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text:sanboe:ka_sanboe3-00

三宝絵詞

下巻 序

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三宝絵詞下 僧宝

釈迦の御弟子(みでし)に三種(みくさ)の僧います。一つには菩薩の僧。弥勒(みろく)・文殊(もんじゆ)のごときのたぐひなり。二つには声聞(しやうもん)の僧。目連(もくれん)・身子(しんし)1)のごときの輩(ともがら)なり。三つには凡夫(ぼんぶ)の僧。この世の僧正(そうじやう)・僧都(そうづ)のごときの族(やから)なり。

衆生(しゆじやう)に恩を施す。恩をかぶりぬれば、報ゆることかたし。恩を報ひむとて、供養し奉る人は、福を得ること等しうして異らず。菩薩はみな大悲の広き誓ひをおこして、世を渡すこと、その誓ひ広し。声聞はまた三明六通(さんみやうろくつう)をそなへて、人を救ふに力堪(た)へたり。釈尊隠れ給ひにしより、普賢(ふげん)は東に帰りしかば、菩薩の僧の目に見え給ふもなし。憍梵(けうぼん)2)は水と流れて静まり、迦葉(かせう)は山に隠れにしかば、声聞の僧は跡をとどむるなし。

あはれ、仏もましまさず、聖もいまさざる間に、冥(くら)きより冥きに入りて、心のまどひさかりに深く、身の罪いよいよ重き末の世に、もし髪を剃り、衣を染めたる凡夫の僧いまさざらましかば、誰(たれ)かは仏法を伝へまし。衆生の頼みとはならまし。三宝(さんぼう)はすべて同じければ、等しくみな敬ひ奉るべし。ひとへに仏と法とを尊(たうと)うして、僧と尼とを軽(かろ)むることなかれ。

あなたふと、あるいは経論を説きて、なかく法(のり)の灯(ともしび)を継がむや、あるいは戒律を守りて、鉢の油を傾(かたぶ)けず、あるいは、真言3)をさだめて4)、全(また)く瓶(かめ)の水を移し、あるいは、大乗を誦(ず)してあまねく衣の裏に玉を懸け、あるいは。禅定(ぜんぢやう)を好みて世のいそぎを捨て、あるいは、世間に出でて人の心を勧む。みなこれ仏教のあまたの門より別れ出でて、同じく菩提の一つ所に至りあはむとするなり。

また戒(かい)を破れる僧をも、われ同じく敬ふ。経にのたまはく、「たとひ戒を破れども、なほ輪王(りんわう)にすぐれたり。たとひ悪道に落つれども、その所の王となる。瞻蔔(せんふく)の花はしぼみたれども、よろづの花の鮮かなるにはすぐれたり。栴檀(せんだん)の香の燃え失せぬれど、もろもろの衣匂へるがごとし。千の牛のなかに一つ死ぬとて、残りの牛をば捨つべからず。あまたの戒の中に、一つ欠けぬとて、かたへの戒は軽(かろ)むべからず。香を包めりし袋は、失せぬれどもなほ香ばし。戒を受けてし身は、破れれどもなほ尊し」とのたまへり。

また、いまだ受けぬ沙弥(しやみ)をも、われ深く敬ふ。経にのたまはく、「竜の子は小さけれども軽(かろ)むべからず。雲を動かして雨を下す。沙弥は幼(いときな)けれどもあなづらず。道を得て人を渡す」とのたまへり。すべてこれをいへば、形、声聞に似ぬれば、必ず賢劫(けむごう)の諸(もろもろ)の仏を見奉り、頼みを大悲経の5)文(もん)にかけたり。身に袈裟を着つれば、みな如来のまことの身となりぬ。誡(いまし)めを大集経の偈(げ)残せり。

仏、誡めてのたまはく、「もし、かれを打つは、すなはち我を打つなり。もしかれを罵(の)るは、すなはちわれを罵るなり」とのたまへり。「孔雀はうるはしう飾れる色なれども、雁(かり)の翼の遠く飛ぶにはしかず。白衣(びやくえ)6)は富み尊き力あれども、僧の道の貧しく賤しきには及ばず7)とのたまへり。このゆゑに、勤めあるをも勤めなきをも、法の器物(うつはもの)とぞ頼め。智(さと)り深きをも、智(さと)り浅きをも、仏の使(つかひ)と思ふべし。もしは、真(まこと)まれ、もしは偽りてまれ、その咎(とが)をあらはさざれ。あるいは尊きまれ、あるいは賤しきまれ、その徳を讃(ほ)むべし。

およそ凡夫(ぼんぶ)の心をもちて、賢聖(けんじやう)の道をはかるべからず。かの倶婆羅比丘(くばらびく)は悪しき人なりき。見し者、誰も過去の如来と知らざりき。不軽菩薩(ふきやうぼさつ)8)はくだれる形なり。打ち罵(の)りし人、未来の教主なりと思はざりき。真(まこと)の位、仮の跡、かれもこれも知りがたし。しかじ、みな敬はむには。内の徳、外の形、さだめがたし。しかじ、すべて嘆(ほ)めむには。

昔、維那(ゆいな)の愚かにて、ほかの僧を罵れりしは、九十一劫(くじふいちこふ)虫となりて罪を受け、若き僧の戯(たはぶ)れに老いたる僧を笑ひしは、五百生犬の身の苦しみをうけ、ここをもちて、古の賢き人、みな仏の御弟子を尊びき。

影堅王(やうけんわう)の千の僧を養ひしは、太子受けてあひ伝へ、阿育王(あいくわう)の諸(もろもろ)の僧を拝みしは、大臣いさめしかどやまざりき。須達長者(すだつちやうじや)は寺を造りて住ましめ、耆婆医王9)は湯を沸かして浴(あ)むじき。

いはんや、また大象の獦(か)りの人に殺されしも、髭髪(ひげかみ)を剃れりしを見てよく忍び、羅刹の罪人(つみびと)を食らひしも、法(のり)の衣(ころも)をまつへりしに驚きて、すなはち去りにき。鬼、獣(けだもの)10)だにも敬ひけり。いかにいはんや、人の心に侮(あなづ)りおろかにすべからず。すべて世の灯(ともしび)と伝へ、国の宝と名付けたり。

年の中(うち)には、尊きわざを行ひ、行く末のよき道教ふる11)こと、みな声聞の徳にあらぬはなし。われ今掌(たなごころ)12)を合はせて、僧の尊きことをあらはす。

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三宝絵詞下
 僧宝
釈迦ノ御弟子ニ三クサ(種)ノ僧イマス一ニハ菩薩ノ僧弥勒文殊
ノコトキノタクヒナリ二ニハ声聞ノ僧目連身子ノコトキノトモ
カラナリ三ニハ凡夫ノ僧コノ世ノ僧正僧都ノコトキノヤカラ也
衆生ニ恩ヲホトコス恩ヲカフリヌレハムクユル事カタシ恩ヲ
ムクヒムトテ供養シタテマツル人ハ福ヲウルコトヒトシウシテ
コトナラス菩薩ハミナ大悲ノヒロキチカヒヲオコシテ世ヲワタス/n3-7r・e3-5r
事ソノチカヒ広シ声聞ハ又三明六通ヲソナヘテ人ヲスクフ
ニチカラタヘタリ尺尊カクレ給ニシヨリ普賢ハ東ニ帰シカ
ハ菩薩ノ僧ノ目ニミヘ給モナシ憍梵ハ水トナカレテシツマリ
迦葉ハ山ニカクレニシカハ声聞ノ僧ハアトヲトトムルナシアハレ
仏モマシマサスヒシリモイマササルアヒタニクラキヨリクラキニ
入テ心ノマトヒサカリニフカク身乃ツミ弥ヲモキスヱノヨニモシ
カミヲソリ衣ヲソメタル凡夫ノ僧イマササラマシカハ誰カハ仏
法ヲツタヘマシ衆生ノタノミトハナラマシ三宝ハスヘテ同シケレハ/n3-7l・e3-5l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/7

ヒトシクミナ敬ヒタテマツルヘシヒトヘニ仏ト法トヲタウトウシテ
僧ト尼トヲカロムルコトナカレアナタウト或ハ経論ヲ説テ
ナカク乃リノ燈ヲツカムヤ或ハ戒律ヲマモリテ鉢ノ油ヲカタ
フケス或ハ身ノ根(或本真言)ヲサタメテマタクカメノ水ヲウツシ或ハ大乗
ヲ誦シテアマネク衣ノウラニ玉ヲカケ或ハ禅定ヲコノミテ
世ノイソキヲステ或ハ世間ニイテテ人ノ心ヲススムミナコレ仏教
ノアマタノ門ヨリワカレイテテヲナシク菩提ノ一所(トコロ)ニイタリアハ
ムトスル也又戒ヲヤフレル僧ヲモ我オナシクウヤマフ経ニノ給ハク/n3-8r・e3-6r
タトヒ戒ヲヤフレトモナヲ輪王ニスクレタリタトヒ悪道ニヲツレトモ
ソノ所ノ王トナルセムフク乃花ハシホミタレトモヨロツノ花ノアサヤ
カナルニハスクレタリ栴檀ノ香ノモエウセヌレトモロモロノ衣ニホヘル
カコトシ千ノ牛ノナカニ一シヌトテ乃コリノ牛ヲハスツヘカラスアマタ
乃戒ノナカニ一カケヌトテカタヘノ戒ハカロムヘカラスカウ(香)ヲツツ
メリシ袋ハ失ヌレトモナヲカウハシ戒ヲウケテシ身ハヤフレレト
モナヲタウトシトノ給ヘリ又イマタウケヌ沙弥ヲモ我フカクウヤ
マフ経ニノタマハク龍ノ子ハチヰサケレトモカロムヘカラス雲ヲ/n3-8l・e3-6l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/8

ウコカシテ雨ヲクタス沙弥ハイトキナケレトモアナツラス道ヲエテ
人ヲワタストノ給ヘリスヘテコレヲイヘハカタチ声聞ニニヌレハ必ス
ケムコウノモムニカケタリ身ニケサヲキツレハミナ如来ノマコトノ身
トナリヌイマシメヲ大集経ノ偈ノコセリ仏イマシメテノ給ハク
モシカレヲウツハスナハチ我ヲウツナリモシカレヲ乃ルハスナハチ我ヲ
乃ル也トノ給ヘリ孔雀ハウルハシウカサレル色ナレトモカリノツハサ
ノトヲクトフニハシカス白衣ハトミタウトキチカラアレトモ僧
ノミチノマツシクイヤシキニハヨヲハストノ給ヘリコノユヘニツトメ/n3-9r・e3-7r
アルヲモツトメ無ヲモ法ノウツハ物トソタノメサトリ深ヲモサトリ
アサキヲモ仏ノツカヒト思ヘシ若ハマコトマレ若ハイツハリテマレ
ソノトカヲアラハササレ或ハタウトキマレ或ハイヤシキマレソノ徳ヲホ
ムヘシ凡ソ凡夫ノ心ヲモチテ賢聖ノミチヲハカルヘカラス彼倶婆羅
比丘ハアシキ人也キ見シモノタレモ過去ノ如来トシラサリキ
不軽菩薩ハクタレルカタチナリウチノリシ人未来ノ教主也ト思ハ
サリキマコトノ位カリノ迹カレモコレモシリカタシシカシミナ敬ハムニハ
内ノ徳外ノ形サタメカタシシカシスヘテ嘆ムニハ昔維那ノ愚/n3-9l・e3-7l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/9

ニテホカノ僧ヲ乃レリシハ九十一劫虫トナリテツミヲウケワカキ僧
ノタハフレニ老タル僧ヲワラヒシハ五百生犬ノ身ノクルシミヲ
ウケココヲモチテ古ノカシコキ人皆仏ノ御弟子ヲタウトヒキ
ヤウケム王ノ千ノ僧ヲヤシナヒシハ太子ウケテアヒ伝ヘ阿育王
ノ諸ノ僧ヲオカミシハ大臣イサメシカトヤマサリキ須達長者
ハ寺ヲツクリテスマシメキタタイムハ湯ヲワカシテアムシキ況ヤ
又大象ノ獦(カリ)ノ人ニコロサレシモヒケカミヲソレリシヲミテヨク
シノヒ羅刹ノツミ人ヲクラヒシモ法ノ衣ヲマツヘリシニオトロ/n3-10r・e3-8r
キテ即サリニキ鬼ケタ物タニモウヤマヒケリ何況ヤ人ノ心ニ
アナツリオロカニスヘカラススヘテ世ノトモシ火トツタヘ国ノ宝ト
ナツケタリ年ノ中ニハタウトキワサヲ行ヒユクスヱノヨキミチヲシ(教令ル)
フルことみな声聞ノ徳ニアラヌハナシ我今タナ心ヲアハセテ僧ノ
タウトキコトヲアラハス/n3-10l・e3-8l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1140087/1/10

1)
舎利弗
2)
憍梵波提
3)
「真言」は底本「身の根」にミセケチして「或本真言」と傍書。東大寺切(関戸本)、前田家本も「真言」。
4)
「伝へて」が正しいか。東大寺切(関戸本)「真言をつたへて」、前田家本「伝真言」。
5)
「もろもろの」から「大悲経の」まで底本本文を欠く。東大寺切(関戸本)により補う。
6)
俗人
7)
「及ばず」は底本「ヨヲハス」。誤写とみて訂正。
8)
常不軽菩薩
9)
「耆婆医王」は底本「キタヽイム」。東大寺切(関戸本)、前田家本により訂正。
10)
底本表記「ケタ物」
11)
底本「ヲシ」に「教令ル」と傍書。
12)
「掌」は底本表記「たな心」
text/sanboe/ka_sanboe3-00.txt · 最終更新: 2024/10/25 22:58 by Satoshi Nakagawa