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text:sanboe:ka_sanboe3-03

三宝絵詞

下巻 正月 3 比叡懺法

校訂本文

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比叡懺法(ひえのせんぽふ)

比叡(ひえ)の山は伝教大師1)の行ひ弘(ひろ)め給へる所なり。大師、俗の姓は三津(みつ)の氏、近江国志賀郡の人なり。いと尊くして2)心賢(さか)し。七歳にして智(さと)り明らけし。あまたのことを兼ね知れり。十二にして頭(かしら)を剃る。はじめて比叡の山に入りて庵(いほり)を結びて勤め行ふ。香炉3)の灰の中に仏の舎利を得たり。入れむ器を願ひ給ふに、灰の中(うち)より金(こがね)の花の器(うつはもの)を得たり。

延暦十二年4)に唐土(もろこし)に渡りて、天台山に登りぬ。道遂和尚(だうすいくわしやう)に会ひて、天竺5)の法文を受け習へり。仏竜寺の行満座主(ぎやうまんざす)の云く、「昔聞きき、智者大師6)のたまはく、『われ死て後、二百余歳に、はじめて東の国にして、わが法を広めむ』とのたまへり。聖の御言(みこと)違(たが)はずして、今この人に会へり。早くもとの国に帰りて、道を広めよ」と言ひて、多くの法文を授けたり。

延暦二十四年に帰り来たり。八幡(やはた)7)の御前にして法華経を講ずるに、ほくらの中より紫の袈裟をほどこして、法を聞きつる恩を報ひたり。春日社(かすがのやしろ)にして法華経を講ずるに、峰の上より紫の雲立ちて、経を説く庭を覆へり。神の施せる衣、今に山に納めたり。「像法(ざうほふ)の時を救ひ給へ」とて、手づから中堂の薬師如来の像を造り、「妙法の道を開かむ」と誓ひて、ねむころに天台の智者大師の跡を広め給へり。

弘仁三年七月に法華堂を造りて、大乗を読ましむること、夜昼(よるひる)断たず。谷の中に夜々(よるよる)は法華経を誦(ず)する声あり。求むれども人なし。声を尋ねて至りつつ見れば、人の頭(かしら)の骨の古く枯れたるあり。すなはちこれを堂の傍らに埋(うづ)みて、人をして踏まざらしむ。広く願ひの文をあらはして、時ごとにそへ読ましむ。誓ひて炬(ともしび)の光をかかげて、いまだ消えず。

春夏秋冬の始めの月に至るごとに、十二人の堂僧をもちて、三七日の懺法(せんぽふ)を行なはしむ。

弘仁十三年六月四日に大師終りぬ。奇(あや)しき雲、峰に覆ひて、久く去らず。遠き人見て怪しぶ。「山に必ずゆゑあらむ」と言ふ。

そもそもこの懺法は普賢経(ふげんきやう)より出でたり。四種三昧(ししゆさんまい)の中には、半行半座三昧(はんぎやうはんざさんまい)と名付けたり。天台大師8)、これを行ひしに、たちまちに法華三昧を得て悟り開け、心明らけし。また普賢菩薩を見て、象に乗りて、頂(いただき)をなでたり。経にくはしからぬ所をば、大師つぶさに文を加へて、法華三昧の行法一巻を作りて、世に伝へたり。

これを行へば、一乗の力によりつつ、六根の罪を消つ。小乗の懺悔(さんげ)は、ただ軽(かろ)き過(とが)をのみ失ふ。大乗の懺悔は、よく重き罪を救ふ。

行法にいはく、「『釈迦・多宝・分身の諸仏を見奉らむ』と思ひ9)、『六根を浄めて仏の境界に入り、諸(もろもろ)の障(さは)りを離れて、菩薩の位に入らむ』と思ひ、もし『この身に五逆四重(ごぎやくしぢう)犯して、比丘の法を失なへらむ、かへりて清浄(しやうじやう)なることを得て、すぐれたる功徳そなへむ』と思はむ者は、むなしく閑かならむ所にて、三七日これを行なへ」と言へり。

また普賢経にのたまはく、「心を専(もは)らにして行へば、一日にまれ、三七日に至るまでにまれ、普賢を見奉る。重き障りある者は、七々日の後に見る。また次に重き者は、一生・二生・三生に見奉る」とのたまへり。

また摩訶止観に云はく、「この懺悔は世間の重き宝なり。もしよく勤め行ふは、全(また)き宝を得つるなり。花香を供養するは下分(げぶん)の宝を得つるなり。仏、文殊(もんじゆ)と下分の功徳を説き給ふに、尽くすことあたはず。いはんや、中と上とをや。もし、地(つち)より梵天に至るまで、宝を積みて仏に奉らむよりは、しかじ、大経者(だいきやうざ)10)に一つの食(じき)を施して身を養はむには」と言へり。

三昧(さんまい)とぶらふ功徳、すぐれたるかな。

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 比叡懺法
ヒエノ山ハ伝教大師ノ行ヒ弘メ給ヘル所也大師俗ノ姓ハミツノ
氏近江国志賀郡ノ人也イトタウトクシテ心サカシ七歳ニシテ
サトリアキラケシアマタノコトヲカネシレリ十二ニシテ頭ヲソル/n3-13r・e3-11r
ハシメテヒエノ山ニ入テイホリヲ結テツトメ行フ香呂ノ灰ノ中ニ
仏ノ舎利ヲエタリイレム器ヲネカヒ給ニ灰ノ中ヨリ金ノ花乃
器ヲエタリ延暦十二(廿三)年ニモロコシニワタリテ天台山ニ乃ホリヌ道遂
和尚ニアヒテ天笠(竺)ノ法文ヲウケ習ヘリ仏龍寺ノ行満座主ノ
イハク昔キキキ智者大師乃給ハク我死テノチ二百余歳ニハシ
メテ東ノ国ニシテワカ法ヲヒロメムト乃給ヘリヒシリノミコトタカハス
シテ今コノ人ニアヘリハヤクモトノ国ニ帰テ道ヲ広メヨトイヒテ
オホク乃法文ヲサツケタリ延暦廿四年ニカヘリキタリ八幡ノ御前ニ/n3-13l・e3-11l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/13

シテ法花経ヲ講スルニホクラノ中ヨリ紫ノケサヲホトコシテ法ヲキキ
ツル恩ヲムクヒタリ春日社ニシテ法花経ヲ講スルニ峰ノ上ヨリ
紫ノ雲タチテ経ヲトク庭ヲオホヘリ神ノホトコセル衣イマニ山
ニオサメタリ像法ノ時ヲスクヒ給ヘトテ手ツカラ中堂ノ薬師如来
ノ像ヲツクリ妙法ノミチヲヒラカムトチカヒテネムコロニ天台乃
智者大師ノ跡ヲヒロメ給ヘリ弘仁三年七月ニ法花堂ヲ造テ
大乗ヲヨマシムルコトヨルヒルタタス谷ノ中ニヨルヨルハ法花経
ヲ誦スルコヱアリ求レトモ人ナシコヱヲ尋テ至リツツミレハ/n3-14r・e3-12r
人ノ頭ノホネノフルクカレタルアリ即コレヲ堂ノカタハラニ埋テ
人ヲシテフマサラシムヒロク願ノ文ヲアラハシテ時コトニソヘヨマシム
チカヒテ炬ノ光ヲカカケテイマタキヘス春夏秋冬ノハシメノ月ニ
イタルコトニ十二人ノ堂僧ヲモチテ三七日ノ懺法ヲヲコナハシム弘仁
十三年六月四日ニ大師ヲハリヌアヤシキ雲ミネニオホヒテ久ク
サラス遠キ人ミテアヤシフ山ニ必スユヘアラムトイフソモソモ此懺法ハ
普賢経ヨリイテタリ四種三昧ノ中ニハ半行半座三昧トナツケタリ
天台大師コレヲ行ヒシニタチマチニ法花三昧ヲエテサトリ開ケ/n3-14l・e3-12l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/14

心アキラケシ又普賢菩薩ヲミテ象ニ乃リテ頂ヲナテタリ経ニ
クハシカラヌ所ヲハ大師ツフサニ文ヲクハヘテ法花三昧ノ行法一巻ヲ
ツクリテ世ニツタヘタリ是ヲオコナヘハ一乗ノ力ニヨリツツ六根ノ罪ヲ
ケツ小乗ノ懺悔ハタタカロキトカヲノミウシナフ大乗ノ忄忄ハヨク
オモキ罪ヲスクフ行法ニイハク尺迦多宝分身ノ諸仏ヲミタ
テマツラムト思ヒ六根ヲキヨメテ仏ノ境界ニ入リ諸ノサハリヲ
ハナレテ菩薩ノ位ニ入ムト思ヒモシコノ身ニ五逆四重ヲカシテ比丘
ノ法ヲウシナヘラムカヘリテ清浄ナルコトヲエテスクレタル功徳ソナ/n3-15r・e3-13r
ヘムトオモハム物ハムナシク閑ナラム所ニテ三七日コレヲオコナヘトイヘリ
又普賢経ニ乃給ハク心ヲ専ニシテ行ヘハ一日ニマレ三七日ニイタ
ルマテニマレ普賢ヲミタテマツルヲモキサハリアルモノハ七々日ノ
後ニミル又ツキニ重キ者ハ一生二生三生ニミタテマツルトノ給
ヘリ又摩訶止観ニ云コノ忄忄ハ世間ノオモキタカラ也モシヨクツト
メヲコナフハマタキ宝ヲエツルナリ花香ヲ供養スルハ下分ノ宝ヲ
エツルナリ仏文殊ト下分ノ功徳ヲ説給ニツクス事アタハス況ヤ
中ト上トヲヤ若ツチヨリ梵天ニイタルマテタカラヲツミテ仏ニ/n3-15l・e3-13l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/15

タテマツラムヨリハシカシ大経サ(持経者イ)ニ一ノ食ヲ施シテミヲヤシナハム
ニハトイヘリ三昧トフラフ功徳スクレタルカナ/n3-16r・e3-14r

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/16

1)
最澄
2)
東大寺切「いときなくして」、前田家本「稚」。
3)
底本表記「香呂」
4)
二十三年が正しい。底本「十二」に「廿三」と傍書。前田家本「廿二」。
5)
「天竺」は底本「天笠」に「竺」と傍書。
6) , 8)
智顗
7)
宇佐八幡宮
9)
「思ひ」は「思はば」が正しいか。
10)
底本「大経サ」に「持経者イ」と異本注記。
text/sanboe/ka_sanboe3-03.txt · 最終更新: 2024/11/10 15:47 by Satoshi Nakagawa