目次
下巻 三月 12 高雄法華会
校訂本文
高雄法華会(たかをのほふけゑ) 八日始
高雄1)の法華会は、行ひ来たれること久し。寺の檀越(だにをち)大学頭(だいがくのかみ)和気弘世(わけのひろよ)ならびに真綱(まつな)2)等、比叡3)の伝教大師4)を請じ奉れる文(もん)に云はく、「千歳の永き例(ためし)、この度(たび)始むべし」と言へり。これより始めて行へるなり。
その後、奈良の弘法大師5)、この寺によりて住み給ふ。大師は讃岐の国多度郡の人なり。俗姓は佐伯(さへき)なり。十八にして大学に出で二十一6)にして僧となる。阿波の国の大滝の峰にして、虚空蔵(こくうざう)の聞持(もんぢ)の法を行ふに、明星来たりあらはれたり。それより後、文(ふみ)を学ぶるに悟りあらたに、筆を下(くだ)すに誉れ高し。
延暦二十三年に、唐土(もろこし)に渡りて、青竜寺の恵果和尚(けいくわくわしやう)に会ひて、真言を受け習へり。来たりて真言院を申し建てたり。その後よりこのかた、世を遁(のが)るるる心ざしあり。
承和二年の春、紀伊国の金剛山寺(こんがうせんじ)7)に終はれり8)。年、六十三。位、大僧都(だいそうづ)なり。
斉衡(さいかう)のころほひ、大僧正(だいそうじやう)の位を贈り、延喜の代9)に弘法大師の名を贈れり。その門徒、この寺に伝はり住みて、この会をとり行なふ。第五巻の日は、捧物(ほうもち)を高雄の山の花の枝に付けて、讃歎(さんたん)を清滝川の波の声に合はせり。男女来たり拝みて、喜び尊ぶる者、をのづから多かり。
かの一人を勧めて聞かしむるに、功徳の報ひを得ること、随喜品(ずいきぼん)10)を開いて見るべし。「一偈(いちげ)を聞きて喜びをなすに、菩薩の記を悟る」と、法師品11)を見て知るべし。
翻刻
高雄法花会 八日始 高雄ノ法花会ハ行来レル事久シ寺ノ檀越大学頭和気 弘世并ニ真綱(マツナ)等比叡ノ伝教大師ヲ請シタテマツレル文ニ云ク 千歳ノナカキ例コノ度始ヘシトイヘリコレヨリ始テオコナヘルナリ 其後奈良ノ弘法大師此寺ニヨリテスミタマフ大師ハサヌキ/n3-33r・e3-31r
ノ国多度郡ノ人也俗姓ハサヘキナリ十八ニシテ大学ニ出廿一ニ シテ僧トナル阿波ノ国ノ大タキノミネニシテ虚空蔵ノ聞持ノ法 ヲ行フニ明星来アラハレタリソレヨリ後文ヲマナフルニサトリアラタニ 筆ヲ下ニホマレタカシ延暦廿三年ニモロコシニワタリテ青龍寺 ノ恵果和尚ニアヒテ真言ヲウケナラヘリ来テ真言院ヲ申 タテタリ其後ヨリコノカタ(ヨヲノカルル)心サシアリ承和二年ノ春紀伊国ノ金 剛山(セムシ/峯)寺ニ終レリ(入定シ給ヘリ)年六十三位大僧都ナリ斉衡ノコロヲヒ大僧正 ノ位ヲオクリ延喜ノヨ(代)ニ弘法大師ノ名ヲオクレリソノ門徒此寺ニ/n3-33l・e3-31l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/33
ツタハリスミテ此会ヲトリオコナフ弟五巻ノ日ハ捧物ヲ高雄ノ 山ノ花ノ枝ニ付テ讃歎ヲキヨタキ河ノ波ノコヱニ合セリ男 女来リヲカミテヨロコヒタウトフル物ヲノツカラヲホカリカノ一人ヲ ススメテキカシムルニ功徳ノムクヒヲウル事随喜品ヲヒライテミル ヘシ一偈ヲキキテ喜ヲナスニ菩薩ノ記ヲサトルト法師品ヲミテ知 ヘシ/n3-34r・e3-32r