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text:sanboe:ka_sanboe3-13

三宝絵詞

下巻 三月 13 法華寺華厳会

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法華寺華厳会(ほふくゑじのけごんゑ)

法華寺は光明皇后(くわうみやうくわうごう)の建て給へる所なり。皇后宮は内大臣鎌足1)の御孫、贈太政大臣不比等(ふひと)2)の大臣(おとど)の御女(おほんむすめ)なり。心に仏の道を尊び慈(うつく)しみ、人の苦しみを救ふ。悲田(ひでん)と施薬(せやく)との二つの院を建てて、天の下の病(やまひ)する者を養ふ。天の御門3)の東大寺及び国々の国分寺を建て給へることも、もとこの后の勧め給へる所なり。みづから法華寺造りて、大和国の尼寺とし給へり。続日本紀に見えたり。

すなはち、この寺に華厳経を講ぜしめて、会(ゑ)を行はせ給ふを華厳会と名付く。法用(ほふよう)・色衆(しきしう)に、みな尼を用ゐる。

花厳経の中に説ける所の、善財童子(ぜんざいどうじ)の所々にして、五十余人の善知識(ぜんちしき)に会ひつつ、諸(もろもろ)の妙(たえ)なる法を聞きし形を作れり。丈(たけ)七・八寸ばかりなり。会の日ごとに、錦(にしき)・綾(あや)を縫ひ着せて、舞台の上に置きて、供養せしめ給ふ。本願の時より、世の人言ひ伝へて、「雛(ひひな)の会」と言へり。尼寺を造り置き給へれば、尼となる者は絶えず。

優鉢羅華比丘尼本生経(うばらぐゑびくにほんじやうきやう)4)説くがごときは、優鉢羅華比丘尼、六神通を得(え)、阿羅漢(あらかん)となりて、もろもろの女(をんな)を勧めて、「出家せよ」と語らふに、あるいは答ふ、「われら年若く盛りにして・・・5)」。比丘尼云はく、6)「戒をも破らば破れ。ただ出家せよ」と言ふ。女また云はく、「戒を破りて地獄に落ちなむは」と言ふ。比丘尼また云はく、「地獄にも落ちば落ちよ。なほ出家せよ」と勧む。女、笑ひて云はく、「地獄に落ちなば、重き苦を受けよとや」と言ふ。比丘尼の云はく、「われ、昔の世を思ひみれば、勇める女となれりき。戯(たはぶ)れに種々(くさぐさ)の衣(きぬ)を着替へつつ、声を替へ、言葉を替へて、人々の様(さま)を学びしに、尼の衣(ころも)を着て、尼の真似をしき。このこと功徳になりにければ、迦葉仏(かせふぶつ)の時に会ひて、人に生まれて尼となれりき。その時に、尊き縁(ゆかり)を頼みて驕れる思ひをなし、悪しき心をおこして、思ひき。罪を作り戒をかぶること多かりしかば、地獄に落ちにき。しばらく重き苦しびをば受けしを、とく人の道に生まれにたり。昔の善根によりて、今、釈迦如来に会ひ奉りて、つひになほ尼となりて、羅漢の位を得たり。これを思ひて、たとひ戒を破るといふとも、とく道を受けつれば、なほ尼の形となれと勧むるなり」と言ひき。

また善財童子の善知識の形を作り置きて、供養することを知るべし。良き友に逢ふことは、これおぼろげのことにあらず。経に云はく、「善知識は、これ七つの因縁を教へて導きて、菩提の心をおこさしむ」と言へり。また経の偈(げ)に、「菩提の妙果(めうくわ)は、なりがたきにあらず。まことの善知識の、まことに逢ひがたきなり」と言へり。また云はく、「もしよき香(かう)を取れば、その匂ひ手に染みぬ。もし良き友に近付けば、その教へ心に染む」と言へり。

このゆゑに、本願の后7)の御功徳を思ふに、あまたのもろもろの尼をなし給へることは、花色(くゑしき)が昔勧めに異ならず。常に良き友に逢ひ給はむことは、善財が古き跡に同じかるべし。

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 法花寺花厳会/n3-34r・e3-32r
法花寺ハ光明皇后ノタテ給ヘル所ナリ皇后宮ハ内大臣鎌足ノ
御孫贈太政大臣不比等ノオトトノ御女ナリ心ニ仏ノ道ヲタウトヒウツ
クシミ人ノクルシミヲスクフ悲田ト施薬トノ二ノ院ヲタテテアメノ
シタノヤマヒスルモノヲヤシナフアメノ御門ノ東大寺及ヒ国々ノ国分
寺ヲタテタマヘル事モ本コノ后ノススメタマヘル所ナリミツカラ法花寺
ツクリテ大和国ノ尼寺トシ給ヘリ続日本紀ニミヘタリ即チ此寺ニ
華厳経ヲ講セシメテ会ヲ行ハセ給ヲ花厳会トナツク法用色
衆ニミナ尼ヲモチヰル花厳経ノ中ニトケル所ノ善財童子ノ/n3-34l・e3-32l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/34

所々ニシテ五十余人ノ善知識ニアヒツツ諸ノタエナル法ヲキキシ
カタチヲツクレリタケ七八寸ハカリナリ会ノ日コトニ錦綾ヲヌヒキ
セテフタイノウヘニオキテ供養セシメ給フ本願ノ時ヨリヨノ人イヒ
ツタヘテヒヒナノ会トイヘリ尼寺ヲツクリヲキ給ヘレハ尼トナルモノハ
タヘス優鉢羅花比丘尼本性(生)経トクカコトキハウハラ花比丘尼六
神通ヲエ阿羅漢トナリテモロモロノ女ヲススメテ出家セヨトカタ
ラフニ或ハコタフワレラトシワカクサカリニシテ戒ヲモヤフラハヤフレ
タタ出家セヨトイフ女又云戒ヲヤフリテ地獄ニヲチナムハトイフ/n3-35r・e3-33r
比丘尼又云地獄ニモヲチハヲチヨ猶出家セヨトススム女ワラヒテ
イハク地獄ニヲチナハヲモキ苦ヲウケヨトヤトイフ比丘尼ノイハク
我昔世ヲ思ミレハイサメル女トナレリキタハフレニクサクサノキヌヲキカヘ
ツツコヱヲカヘコトハヲカヘテ人々ノサマヲマナヒシニ尼ノ衣ヲキテ尼ノ
マネヲシキ此事功徳ニナリニケレハ迦葉仏ノ時ニアヒテ人ニ生テ尼
トナレリキソノ時ニタウトキユカリヲタノミテオコレル思ヲナシアシキ
心ヲオコシテ思ヒキ罪ヲツクリ戒ヲカフル事多カリシカハ地獄ニ
落ニキシハラクヲモキ苦ヒヲハウケシヲトク人ノ道ニ生ニタリ/n3-35l・e3-33l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/35

昔ノ善根ニヨリテ今尺迦如来ニアヒタテマツリテツヒニ猶尼ト
ナリテ羅漢ノ位ヲエタリ是ヲ思テタトヒ戒ヲヤフルトイフトモトク
道ヲウケツレハナヲ尼ノ形トナレトススムルナリトイヒキ又善財童
子ノ善知識ノカタチヲツクリヲキテ供養スル事ヲ知ヘシヨキトモニ
アフ事ハコレヲホロケノ事ニアラス経ニ云善知識ハコレ七ノ因縁ヲ
オシヘテミチヒキテ菩提ノ心ヲヲコサシムトイヘリ又経ノ偈ニ菩提ノ
妙果ハナリカタキニアラスマコトノ善知識ノマコトニアヒカタキ也ト
イヘリ又云モシヨキ香ヲトレハソノ匂手ニシミヌモシヨキ友ニ/n3-36r・e3-34r
チカツケハソノヲシヘ心ニシムトイヘリコノユヘニ本願ノ后ノ御功徳ヲ
思ニアマタノモロモロノ尼ヲナシ給ヘル事ハ花色カムカシススメニコト
ナラスツネニヨキ友ニアヒ給ハム事ハ善財カフルキアトニ同シカルヘシ/n3-36l・e3-34l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/36

1)
藤原鎌足
2)
藤原不比等
3)
聖武天皇
4)
「生」は底本「性」に「生」と傍書。傍書に従う。
5)
「・・・」は底本本文を欠く。「戒を持つことが難しいだろう」という意味の言葉が入る。
6)
「比丘尼云はく、」底本なし。文脈により補った。
7)
光明皇后
text/sanboe/ka_sanboe3-13.txt · 最終更新: 2024/12/01 17:45 by Satoshi Nakagawa