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text:sanboe:ka_sanboe3-04

三宝絵詞

下巻 正月 4 温室

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温室(うんしつ)

寺に月ごとの十四日、二十九日に、大きに湯を沸かして、あまねく僧に浴(あ)むす。その明くる日に、布薩(ふさつ)1)を行ふによりてなり。また人の心ざしにて、日をも定めずして沸かすこと多かり。

温室洗浴衆僧経(うんしつせんよくしゅそうきやう)に云はく、「奈女(なにょ)が子の祇域長者(ぎゐきちやうじや)、夜臥して思ひをおこして、朝(あした)に行きて、仏に、『われ、世のことを急ぎて、いまだ功徳を作らず。今、仏を呼び僧を迎へ奉りて、湯を沸かして浴むし奉らむと思ふ。願はくは、衆生(しゆじやう)をして煩悩の垢を離れむ』と申す。

仏のたまはく、『善いかな。このこと功徳はかりなし。僧に湯浴むすには、湯屋には七つの物を用ゐる。浴むるには、七つの病(やまひ)を除くべし。七の福を得べし。

七つの物を用ゐるといふは、薪(たきぎ)と、清き水と、澡豆(さくづ)と、身に塗りて凉しく柔らかになす油と、細かやかなる灰と、楊枝(やうじ)と、帷(かたびら)となり。

七つの病を除くといふは、身体やすらかなること、風病(ふびやう)を除くと、痛みひるむことを除く、寒く冷ゆることを除く、熱くいきることを除くと、垢の汚なきことを除くと、身軽(かろ)く目明かくなることなり。

七の福を得(う)といふは、一つには、四大2)に病なくして生まる所に清浄にして、顔貌(かほかたち)うるはしく清し。3)。三つには、身体常に香ばしくして、着たる衣4)も清く鮮かなり。四つには、身の膚(はだへ)柔らかに滑かにして、威光ならびなし。五つには、従ひ使はるる人多くして、塵(ちり)を払ひ、垢をのごふ。六つには、口の香(か)香ばしく白くして、言ふことに人従ふ。七つには、生まるる所おのづから衣ありて、妙(たへ)なる宝、飾り光られるなり』。

およそ、人、世5)生まれて、形(かたち)ようして、人に敬(いやま)はれ、身よくして膚(はだへ)うるはしきは、みな前(さき)の世に僧に湯浴むせる報ひなり。大臣の子となりて、よろづの宝に豊かなるも、大王の家に生まれて、湯浴むるに香ばしき香、香ばしき湯を用ゐるも、四大天王の勢ひ四方を守るも6)、日月星宿の光、諸(もろもろ)の闇を照らすも、帝釈の七宝の中(うち)にゐて、形うるはしく命長きも、輪王(りんのう)の四海(しかい)の外(ほか)に巡りて楽しび多く身香ばしきも、六欲天(ろくよくてん)の楽しび盛(さか)なるも、梵天の行ひ清きも、これらの報ひを得(う)ることは、みな僧に湯を浴むせしによりてなり」と説き給へり。

また経に云はく、「仏の御弟子の賓頭盧(びんづる)は、末の世の功徳を増さむとて、涅槃(ねはん)に入らずして、長くまれい山7)にまします。もし僧のために湯を沸かさむには、まづ暁(あかつき)に賓頭盧を請ぜよ。花を敷きて座とせよ。戸を閉ぢて8)ほどを経よ。後に開いて見るに、ある時には湯を使へるさまを示しあらはす」と言へれば、天竺にはみなこのことをす。この国にも、しかする人あり。

また、あまたの経どもに云はく、「須陀会天(しゆだゑてん)は、むかし毘婆尸仏(びばしぶつ)の世に、貧しき人の子となれりき。少しの銭を求め得て、湯を沸かし、食物をまうけて、仏を請じ奉り、僧を迎へて浴むしき。命終りて、天竺に形すぐれ光明らかなり。後に仏になるに、浄身如来(じやうしんによらい)と名付くべし。

また阿難(あなん)、昔、羅閲祇国(らえつぎこく)の民の子とありし時に、身に悪しき瘡(かさ)出で、つくろへどもやまざりき。人語らひて云はく、『僧に湯を浴むして、その浴みたらむ汁をもちて瘡を洗はば、すなはち癒えなむ。また福を得べし』と言ひしかば、喜びて寺に行きて、そのことをせしに、たちまちに癒えにき。これより後、生まる所に形うるはしく身清し。九十一劫(くじふいちこふ)その福を受けたり。今、仏に会ひ奉り、心の垢消え尽きぬ。

難陀比丘(なんだびく)は、昔、維衛仏(ゆいゑぶつ)の時に、一度(ひとたび)衆僧に湯を浴むししによりて、今、王の種に生まれて、身に三十二の相をそなへたり。

舎利弗(しやりほつ)、夏に日照りせるに、暑きことを愁ふ人ありて、水を汲みて、園(その)の中にして植木にそそく。舎利弗を見て呼びて、木のもとにすゑて、汲める水を浴むしつ。命尽きて、忉利天(たうりてん)に生まれぬ。すなはち、舎利弗のともに下り来て、花を散らして、恩を報ひ、法を聞きて果(くわ)を得たり」と言へり。

唐土(もろこし)の往生伝を見るに、梁の世の道珍禅師(だうちんぜんじ)、廬山(ろさん)にして仏を念ず。夜、静かに浄土の水を観じて眠(ねぶ)り入れり。夢に大きなる水見る。人百人、舟に乗りて西に行く。「加はり乗らむ」と言ふに、舟の人許さず。夢の中に云はく、「われは一生に西方の行ひを心ざせり。何のゆゑに許さぬぞ」と言へば、舟の人答ふ、「なんぢが行ひ、いまだ満たず。いまだ阿弥陀経を読まず。また、いまだ温室(うんしつ)を急がず」と言ひて乗せずして去りぬれば、とどまりて泣き悲しぶと見て眠(ねぶ)り覚めぬ。すなはち、経を誦(ず)し、僧に湯浴むしつ。

後にまた夢を見たり。一人の人、銀の蓮(はちす)に乗りて、至りて云はく、「なんぢが行ひ、すでに満ちぬ。さだめて西方に生まれなむ」と云ふと見る。この僧終る夜、山の頂(いただき)に明きらかなる光あり。室(むろ)の中(うち)に香ばしき香(か)満ちたり。この夢、生けるほどは人に語らず。経箱(きやうばこ)の中(うち)に記し置ければ、死にて後に取り得たりと言へり。

多く知りぬ、温室のやすきことの功徳深きなり。阿含経(あごんきやう)にも五つの功徳を説き、十誦律(じふじゆりつ)にも五つの利益(りやく)をあらはせり。

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 温室
寺ニ月コトノ十四日廿九日ニ大ニ湯ヲワカシテアマネク僧ニアムス
ソノアクル日ニ布薩ヲ行ニヨリテ也又人ノ心サシニテ日ヲモ定ス
シテワカス事オホカリ温室洗浴衆僧経ニ云奈(ナ)女カ子ノ祇域
長者夜フシテ思ヲヲコシテ朝ニ行テ仏ニワレヨノコトヲ/n3-16r・e3-14r
イソキテイマタ功徳ヲツクラスイマ仏ヲヨヒ僧ヲムカヘタテマツリ
テ湯ヲワカシテアムシタテマツラムトオモフ願ハ衆生ヲシテ煩悩
ノアカヲハナレムト申仏乃給ハくヨイカナコノ事功徳ハカリナシ
僧ニ湯アムスニハ湯屋ニハ七ノ物ヲモチヰルアムルニハ七ノ病ヲ
ノソクヘシ七ノ福ヲウヘシ七ノ物ヲ用ルトイフハ薪トキヨキ水ト澡(サク)
豆(ツ)ト身ニヌリテススシクヤハラカニナスアフラトコマカヤカナル灰
ト楊枝ト帷トナリ七ノ病ヲ除トイフハ身躰ヤスラカナル事
風病ヲ乃ソクトイタミヒルムコトヲノソクサムクヒユル事ヲ除ク/n3-16l・e3-14l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/16

アツクイキル事ヲ除クトアカノキタナキコトヲ除クト身カロク
目アカクナル事也七ノ福ヲウトイフハ一ニハ次第(四大カ)ニ病ナクシテ生
ル所ニ清浄ニシテカホカタチウルハシクキヨシ(二ニハ垢ノツキヨコレル事ヲ除ソク)三ニハ身躰ツネニ
カウハシクシテキタル所(衣カ)モキヨクアサヤカナリ四ニハ身ノハタヘヤハラ
カニナメラカニシテ威光ナラヒナシ五ニハシタカヒツカハルル人多
シテチリヲハラヒアカヲ乃コフ六ニハ口ノ香香シク白クシテイフ
事ニ人シタカフ七ニハ生ルル所オノツカラ衣アリテタヘナルタカラ
カサリヒカラレルナリ凡ソヒト(人)夜(世カ)生レテカタチヨウシテ人ニ/n3-17r・e3-15r
ヰヤマハレ身ヨクシテハタエウルハシキハ皆サキノ世ニ僧ニ湯アムセル
ムクヒナリ大臣ノ子トナリテヨロツノタカラニユタカナルモ大王ノ家ニ
生レテ湯アムルニカウハシキ香カウハシキ湯ヲモチヰルモ四大天王
ノイキホヒ四方ヲマモル日月星宿ノ光諸ノヤミヲテラスモ帝
尺ノ七宝ノ中ニヰテカタチウルハシク命ナカキモ輪王ノ四海ノ
ホカニメクリテタノシヒヲホク身カウハシキモ六欲天ノタノシヒサカ
ナルモ梵天ノ行キヨキモコレラノムクヒヲウル事ハ皆僧ニ湯ヲ
アム(セ)シニヨリテ也ト説給ヘリ又経ニ云仏ノ御弟子ノ賓頭盧/n3-17l・e3-15l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/17

ハスヱノヨノ功徳ヲマサムトテ涅槃ニイラスシテナカクマレイ山ニ
マシマスモシ僧ノタメニ湯ヲワカサムニハマツ暁ニ賓頭盧ヲ請
セヨ花ヲシキテホトヲヘヨ後ニヒライテ見ルニアル時ニハ湯ヲツカヘル
サマヲシメシアラハストイヘレハ天笠(竺)ニハミナコノコトヲスコノ国ニモ
シカスル人アリ又アマタノ経トモニ云ク須陀会テムハムカシ毗婆
尸仏ノヨニマツシキ人ノ子トナレリキスコシノ銭ヲモトメエテ
湯ヲワカシ食物ヲマウケテ仏ヲ請シタテマツリ僧ヲムカヘテアム
シキ命終テ天竺ニカタチスクレ光明ナリ後ニ仏ニナルニ浄/n3-18r・e3-16r
身如来トナツクヘシ又阿難昔羅閲(エツ)祇国ノ民ノ子トアリシ時
ニ身ニアシキカサイテツクロヘトモヤマサリキ人カタラヒテ云ク
僧ニ湯ヲアムシテソノアミタラム汁ヲモチテカサヲアラハハ即
イヘナム又福ヲウヘシトイヒシカハ喜テ寺ニユキテソノコトヲ
セシニ忽ニイエニキコレヨリノチ生ル所ニカタチウルハシク身キヨ
シ九十一劫ソノ福ヲウケタリ今仏ニアヒタテマツリ心ノ垢キエツキ
ヌ難陀比丘ハ昔維衛(ユイヱ)仏ノ時ニ一タヒ衆僧ニ湯ヲアムシシニ
ヨリテ今王ノタネニ生テ身ニ卅二ノ相ヲソナヘタリ舎利弗/n3-18l・e3-16l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/18

夏ニヒテリセルニアツキ事ヲウレフ人アリテ水ヲクミテソノノ中ニ
シテウエキニソソク舎利弗ヲ見テヨヒテ木ノモトニスヘテクメ
ル水ヲアムシツ命ツキテ忉利天ニ生ヌ即舎利弗ノトモニク
タリキテ花ヲチラシテ恩ヲムクヒ法ヲキキテ果ヲエタリトイヘリ
モロコシノ往生伝ヲミルニ梁ノ世ノ道珎禅師廬山ニシテ仏ヲ
念ス夜シツカニ浄土ノ水ヲ観シテネフリイレリ夢ニ大ナル水
ミル人百人舟ニノリテ西ニ行ククハハリ乃ラムトイフニ舟ノ人ユル
サス夢ノ中ニイハク我ハ一生ニ西方ノヲコナヒヲ心サセリナニノ/n3-19r・e3-17r
ユヘニユルサヌソトイヘハ舟ノ人答フ汝カ行ヒイマタミタスイマタ
阿弥陀経ヲヨマス又イマタ温室ヲイソカストイヒテ乃セスシテ
サリヌレハトトマリテナキカナシフトミテネフリサメヌ即経ヲ誦シ
僧ニ湯アムシツ後ニ又夢ヲミタリヒトリノ人銀ノ蓮ニ乃リテ
イタリテ云ク汝カ行ヒステニミチヌ定テ西方ニ生ナムト云フト
ミルコノ僧ヲハル夜山ノイタタキニ明ナル光アリ室ノ中ニ香キ
香ミチタリコノ夢イケルホトハ人ニカタラス経箱ノウチニシルシヲ
ケレハ死テノチニトリエタリトイヘリ多クシリヌ温室ノヤスキ/n3-19l・e3-17l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/19

事ノ功徳フカキ也阿含経ニモ五ノ功徳ヲトキ十誦律ニモ
五ノ利益ヲアラハセリ/n3-20r・e3-18r

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/20

2)
「四大」は底本「次第」に「四大カ」と傍書。傍書に従い訂正。前田家本「四体」。
3)
底本はここに「二ニハ垢ノツキヨコレル事ヲ除ソク」と補うが、前出の「七つの病」と誤ったもの。前田家本では「一四体無病生所常安、二者所清浄面貌美麗、」となっており、東寺観智院本の一が二つに分けてある。おそらくこれが本来の形だろう。
4)
「衣」は底本「所」に「衣カ」と傍書。前田家本「衣」。前田家本に従い訂正。
5)
世は底本「夜」に「世カ」と傍書。前田家本「世」前田家本に従い訂正。
6)
「守るも」は底本「も」なし。東大寺切により補う。
7)
摩黎山・摩利山・摩梨山
8)
底本「座とせよ。戸を閉ぢて」なし。東大寺切により補う。
text/sanboe/ka_sanboe3-04.txt · 最終更新: 2024/11/10 15:49 by Satoshi Nakagawa