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text:sanboe:ka_sanboe3-26

三宝絵詞

下巻 八月 26 八幡放生会

校訂本文

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八幡放生会(やはたのはうじやうゑ)

八幡の大菩薩は、もとわが国の聖の御門1)にいます。弘仁十四年2)、官符(くわんぷ)に云はく、「神主大神浄丸(おほみわのきよまろ)3)が申文(まうしぶみ)に云はく、『この大菩薩は、これ誉田(ほんだ)の天皇4)なり。昔、欽明天皇の御代に、豊前国宇佐郡馬城(まき)の嶺(みね)に初めてあら はれいます。その後、菱形小椋(ひしかたをぐら)の山に移り給へり。今の宇佐宮(うさのみや)これなり。天平三年5)に、彼処(かしこ)に威験を述べあらはれて、公(おほやけ)御幣(ごへい)を奉れり』」。

また辛島(からしま)の勝氏(かちのうぢ)が奉れる日記に云はく、「八幡三所、始めには広幡八幡大明神(ひろはたのやはただいみやうじん)と申しき。今は護国霊験威力神通大自在王菩薩(ごこくれいげんゐりきじんづうだいじざいわうぼさつ)と申す。

養老四年に大隅・日向の両国に軍兵(ぐんびやう)あり。祈り申すによりて、大神(おほみわ)、公家の軍(いくさ)と共にあひ向ひて、戦ひし給ひしかば、禰宜(ねぎ)辛島勝波豆米(からしまのかつはづめ)つかまつる。その敵(あだ)を6)討ち平らげて帰り給ひぬ。

ここに託宣ありてのたまはく、『兵人(ひやうにん)7)ら多く殺しつ。その罪を失なはむがために、放生会(はうじやうゑ)を毎年(としごと)に行ふべし』」。これによりて、諸国に祝はれ給へる所々は、必ず海の辺(ほとり)、川の畔(ほとり)なり。

みな放生会を行ふ。山城の僧俗、神社の司、価(あたひ)をもて、多く海人(あま)を呼び、漁(すなどり)する人の殺さむとする魚を買ひ取りて、僧をもて呪願(じゆぐわん)せしめて、水に放つなり。

仏の説き給へるを聞けば、およそ心あらむもの、みな命惜しまぬはなし。形は異なれども、身を痛むことは同じ。

梵網経(ぼんまうきやう)に云はく、「人、慈悲をもて放生せよ。六道衆生(ろくだうしゆじやう)は、みなこれ先世(せんぜ)のわが父母(ぶも)なり。殺して食ふ者は、父母を殺して食ふなり。このゆゑに、常に放生を行へ。もし世の人の畜生を殺さむを見ん時は、方便(はうべん)して救ひ助けよ」とのたまへり。

また、六度集経(ろくどしふきやう)に云はく、「昔、市に行けるに、河亀(かはかめ)を売る者あり。これをみて価(あたひ)を問ふに、云ふに従ひて多く与へつ。買ひ取りて、水に放ちて、その游(およ)ぎ去るを見て、悲しび悦ぶこと心に深し。

しかる後、夜、この亀来たりて門を叩く。この人怪しびて出でて見るに、亀、語りて云はく、『われ思ひき。恩を受けて身を<全(また)くし命を得たり。報いむと思ふにあたはず。わづかに知れることを継げむ。大水(おほみづ)出でなむとす。とく船をまうけよ』と言ふ。

この人、あくる朝(あした)に宮の門(かど)に至りて、王にこのよしを申さしむ。この人、さかしき心あるによりて、王、このことを用ゐて高き所に移り給ひぬるに、洪水すでに出でたり。王、つひに後にこの人を大臣とせり。手を取りて宮に入り、座を並べて道を語らひ給ひき」と云へり。

雑宝蔵経(ざふほうざうきやう)に云はく、「昔、一人の羅漢ありて、一の沙弥(しやみ)を使ふ。この沙弥を見るに、七日といはむ朝(あした)に必ず死ぬべし。暇(いとま)を乞ひて家に帰る道の中に、諸(もろもろ)の蟻の子の、水に流れて死なむとするを見て、悲しび憐れぶ。みづから袈裟を脱ぎて、土を入れて、水をせきつ。蟻の子をすくひ取りて、高く乾ける所に置きつ。ことごとくみな生くことを得たり。8)師、大に奇(あや)しぶ。定(ぢやう)に入りて見るに、さらに事なし。蟻の子を救へる力をもて、命を延ぶと知りぬ。

もし人、位を得むと思はば放生をせよ。かの亀を買ひし報ひを疑はざれ。もし人、命を延べむと思はば放生せよ。かの蟻を救ひし力を頼むべし」。

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 八幡放生会
八幡ノ大菩薩ハモト我国ノ聖ノ御門(応神)ニイマス弘仁十四年(十年イ)官符
云神主大神(和イ)浄丸カ申文ニ云此大菩薩ハ是誉田ノ天皇ナリ
昔欽明天皇御代ニ豊前国宇佐郡馬城(キ)ノ嶺ニハシメテアラ
ハレ坐ス其後菱形小椋(ヒシカタヲクラ)ノ山ニウツリ玉ヘリ今ノ宇佐宮是也
天平三年(五イ)ニ彼処ニ威験ヲノヘアラハレテヲホヤケ御幣ヲ/n3-65l・e3-63l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/65

タテマツレリ又辛嶋ノ勝(カチノ)氏カタテマツレル日記ニ云八幡三所
始ニハ広幡八幡大明神ト申キ今ハ護国霊験威力神通
大自在王菩薩ト申養老四年ニ大隅日向ノ両国ニ軍
兵アリ祈申ニヨリテ大神公家ノ軍ト共ニアヒ向テ戦
シ給シカハ禰宜辛嶋勝波豆米(カツハツメ)ツカマツルソノアヒタヲ(アタイ)ヲウチタヒ
ラケテカヘリ給ヌ爰ニ託宣アリテ乃給ハク兵人等オホクコロ
シツ其罪ヲウシナハムカタメニ放生会ヲ毎年ニ行フヘシコレニ
ヨリテ諸国ニイハハレ給ヘル所々ハカナラス海ノ辺川ノ畔也ミナ/n3-66r・e3-64r
放生会ヲオコナフ山城ノ僧俗神社司アタヒヲモテオホク
海人ヲヨヒスナトリスル人ノ殺サムトスル魚ヲ買取テ僧ヲモテ
呪願セシメテ水ニハナツナリ仏ノ説給ヘルヲキケハ凡ソ心アラムモノ
ミナ命ヲシマヌハナシカタチハコトナレトモ身ヲ痛ム事ハ同シ
梵網経ニ云人慈悲ヲモテ放生セヨ六道衆生ハ皆是先世ノ
我父母也コロシテクフ者ハ父母ヲコロシテクフ也此故ニ常ニ放生
ヲ行ヘモシヨノ人ノ畜生ヲコロサムヲミン時ハ方便シテスクヒ
タスケヨト乃給ヘリ又六度集経ニ云昔市ニユケルニ河亀ヲ/n3-66l・e3-64l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/66

ウル者アリ是ヲミテアタヒヲ問ニ云ニシタカヒテオホクアタヘツ
カヒ取テ水ニ放テソノ游(ヲヨキ)サルヲミテカナシヒ悦事心ニフカシ
然後夜コノ亀来テ門ヲタタク此人アヤシヒテ出テ見ルニ
亀語テ云ク我レ思ヒキ恩ヲウケテ身ヲマタクシ命ヲエタ
リムクイムト思ニアタハスワツカニシレル事ヲツケム大水出ナムト
ストク船ヲマウケヨトイフ此人アクル朝ニ宮門ニイタリテ王ニ此
ヨシヲ申サシムコノ人サカシキ心アルニヨリテ王此事ヲモチヰテ
タカキ所ニウツリ給ヌルニ洪水ステニ出タリ王ツヒニ後ニコノ人/n3-67r・e3-65r
ヲ大臣トセリ手ヲトリテ宮ニイリ座ヲナラヘテ道ヲカタラヒ給
キトイヘリ雑宝蔵経ニ云昔一ノ羅漢アリテ一ノ沙弥ヲツカフ
コノ沙弥ヲミルニ七日トイハム朝ニ必スシヌヘシイトマヲコヒテ家ニ
カヘル道ノ中ニ諸ノアリノ子ノ水ニナカレテシナムトスルヲミテ
カナシヒアハレフミツカラケサヲヌキテ土ヲイレテ水ヲセキツアリノ
子ヲスクヒトリテタカクカハケル所ニオキツコトコトク皆イク事ヲエタリ
師大ニアヤシフ定ニ入テミルニサラニ事ナシ蟻ノ子ヲスクヘル力ヲ
モテ命ヲ乃フト知ヌ若人位ヲエムト思ハハ放生ヲセヨ彼亀/n3-67l・e3-65l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/67

ヲ買シムクヒヲウタカハサレ若人命ヲノヘムト思ハハ放生セヨ彼蟻
ヲスクヒシ力ヲタノムヘシ/n3-68r・e3-66r

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/68

1) , 4)
応神天皇
2)
底本「十年イ」と傍書。
3)
底本「神」に「和イ」と傍書。
5)
底本「三年」に「五イ」と傍書。
6)
「敵を」は底本「あひたを」に「アタイ」と傍書。傍書及び、前田家本「敵」により訂正。
7)
「兵人」は前田家本「隼人」。
8)
前田家本、ここに「暦七日還来」とある。
text/sanboe/ka_sanboe3-26.txt · 最終更新: 2024/12/31 13:12 by Satoshi Nakagawa