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text:sanboe:ka_sanboe3-17

三宝絵詞

下巻 四月 17 大安寺大般若会

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大安寺大般若会(だいあんじのはんにやゑ) 五六日

大安寺の願(ぐわん)は上宮太子(じやうぐうたいし)1)におこりて、力はあまたの御門の加へられたり。

太子、熊凝(くまごり)の村に寺をつくること、いまだ終らざるに隠れ給ひにしかば、推古天皇より始めて聖武天皇まで、九代の御門受け伝へつつ造り給へり。

欽明天皇の代に、百済河(くだらがは)のほとりに広き所を選びて、熊凝寺(くまごりでら)を移し建てて、百済寺(くだらでら)といふ。寺を造る司(つかさ)、多く神の社の木を切りて用ゐたり。神、怒りて、火を放ちて寺を焼きつ。

皇極天皇、怱(いそ)ぎ造りつ。

天智天皇の代に、丈六の釈迦を造り終へて、心に祈り2)をなし給へる夜(よ)の暁に、二人の天女来たりて、この像を拝み奉る。妙(たへ)なる花を供養して、敬(ゐやま)ひ讃め奉ることやや久し。御門に語らひ奉りて云はく、「この像は、霊山(りやうぜん)のまことの仏と、いささかも違(たが)はず。この国の衆生の信心清ければなるべし」と云ひて、空に昇りて去りぬ。開眼の日は、紫の雲、空に満ち、妙(たへ)なる声、空に聞こゆ。

天武天皇の代に、高市の地に移し作りて、改まりて大官寺(だいくわんじ)と名付く。

文武天皇の代に塔を建て給ふ。「古き釈迦のごとくに、丈六の像を造らむ」と思す願をおこして、「よき工(たくみ)を得(え)しめ給へ」と祈り給ふ夜の夢に、一人の僧来たりて申す。「前(さき)の年、この仏を造りしは、これ化人(くゑにん)なれば、重ねて来たるべきにあらず。よき工といへどもなほ刀の疵あり。画師(ゑし)といへども丹色(にいろ)の誤りなきにあらず。ただ大きならむ鏡を仏の前に懸けて、影を映して拝み給へ。造るにもあらず、画くにもあらずして、三身(さんじん)そなはるべし。形を見るは応身(おうじん)なり。影を浮かぶるは報身(ほうしん)なり。空しきを悟るるは法身(ほふしん)なり。功徳(くどく)すぐれたること、これには過ぎじ」と見給ふ。覚め驚きて悦び給ふ。夢のごとくに、一つの大きなる鏡を仏の前に懸け、五百僧を堂の中に請じて大きに供養を儲けたり。

元明天皇3)の代、和銅三年に堂を移し、仏を移して、奈良の京に造れり。

聖武天皇、受け伝へて、広め造らむとする間に、道慈(だうじ)といふ僧あり。心に智(さと)りありて、世に重くし敬まはれたり。前(さき)に法を求めむがために、大宝元年に唐土(もろこし)に渡りし時も、「心の中(うち)に『大きなる寺を造らむ』と思ひて、西明寺(さいみやうじ)の構へ作れるさまを移し取れり」と申す。御門、悦び給ひて、「わが願満ちぬるなり」とのたまふ。天平元年に、道慈に律師の位を賜ふ。

中天竺の舎衛国(しやゑこく)の祇園精舎(ぎをんしやうじや)は、都率天(とそつてん)の宮をまねび造れり。唐土(もろこし)の西明寺は、祇園精舎をまねび作れり。わが国の大安寺は西明寺をまねび作れり。十四年に作り終えて、大きに法会を行ふ。

天平十七年に大官大寺を改めて大安寺と名付く。道慈律師の云はく、「この寺、始め焼けけること、高市の郡の子部(こべ)の明神の社の木を切れるによりてなり。この神は雷(いかづち)の神なれば怒りの心に炎を出だせるなり。その後九代伝へ造れり。しばしば所を移せるに、その費(つひ)え多し。神の心を悦ばしめて、寺を守(まぼ)らしめむことは、法の力にはしかじ」と云ひて、大般若経を書き置きて、この会を始め行なへるなり。かつは、経の文(もん)を読み、かつは歌舞(うたまひ)を調(ととの)へたり。神の悦びをなして、寺の守りとなりにたり。縁起に見えたり。

この大般若経は、唐土の太宗4)の時、麟徳年中に、玄奘三蔵(ぐゑんじやうさんざう)はじめて翻訳して、昭明殿に置かしめし時に、光を放てり。その文(もん)に云はく、「もし人、般若経を置けらむ所には、一切の天竜、掌(たなごころ)5)を合はせて、つつしみ敬はむ」と言へり。また云はく、「まさに法(のり)の雨をもちて毒竜にそそきうるほして、熱く苦しきことを離れしめむ」とのたまへり。あらはにこれ仏の法の道をもちて、神の嗔(いか)りの炎をとどめたるなるべし。

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 大安寺大般若会 五六日
大安寺ノ願ハ上宮太子ニオコリテ力ハアマタノ御門ノクハヘラレ
タリ太子クマコリノ村ニ寺ヲツクル事イマタヲハラサルニ隠給ニシ
カハ推古天皇ヨリハシメテ聖武天皇マテ九代ノ御門ウケ伝ヘ
ツツツクリ給ヘリ欽明天皇ノ代ニクタラ河ノホトリニヒロキ所ヲ
エラヒテクマコリ寺ヲウツシタテテクタラ寺トイフ寺ヲツクルツカサ
オホク神ノ社ノ木ヲキリテモチヰタリ神イカリテ火ヲ放テ
寺ヲヤキツ皇極天皇怱キツクリツ天智天皇ノヨニ丈六ノ尺/n3-44r・e3-42r
迦ヲツクリヲヘテ心ニ祈□ヲナシ給ヘルヨノ暁ニ二人ノ天女来テ
此像ヲオカミタテマツル妙ナル花ヲ供養シテヰヤマヒホメタテマ
ツル事ヤヤヒサシ御門ニカタラヒタテマツリテ云ク此像ハ霊山ノ
マコトノ仏トイササカモタカハス此国ノ衆生ノ信心キヨケレハナルヘ
シト云テソラニノホリテ去ヌ開眼ノ日ハ紫ノ雲ソラニミチ妙
ナルコヱソラニキコユ天武天皇ノヨニ高市ノ地ニウツシ作テ改
リテ大官寺トナツク文武天皇ノヨニ塔ヲタテタマフフルキ尺迦
ノコトクニ丈六ノ像ヲツクラムトオホス願ヲヲコシテヨキ工ヲエシ/n3-44l・e3-42l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/44

メ給ヘト祈給夜ノユメニヒトリノ僧来テ申サキノ年此仏ヲ
ツクリシハコレ化人ナレハカサネテ来ヘキニアラスヨキ工トイヘトモ
ナヲ刀ノキスアリ画師トイヘトモ丹色(ニイロ)ノアヤマリナキニ
アラスタタ大ナラム鏡ヲ仏ノ前ニカケテ影ヲウツシテヲカミ給ヘ
ツクルニモアラスカクニモアラスシテ三身ソナハルヘシ形ヲミルハ応
身ナリ影ヲ浮フルハ報身ナリ空キヲサトルハ法身也功徳スク
レタル事コレニハスキシト見タマフサメ驚テ悦玉フ夢ノコトクニ
一ノ大ナル鏡ヲ仏ノマヘニカケ五百僧ヲ堂ノ中ニ請シテ大ニ/n3-45r・e3-43r
供養ヲ儲タリ光明天皇ノ代和銅三年ニ堂ヲウツシ仏ヲ
ウツシテ奈良ノ京ニツクレリ聖武天皇ウケツタヘテヒロメツクラムト
スルアヒタニ道慈トイフ僧アリ心ニサトリアリテ世ニ重クシ敬
ハレタリサキニ法ヲモトメムカタメニ大宝元年ニモロコシニ渡リ
シ時モ心ノ中ニ大ナル寺ヲツクラムト思テ西明寺ノ構ヘ作レルサマヲ
ウツシトレリト申御門悦給テ我願ミチヌル也トノ給天平元年ニ
道慈ニ律師ノ位ヲタマフ中天竺ノ舎衛国ノ祇園精舎ハ都率
天ノ宮ヲマネヒツクレリモロコシノ西明寺ハ祇園精舎ヲマネヒ作/n3-45l・e3-43l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/45

レリ我国ノ大安寺ハ西明寺ヲマネヒ作レリ十四年ニ作ヲエテ大
ニ法会ヲ行フ天平十七年ニ大官大寺ヲ改テ大安寺トナツク
道慈律師ノ云ク此寺ハシメヤケケル事高市ノ郡ノ子部(コヘ)ノ
明神ノ社ノ木ヲキレルニヨリテナリ此神ハ雷ノ神ナレハイカリノ
心ニホノヲヲ出セルナリ其後九代ツタヘツクレリシハシハ所ヲウツセルニ
其ツヒエ多シ神ノ心ヲヨロコハシメテ寺ヲマホラシメム事ハ法ノ力
ニハシカシト云テ大般若経ヲカキヲキテ此会ヲハシメオコナヘルナリ
且ハ経ノ文ヲヨミ且ハ哥舞(ウタマヒ)ヲトトノヘタリ神ノ悦ヲナシテ/n3-46r・e3-44r
寺ノ守トナリニタリ縁起ニ見ヘタリ此大般若経ハモロコシ乃
大宗ノ時麟徳年中ニ玄奘三蔵ハシメテ翻訳シテ昭明殿
ニヲカシメシ時ニ光ヲ放テリソノ文ニ云モシ人般若経ヲオケラム
所ニハ一切ノ天龍タナ心ヲ合テツツシミ敬ハムトイヘリ又云クマサニ
法ノ雨ヲモチテ毒龍ニソソキウルホシテ熱ク苦シキ事ヲハナ
レシメムトノ給ヘリアラハニ是仏ノ法ノ道ヲモチテ神ノ嗔ノ
ホノホホトトメタルナルヘシ/n3-46l・e3-44l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/46

1)
聖徳太子
2)
「祈り」は底本「り」虫損。文脈により補う。
3)
「元明天皇」は底本「光明天皇」。前田家本により訂正。
4)
唐の太宗。底本表記「大宗」。ただし、「麟徳年中」は高宗の代。
5)
「掌」は底本表記「タナ心」
text/sanboe/ka_sanboe3-17.txt · 最終更新: 2024/12/07 21:25 by Satoshi Nakagawa