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text:sanboe:ka_sanboe3-24

三宝絵詞

下巻 七月 24 盂蘭盆

校訂本文

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盂蘭盆(うらぼん) 自恣(じし)を加ふ

盆供(ぼんぐ)は仏1)のおはしましし世より始まれるなり。盂蘭盆経(うらぼんきやう)に云はく、「目連、はじめて六通(ろくつう)を得て、『父母(ぶも)を度(わた)して養ひ立てたる恩を報ひん』と思ひて、その生まれたらむ所を見るに、その母、餓鬼の中に生まれて、飢ゑ痩せたることかぎりなし。皮と骨と連なり立てり。目連、悲しみ泣きて、鉢に飯を盛りて行きて母に与ふ。左の手しては、飯を授く。右の手しては、いささか取りて食はむとするに、いまだ口に入らぬに、飯、すなはち火となり炭となりぬれば、食ふことあたはず。

目連、悔い悲しびて、仏に申す。仏のたまはく、『なんぢが母は罪重し。なんぢ一人助くべきにあらず。七月十五日に百千(ももち)の味、五の果物、諸(もろもろ)のむまき果物を供へて、盆の中に入れて、十方(じっぽう)の僧に供養せよ。この日は、もろもろの道を求め位に入る声聞(しやうもん)・縁覚(えんがく)・十地(じふち)の菩薩、かりに僧の形に現はれて、みな来たりて飯を受く。これらの自恣(じし)の僧を供養すれば、この世の父母も、七世の父母も、三途の苦しびを出づること得(う)』とのたまふ。目連が母、この日に一切の餓鬼の苦しみをまぬかれぬ。

目連、また仏に申す、『わが母のまぬかれぬるは、三宝(さんぼう)の力なり。もし末の世の御弟子(みでし)も、もしまたこのことすべしや』と。仏ののたまはく、『もし比丘(びく)も、比丘尼(びくに)も、国王も、王子も、大臣も、宰相も、三公も、百官も、よろづの民も、もろもろの孝あらむ者は、みなこの歓喜(かんぎ)したまふ日、僧の自恣する日に、味を調(ととの)へて、盆に入れて、もろもろの僧に供(ぐ)せよ。現世の父母のためにもせば、命(いのち)百年にして病(やまひ)なく、七世の父母かためには、餓鬼の苦しびを離れて、天の楽しびを受けしめむと乞ひ願へ。孝を行ははむ者は、念々(ねんねん)に常に思ひ、念々に恩を報ひよ』とのたまへり」。

これより後は、天竺(てんじく)にも大唐(だいたう)にもみな行ふらむ。わが国の公(おほやけ)・私(わたくし)も、あまねくいそぐ。

心地観経(しんぢくわんきやう)に仏のたまへるを見れば、「世の人は子によりてもろもろの罪を造る。三途に落ちて永く苦しびを受く。その子、聖(ひじり)にあらず、神通なければ、輪廻(りんね)すらむをも見ずして、報ゆべきことかたし。その子、後に思ひて功徳を作れば、大きなる金(こがね)の光ありて地獄を照らす。光の中に声ありて、その父母に知らしむれば、昔作りし所の罪を思ひ出でつ。一念の悔ゆる心にみな消え失せて、暇もなく受くる苦しび長くまぬかるることを得つ」とのたまへり。子を思ひける親の心ざし、すでにねむごろなりき。親を導く子の心ざし、今日いかでかおろそかならむ。

そもそもこの日悪を作れば、すなはち自恣を行ふ。堂の前の庭を払ひて、寺の中の僧を集む。臈(らう)の次(ついで)にまかせて座を連ね、律の文(もん)によりてことを伝へたり。この時に力に従へるものをまうけて、座に満てる僧に施す人あり。あるいは柳の枝を削れり。律に云はく、「比丘は楊枝(やうじ)を用ゐることを許す。五つの利益(りやく)あり」といへれば。

あるいは、朴(ほを)の皮、干薑(かんかう)・訶梨勒丸(かりろくぐわん)を包めり。付法蔵経(ふほうざうきやう)に云はく、「薄拘羅(はくくら)、昔の世に一人の比丘頭を病むを見て、一の訶梨勒(かりろく)を与へたりき。その後九十一劫、良き身に生まれて楽しびを受け、この身に百六十歳長き命を得て病(やまひ)なし」といへり。

あるいは、紙・墨・筆を求めたり。大集経(だいしふきやう)に云はく、「紙・墨・筆をもちて法師に施して、経法(きやうぼふ)を書き写さしむれば、智恵を得(う)」といへり。

あるいは、扇をはれり。正法念経(しやうぼふねんきやう)に云はく、「僧を見て、扇を施して、経法を読み誦せしむるは、命終りて風行(ふぎやう)天に生まる。香ばしき匂ひ来たり吹きて、喜び楽しび並びなし」といへり。

いづれの物か人に与ふるに、果報軽(かろ)く少なからむ。その中に、僧に施す功徳はことに勝(すぐ)れたり。

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 盂蘭盆 加自恣
盆供ハ仏ノヲハシマシシ世ヨリハシマレル也盂蘭盆経ニ云目連
ハシメテ六通ヲエテ父母ヲワタシテヤシナヒ立タル恩ヲムクヒン/n3-61r・e3-59r
ト思テ其生レタラム所ヲミルニソノ母餓鬼ノ中ニ生テ飢ヤセ
タルコトカキリナシ皮ト骨トツラナリタテリ目連カナシミナキテ
鉢ニ飯ヲモリテユキテ母ニアタフ左ノ手シテハ飯ヲサツク右ノ
手シテハイササカトリテクハムトスルニイマタ口ニイラヌニ飯スナハチ
火トナリスミトナリヌレハクフ事アタハス目連クヒカナシヒテ仏ニ
申仏ノタマハク汝カ母ハ罪ヲモシ汝ヒトリタスクヘキニアラス
七月十五日ニモモチノ味五ノクタ物諸ノムマキクタ物ヲソナヘテ
盆ノ中ニイレテ十方ノ僧ニ供養セヨ此日ハモロモロノミチヲ/n3-61l・e3-59l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/61

モトメ位ニイル声聞縁覚十地ノ菩薩カリニ僧ノ形ニアラハレテ
ミナ来テ飯ヲウクコレラノ自恣ノ僧ヲ供養スレハコノヨノ父母モ
七世ノ父母モ三途ノ苦ヒヲ出ル事得ト乃タマフ目連カ母
コノ日ニ一切ノ餓鬼ノクルシミヲマヌカレヌ目連又仏ニ申我
母ノマヌカレヌルハ三宝ノ力ナリモシスヱノヨノ御弟子モ若又
此事スヘシヤト仏ノノ玉ハク若比丘モ比丘尼モ国王モ王子モ
大臣モ宰相モ三公モ百官モヨロツノ民モモロモロノ孝アラム
モノハミナコノ歓喜シ玉フ日僧ノ自恣スル日ニ味ヲトトノヘテ/n3-62r・e3-60r
盆ニ入テモロモロノ僧ニ供セヨ現世ノ父母ノタメニモセハ命百
年ニシテ病ナク七世ノ父母カタメニハ餓鬼ノクルシヒヲハナレテ
天ノ楽ヒヲウケシメムトコヒネカヘ孝ヲヲコナハムモノハ念々ニツネ
ニ思ヒ念々ニ恩ヲムクヒヨト乃玉ヘリコレヨリ乃チハ天竺ニモ大
唐ニモミナ行フラム我国ノ大ヤケワタクシモアマネクイソク
心地観経ニ仏ノタマヘルヲミレハ世人ハ子ニヨリテモロモロノツミヲ造
ル三途ニヲチテナカククルシヒヲウクソノ子ヒシリニアラス神通
ナケレハ輪廻スラムオモ見スシテムクユヘキ事カタシソノ子後ニ/n3-62l・e3-60l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/62

思ヒテ功徳ヲツクレハ大ナル金ノ光アリテ地獄ヲ照ス光ノ中ニ
コヱ有テソノ父母ニシラシムレハ昔ツクリシ所ノ罪ヲ思出テツ
一念ノ悔ル心ニミナキエウセテヒマモナク受ルクルシヒナカクマヌ
カルル事ヲエツトノタマヘリ子ヲ思ヒケルオヤノ心サシ已ニネムコロ
ナリキヲヤヲミチヒク子ノ心サシ今日争カオロソカナラム抑此日
悪ヲツクレハスナハチ自恣ヲオコナフ堂ノマヘノ庭ヲ払テ寺ノ
中ノ僧ヲアツム臈ノ次ニマカセテ座ヲツラネ律ノ文ニヨリテ
コトヲツタヘタリ此時ニ力ニシタカヘルモノヲマウケテ座ニミテル/n3-63r・e3-61r
僧ニホトコス人アリ或ハ柳ノ枝ヲケツレリ律ニイハク比丘ハ楊枝
ヲモチヰルコトヲユルス五ノ利益アリトイヘレハ或ハ朴皮(ホヲノカハ)干薑(カンカウ)
訶梨勒丸ヲツツメリ付法蔵経ニ云薄拘羅昔ノ世ニヒトリノ
比丘頭ヲヤムヲミテ一ノカリロクヲアタヘタリキ其後九十一劫ヨキ
身ニ生テ楽ヒヲウケコノ身ニ百六十歳ナカキ命ヲエテ病ナシト
イヘリ或ハ紙墨筆ヲモトメタリ大集経ニ云紙墨筆ヲモチ
テ法師ニホトコシテ経法ヲカキウツサシムレハ智恵ヲウトイヘリ
或ハ扇ヲハレリ正法念経ニ云僧ヲミテ扇ヲホトコシテ経法ヲ/n3-63l・e3-61l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/63

ヨミ誦セシムルハ命終リテ風行(フキヤウ)天ニムマル香キ匂来リ吹テ
ヨロコヒタノシヒナラヒナシトイヘリ何レノ物カ人ニアタフルニ果報
カロクスクナカラムソノナカニ僧ニホトコス功徳ハ殊ニ勝タリ/n3-64r・e3-62r

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/64

1)
釈迦如来
text/sanboe/ka_sanboe3-24.txt · 最終更新: 2024/12/25 18:29 by Satoshi Nakagawa