ給ふ」と言ふ。摩詰答へて云はく、「衆生(しゆじやう)9)、病すれば、我も病す。衆生、病癒ゆれば、われまた癒えぬ。また菩薩の病は大悲(だいひ)よりおこれり」と言ふ。また問ふ、「この室は、いかなれば空しくて人もなきぞ」。答へて云はく、「諸仏の国土もまたまたかくのごとし」と言ふ。
これよりはじめて、互ひに深く妙法を演説し、諸(もろもろ)の善きこと等をあらはし示す。聞く者、見る者、多く大菩提心(だいぼだいしん)をおこし、大乗の悟りを開く。摩詰、すなはち病の床より起きて、文殊とともに仏所に詣で給ひき。
浄名はこれ大菩薩なり。病の空しきを述べたる経なれば、これを講ぜしに、験(しるし)を得たるなり。
翻刻
十月 山階寺維摩会 昔大織冠内大臣鎌足のおとと山城の宇治のこほり山階の 村のすゑはら(陶原)の家にすむ久く身の病ありておほやけにつかへ/n3-70r・e3-68r
す新羅(百済イ)の尼ありて其家にいたれり内大臣問て云其国 にかかる病する人ありやと答て云病あり又問いかか治する 答云維摩詰の形をあらはして維摩経をよめは即やみぬと 云これによりて大臣家の中に堂をたてて其像をあらはし其 経を講せしむ即此尼を講師とす初日まつ問疾品を講す 大臣の病即やみぬ又あくる年より年ことにこれをおこなふ大臣 うせ給てこ乃事たえぬ大臣の二男不比等年わかくして父に をくれぬ漸くつかへ昇て大臣の位にいたる又身に病あり其/n3-70l・e3-68l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/70
祟をうらなはするにをやの時の法事のたえたるたたりなりといへり このゆへに維摩会をおこなふ陶原の家より法花(光イ)寺にうつし行ふ 此法花寺より殖槻寺にうつしおこなふ後に不比等のをとと興福寺 をたて玉ふ彼山階の陶原の家の堂具をわたしつくれるによりて 奈良の京にたてたるを山階寺といふ也法光寺を時の人初は 中臣寺といふ内大臣はしめて藤原の姓を給てより後藤原寺 と云其後代々の聖朝みなこの氏の腹に生る世々の賢臣 おほくこの門跡をつけり寺のさかへ会の大なる事しかるへしと/n3-71r・e3-69r
みへたり氏の上達部よりはしめて五位にいたるまて衾をぬひて 僧にほとこす事縁起并雑記等に見たり抑此経の問疾品は 仏の浄名のやまひをとはしめ給へる事也維摩詰権かりに方便 をもて病をしめせり国王大臣よりはしめて諸人の来訪事 かすなし答云此身夢のことしまことと思へからす此身は雲 のことし久からすしてきえうせぬ諸の人皆こ乃身をいとひて まさに仏の身をねかふへし仏又文殊を使として維摩詰を とふらひ給かねてしりて室の中を空くしてたた一のゆかをのみ/n3-71l・e3-69l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/71
おけり文殊いたりてとひ給此病は何によりておこれるそつくろはん にしるしありなむやいかにしてかやむへし仏ねむころに訪給といふ 摩詰答て云衆生(人イ)病すれは我も病す衆生病いゆれは我又 いえぬ又菩薩のやまひは大悲よりおこれりといふ又問ふ此室は いかなれは空くて人もなきそ答云諸仏の国土も又々如此し といふこれよりはしめて互にふかく妙法を演説し諸の善事 等をあらはししめすきく物みる物多く大菩提心をおこし大乗 のさとりをひらく摩詰即病の床よりをきて文殊とともに/n3-72r・e3-70r
仏所に詣給き浄名はこれ大菩薩也病のむなしきを乃へたる経 なれはこれを講せしにしるしをえたる也/n3-72l・e3-70l