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text:sanboe:ka_sanboe3-22

三宝絵詞

下巻 六月 22 東大寺千花会

校訂本文

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東大寺千花会(とうだいじのせんげゑ)

東大寺は天(あめ)の御門1)の建て給へるなり。「ひとへに王の力にて行へば、民の苦しみ多かるべし」とのたまひて、太政官の知識文(ちしきのもん)を作りて、国々に下しつかはして、「一つの木、一の土くれをも、力に従ひて加ふべし」と言へり。天(あめ)の下、これに従ふこと、草の風になびくがごとし。

はじめて堂の壇を築(つ)く日、まづ御門、鋤(すき)をとりて、土をすき給ふ。后(きさき)、袖に土を入れて運び給ふ。大臣よりはじめて諸(もろもろ)の人、一人も逃れ怠る者なし2)

大仏あらはれ給ふ日、堂塔(だうたう)出で来たりぬるに、この国もと金(こがね)なくして、塗り飾るにあたはず。金(かね)の御岳(みたけ)3)の蔵王4)に祈り申さしめ給ふ。「今、法界衆生(ほふかいしゆじやう)のために寺を建て、仏を造れるに、わが国金(こがね)なくして、この願なりがたし。つてに聞く、この山に金ありと。願はくは分かち給へ」と祈るに、蔵王、示し給はく、「この山の金は、弥勒の世に用ゐるべし。われはただ守るなり。分かちがたし。近江の国志賀郡(しがのこほり)の川のほとりに、昔、翁の居て釣りせし石あり。その上に如意輪観音(によいりんくわんのん)を造りすゑて、祈り行はしめ給へ」とあり。

すなはち尋ね求むるに、今の石山の所を得たり。観音を造りて祈るに、陸奥(みち)の国よりはじめて、金出で来たるよしを申して奉れり。すなはち年号を改めて天平勝宝といふに、寺を供養し給ふころほひ、行基(ぎやうき)菩薩・良弁(らうべん)僧正・婆羅門僧正・仏誓5)・ふしみの翁・このもとの翁などいへる、跡を垂れたる人々を、あるいはわが国に生まれ、あるいは天竺より来たりて、御願を助けたり。

その間に奇(あや)しく妙(たへ)なること多かれども、文(もん)に多かれば記さず。続日本紀、東大寺の記文等に見えたり。寺の中に年ごとにあまたの法会を行ふ。事(こと)多ければ入れず。

この月6)には千花会を行ふ。多くの蓮(はちす)の花をもちて仏に供養し奉るなり。経7)にのたまはく、「もし人、花を取りて、空(そら)の中に投げ散らして、十方の仏に奉れば、善根(ぜんこん)8)限りなし」と言へり。

また、賢愚経(けんぐきやう)に説くを聞けば、「花天比丘(けてんびく)9)は長者の子なり。形うるはしきこと並びなし。生まるる時に、天の花多く降りて、家の中に深く積もれり。宝の床(ゆか)に旨(うま)き食ひ物、思ふに従ひて、おのづから出で来たる。この人、昔、貧しき人となれりき。あまたの僧の、里に出でて遊び行くを見て、心に悦びをなす。『いかで供養せむ』と歎くに、家の中に物なし。野に出で、沢に行きて、花を摘みて、僧に散らす。心をいたして拝み、願(がん)をおこして去りにき。それより後、九十一劫(こふ)悪道に落ちず。今また仏に逢ひ奉りて、阿羅漢(あらかん)の位を得つ」と言へり。

また経に説けり。「威徳比丘(ゐとくびく)、生まれしより膚(はだへ)柔らかに、顔鮮かなり。父母(ぶも)見悦び、人みな仰(あふ)ぎ敬ふ。昔、人ありて、塔の中に入れるに、萎(しぼ)める花あり。塵(ちり)に汚(けが)れ、土にまみれたり。これを取りて、掃(はら)ひのごひ浄めて、さらにまた供養して去りにき。この功徳によりて、天に生まれ人に生まれつつ、長く諸(もろもろ)の楽しびを受く。仏を見、法を聞きて、つひに聖の位に入りぬ」と言へり。

かの僧に散らしし報ひかぎりなし。いはんや、仏に奉る心ざしをや。萎める花をのごひし勤めむなしからず。いはんや、鮮かなるを祈れるまことをや。

花色の女人の顔のよそのひは、生まるることに花に似たり。鹿母夫人(ろくもぶにん)の足の跡は、歩むに随ひて蓮(はちす)を開く。みなこれ前(さき)の世に花を施せる報ひなり。

もし、さかしき思ひをめぐらして、十方の仏に及ぼさば10)、華厳経(けごんきやう)の中の、「散衆雑花遍十方(さんじゆざふげへんじつぱう)、供養一切諸如来(くやういつさいしよによらい)」といへる偈(げ)を唱ふべし。もし乱れたる心をもちて、一枝の花をもささげば、法華経の中の、「若人散乱心(にやくにんさんらんしん)、乃至以一花(ないしいいちくゑ)、供養於画像(くやうおがざう)、漸見無数仏(ぜんけんむすうぶつ)」といへる偈を頼むべし。

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六月
 東大寺千花会/n3-55r・e3-53r
東大寺ハアメノ御門ノ立テタマヘルナリヒトヘニ王ノ力ニテ行ヘハ民
ノクルシミ多カルヘシト乃給テ太政官ノ知識文ヲツクリテ国々
ニ下遣シテ一ノ木一ノツチクレヲモ力ニシタカヒテクハフヘシト
イヘリアメノシタ是ニシタカフ事草ノ風ニナヒクカコトシハシメ天
堂ノ壇ヲツク日先御門鋤ヲトリテ土ヲスキタマフ后袖ニ土ヲ
イレテハコヒ玉フ大臣ヨリハシメテ諸ノ人一人モノカレ怠ルモナシ
大仏アラハレ玉日堂塔イテキタリヌルニ此国モト金ナクシテ
ヌリカサルニアタハスカネノミタけの蔵王ニ祈申サシメ給今/n3-55l・e3-53l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/55

法界衆生ノタメニ寺ヲタテ仏ヲツクレルニ我国金ナクシテ
此願ナリカタシツテニキク此山ニ金アリト願ハ分給ヘト祈ニ
蔵王シメシ給ハク此山ノ金ハ弥勒ノ世ニ用ルヘシ我ハ只守ル
ナリ分カタシ近江ノ国志賀郡ノ河ノホトリニ昔翁ノ居テ釣
セシ石アリ其上ニ如意輪観音ヲツクリスヱテ祈リ行ハシ
メ玉ヘトアリスナハチ尋求ルニ今ノ石山ノ所ヲエタリ観音ヲ
ツクリテ祈ルニミチノ国ヨリハシメテ金出来ヨシヲ申テタテマ
ツレリスナハチ年号ヲ改テ天平勝宝ト云ニ寺ヲ供養シ/n3-56r・e3-54r
タマフコロホヒ行基菩薩良弁僧正婆羅門僧正仏誓フシミノ翁
コノモトノ翁ナトイヘルアトヲタレタル人々ヲ或ハ我国ニ生レ或ハ
天竺ヨリ来テ御願ヲタスケタリ其間ニアヤシク妙ナル事
多カレトモ文ニオホカレハシルサス続日本記東大寺ノ記文等ニ
見エタリ寺ノ中ニ年コトニアマタノ法会ヲ行フ事オホケレハ
イレス此次ニハ千花会ヲ行フ多ノ蓮ノ花ヲモチテ仏ニ供
養シタテマツルナリ始ニノタマハク若人花ヲ取テソラノ中ニナケ
チラシテ十方ノ仏ニタテマツレハ善限ナシトイヘリ又賢愚経/n3-56l・e3-54l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/56

ニトクヲ聞ケハ花色比丘ハ長者ノ子ナリカタチウルハシキコトナラヒ
ナシ生ルル時ニ天ノ花オホクフリテ家ノ中ニフカクツモレリ宝
ノユカニウマキ食ヒ物思ニシタカヒテオノツカライテキタル此人
昔貧シキ人トナレリキアマタノ僧ノ里ニイテテアソヒ行ヲミ
テ心ニ悦ヲナスイカテ供養セムトナケクニ家ノ中ニ物ナシ野ニ
出沢ニ行テ花ヲツミテ僧ニチラス心ヲイタシテオカミ願ヲ
オコシテ去ニキソレヨリノチ九十一劫悪道ニオチスイマ又
仏ニアヒタテマツリテ阿羅漢ノ位ヲエツトイヘリ又経ニトケリ/n3-57r・e3-55r
威徳比丘生レシヨリハタエヤハラカニカホアサヤカナリ父母見
悦ビ人ミナアフキ敬フ昔人有テ塔ノ中ニイレルニシホメル花
アリ塵ニケカレ土ニマミレタリコレヲトリテハラヒノコヒキヨメテ
サラニ又供養シテ去ニキ此功徳ニヨリテ天ニ生レ人ニ生レツツ
ナカク諸ノ楽ヒヲウク仏ヲミ法ヲキキテツヒニ聖ノ位ニイリヌ
トイヘリ彼僧ニチラシシムクヒカキリナシ況ヤ仏ニタテマツル心
サシヲヤ萎ル花ヲ乃コヒシツトメムナシカラス況ヤアサヤカナル
ヲ祈レルマコトヲヤ花色ノ女人ノカホノヨソノヒハ生ルルコトニ花ニ/n3-57l・e3-55l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/57

ニタリ鹿母夫人ノ足ノアトハ歩ニ随テ蓮ヲヒラクミナ是サキ
ノヨニ花ヲホトコセルムクヒナリモシサカシキ思ヲメクラシテ十方
ノ仏ニヨオホサハ花厳経ノ中ノ散衆雑花遍十方供養一切
諸如来トイヘル偈ヲトナフヘシモシ乱タル心ヲモチテ一枝ノ花
ヲモササケハ法花経ノ中ノ若人散乱心乃至以一花供養於
画像漸見無数仏トイヘル偈ヲタノムヘシ/n3-58r・e3-56r

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/58

1)
聖武天皇
2)
「者なし」は底本「モナシ」。東大寺切により訂正。
3)
金峰山寺
4)
蔵王権現
5)
「仏哲」が正しい。
6)
「この月」は底本「此次」。東大寺切・前田家本により訂正。
7)
「経」は底本「始」。東大寺切・前田家本により訂正。
8)
「善根」は底本「善」。前田家本により根を補う。
9)
「花天」は底本「花色」。前田家本により訂正。
10)
「及ぼさば」は底本「ヨオホサハ」。前田家本「及」により訂正。
text/sanboe/ka_sanboe3-22.txt · 最終更新: 2024/12/18 22:37 by Satoshi Nakagawa