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text:sanboe:ka_sanboe3-07

三宝絵詞

下巻 二月 7 西院阿難悔過

校訂本文

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西院阿難悔過(さいいんあなんのくゑくわ)

淳和院(じゆんなゐん)は淳和1)の后の宮なり。西院(さいゐん)ともいふ。后は嵯峨御門(さがのみかど)2)の御娘、淳和の御門の御后なり。心を三宝にかけてうつくしの、物を救ふに深し。

貞観二年五月に、淳和院にして、大きに法華経を誦(ず)せしめ給ふ。終はる日に、延暦寺の座主慈覚大師3)をとめて髪を剃りて、菩薩戒を受け給ふ。法名を奉る。良祚(りやうそ)と申す。

東西4)の京に捨てたる人の子を取り集めて、乳母(めのと)を具し給ひて、養はしめ給ふ。嵯峨の古き宮をば寺となし給ひつ。大覚寺(だいがくじ)と名付く。その傍らに屋(や)を建てて、名付けて済治院(さいぢゐん)といふ。法師・尼の病(やまひ)するをすゑて養ふ所なり。

淳和院をも寺となし給ふ。もとの名を改めず、明け暮れつかうまつる尼どもを住ましめて、あつく供養を給ひて、長く住めとさだめ給へり5)。師弟子あひ伝へて道を行ふこと絶えず。日本国三代実録に見えたり。

院の大きなるいそぎ、年に二度(ふたたび)阿難悔過(あなんくゑくわ)を行ふ。そのゆゑを尋ぬれば、昔、仏6)の御姨母(おほんいも)7)の憍曇弥(けうどんみ)8)、仏の御もとに来たりて、「髪を剃りて御弟子にならむ」と三度(みたび)まで申ししに、仏、許し給はず。恨み悲しびて、祇園精舎(ぎをんしやうじや)を出で、門の外(と)にして涙を流ししに、阿難(あなん)ほかより来たりて語らひて、悲しびてすなはち入りぬ。

仏に申さく、「仏、生まれ給ひて後、七日ありて、摩耶夫人(まやぶにん)は失せ給ひにしかば、太子を受け取りて養ひ奉ることは、憍曇弥が古き心ざしなり。一切衆生(いつさいしゆじやう)をだに、なほ仏界に入らむと勧め給ふに、いはんやこの人を許されざらむや」と申す。仏、答へ給ふ。「この人のために恩あるを知らぬにはあらねども、女人(によにん)を許して仏家に入れじと思ふなり。もしこれを許さば、正法(しやうぼふ)五百年を縮(つづ)めつべければなり」とのたまふ。

阿難、また申さく、「過去の諸(もろもろ)の仏も、みな四部の弟子をそなへ給へりき。何によてか、わが大師釈迦如来一人して女人を許し給はざる」と、ねむごろに勧め申すによりて、仏つひに憍曇弥が出家を許し給ひて、これを始めとして、諸の女の髪を剃る、戒事(いむこと)を受くることを許し給へり。

仏のたまはく、「末の世に尼とならむ者、及び諸の良き心をおこせらむ女を、まさに心をいた して阿難が恩を思ひて、名を唱へ供養し讃歎(さんたん)すべし」とのたまへり。

仏隠れ給ひて後に、年老いたる御弟子大迦葉(だいかせふ)が、阿難が六つの過(とが)を出だして責め問ひし中に、「『女人を仏家に入るべし』と申し勧めて、正法五百年を縮(つづ)めたること、これ一つの過(とが)なり」と言ひしかど、阿難もさかしき聖なれば、答へ返す旨(むね)おろかならず。すなはち知りぬ。一切(いつさい)の女人の尼となることは、阿難尊者が恩をのこせるなり。

また報恩経にのたまはく、「もし女人ありて、やすらかによき果報を求めむと思はば、二月八日、八月八日、衣を清うし、心をいたして八戒を受けて持(たも)ち、六時に勤め行なへ。阿難すなはち大威神の力をもつて、声にかなひて守り助けて、願のごとくすなはち得てむ」とのたまへり。

この院に長くこの悔過(くゑくわ)を行ふことは、阿難が恩を報ゆるなり。また、この月の日を契れることは、釈尊の教へに従へるなり。

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 西院阿難悔過/n3-23r・e3-21r
淳和院ハ淳和ノ后ノ宮ナリ西院トモイフ后ハ嵯峨御門ノ
御ムスメ淳和ノ御門ノ御后也心ヲ三宝ニカケテウツクシヒ物ヲ
スクフニフカシ貞観二年五月ニ淳和院ニシテ大ニ法花経ヲ
誦セシメタマフ終ル日ニ延暦寺ノ座主慈覚大師ヲトメテ
カミヲソリテ菩薩戒ヲウケ給法名ヲタテマツル良祚ト申
東ノ京ニステタル人ノ子ヲトリアツメテメノトヲクシ給テヤシナハシメ
給嵯峨ノフルキ宮ヲハ寺トナシ給ツ大覚寺トナツクソノカタハラ
ニ屋ヲタテテナツケテ済治院トイフ法師尼ノヤマヒスルヲスヘテ/n3-23l・e3-21l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/23

ヤシナフ所ナリ淳和院ヲモ寺トナシ給モトノ名ヲアラタメス
アケクレツカフマツル尼トモヲスマシメテアツク供養ヲ給ヒテ
ナカククヘトサタメ給ヘリ師弟子アヒツタヘテ道ヲ行フ事タヘ
ス日本国三代実録ニミヘタリ院ノ大ナルイソキ年ニ二タヒ
阿難悔過ヲオコナフソノユヘヲタツヌレハ昔仏ノ御姨(イ/ヲハ)母ノ憍頓(曇)
弥仏ノ御モトニキタリテカミヲソリテ御弟子ニナラムト三
タヒマテ申ヽニ仏ユルシ給ハスウラミカナシヒテ祇園精舎ヲ
イテ門ノ外ニシテ涙ヲナカシシニ阿難ホカヨリ来テカタラヒ/n3-24r・e3-22r
テカナシヒテ即入ヌ仏ニ申サク仏生給テ後七日アリテ
摩耶夫人ハウセ給ニシカハ太子ヲウケトリテヤシナヒタテマツル
事ハ憍曇弥カフルキ心サシナリ一切衆生ヲタニナヲ仏界ニ
入ムトススメ給ニ況ヤコノ人ヲユルサレサラムヤト申仏答
給フ此人ノタメニ恩アルヲシラヌニハアラネトモ女人ヲユルシテ
仏家ニイレシト思ナリモシコレヲユルサハ正法五百年ヲツツメツヘケ
レハナリトノ給フ阿難又申サク過去ノ諸ノ仏モ皆四部乃弟
子ヲソナヘタマヘリキナニニヨテカ我大師尺迦如来ヒトリシテ/n3-24l・e3-22l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/24

女人ヲユルシ給ハサルトネムコロニススメ申ニヨリテ仏ツヒニ
憍曇弥カ出家ヲユルシ給テ是ヲハシメトシテ諸ノ女ノカミ
ヲソルイムコトヲウクル事ヲユルシタマヘリ仏ノ給ハクスヱノヨニ
尼トナラムモノ及ヒ諸ノヨキ心ヲオコセラム女ヲマサニ心ヲイタ
シテ阿難カ恩ヲ思テ名ヲトナヘ供養シ讃歎スヘシトノ
給ヘリ仏カクレ給テ後ニ年老タル御弟子大迦葉カ阿難カ
六ノトカヲ出シテセメトヒシ中ニ女人ヲ仏家ニイルヘシト申
ススメテ正法五百年ヲツツメタルコト是一ノトカ也トイヒシ/n3-25r・e3-23r
カト阿難モサカシキ聖ナレハコタヘ返ス旨オロカナラス即
知ヌ一切ノ女人ノ尼トナル事ハ阿難尊者カ恩ヲ乃コセル也
又報恩経ニノ給ハクモシ女人有テヤスラカニヨキ果報ヲ
求ムト思ハハ二月八日八月八日衣ヲキヨウシ心ヲ至シテ八戒ヲ
ウケテタモチ六時ニツトメヲコナヘ阿難即チ大威神ノ力ヲ以
テコヱニカナヒテマモリタスケテ願ノコトク即エテムトノ給ヘリ
此院ニナカクコノ悔過ヲオコナフ事ハ阿難カ恩ヲムクユル也又
此ツキノ日ヲチキレル事ハ尺尊ノ教ニシタカヘルナリ/n3-25l・e3-23l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/25

1)
淳和天皇
2)
嵯峨天皇
3)
円仁
4)
底本「東」。前田家本により「西」を補う。
5)
「長く住め」は底本「ナカククヘ」。東大寺切により訂正。前田家本は「長住定給」。
6)
釈迦
7)
底本「姨」に「イ」(左)、「ヲハ」(右)と傍書。
8)
底本「憍頓」に「曇」と傍書。後出の「曇」にした。
text/sanboe/ka_sanboe3-07.txt · 最終更新: 2024/11/15 23:11 by Satoshi Nakagawa