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text:sanboe:ka_sanboe2-17

三宝絵詞

中巻 17 美作国採鉄山人

校訂本文

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美作国英多郡(あいたのこほり)に、おほやけ、鉄(くろがね)を採る山あり。帝姫安倍天皇1)の御代に、国の司(つかさ)、民(たみ)十人を召して、この山にのぼせて、穴に入れて、鉄を掘らしむ。

時に穴の口崩れ塞(ふた)がる。人驚き恐れて、穴より競(きを)ひ出づるに、九人はわづかに出でて、一人遅く出づるほどに、穴の口崩れ合ひぬ。国の司、歎きあはれみ、妻子(めこ)悲しび泣く。仏を描き経を写して、四十九日の法事修し終りぬ。

この人一人、穴の中(うち)にゐて思はく、「われ昔法華経書き奉らむといふ願を発(おこ)せり。いまだ写し奉らず。わが命を助け給はば、必ずとく書き奉らむ」と念ず。

穴の隙(ひま)を指(および)さすばかり通り開きて、日の光わづかに来たれり。一人2)の沙弥ありて、隙(ひま)より入り来たりて、食物を供へ与ふ。語りて云はく、「なんぢが妻子の、われに与へつる物なり。なんぢが愁へわぶれば、ことさらに来つるなり」と言ひて、また隙より出でぬ。

さりて後、久しからずして、ゐたる頂(いただき)に当たりて、穴開け通りて、空あらはに見ゆ。広さ三尺余り、高さ五尺ばかりなり。時に村人三十余人、葛(かづら)を繰りに山に入りて、この穴のほとりより行き過ぐるに、人々その影を見て3)、呼(よば)ひ叫びて、「われを助けよ」と言ふ。

山人ほのかに聞くに、蚊の声のごとし。すなはち聞き怪しびて、葛に石を付けて、底に入れてこころみるに、底なる人、引き動かす。「人なりけり」と知りて、葛を結びて籠(こ)に作りて、葛をなひて縄に付けて落し入れつ。底の人乗りゐて、上の人引き上げつ。

親の家に率(ゐ)て送る。家の人、これを見て悲しひ悦ぶことかぎりなし。国の司驚き問ふに、つぶさに件(くだん)のことを申す。すなはちおほきに尊び、悲しびて、国内に知識をとなへて、これよりはじめて力を加へて、その法華経を書き奉りて、おほきに供養す。

生きがたくして生きたること、これ法華経の願の力なり。

霊異記4)に見えたり。

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翻刻

美作国英多郡ニオホヤケ鉄ヲトル山アリ帝姫安倍天皇御
代ニ国ノ司(ツカサ)民十人ヲ召テ此山ニノホセテ穴ニ入テ鉄ヲホラ
シム時ニアナノクチクツレフタカル人ヲトロキヲソレテ穴ヨリキヲヒ
イツルニ九人ハワツカニイテテ一人ヲソク出ルホトニ穴ノクチクツレアヒ/n2-44r・e2-4r1
ヌ国ノ司ナケキアハレミ妻子カナシヒ泣ク仏ヲカキ経ヲウツシテ
卌九日法事修シヲハリヌ此人一人穴ノウチニヰテ思我昔法花経
カキタテマツラムトイフ願ヲ発セリイマタウツシタテマツラス我命ヲ
タスケ給ハハカナラストクカキタテマツラムト念ス穴ノヒマヲヲヨヒサス許
通(トホリ)アキテ日ノ光ワツカニキタレリ独ノ沙弥アリテヒマヨリ入来リテ
食物ヲソナヘアタフカタリテ云汝カ妻子ノ我ニアタヘツル物ナリ汝カウレヘ
ワフレハコトサラニ来ツル也トイヒテ又ヒマヨリイテヌサリテノチ久カラ
スシテ居タルイタタキニアタリテ穴ヒラケトホリテソラアラハニミユ/n2-44l・e2-41l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1145963/1/44

ヒロサ三尺余高サ五尺許也時ニ村人卅余人葛ヲクリニ山ニ入テ
コノ穴ノホトリヨリユキスクルニ人々ソノカケヲミテヨハヒサケヒテ我
ヲタスケヨトイフ山人ホノカニキクニ蚊ノコヱノコトシ即キキアヤシヒ天
葛ニ石ヲツケテソコニイレテ心見ルニ底ナル人ヒキウコカス人ナリ
ケリトシリテ葛ヲムスヒテ籠ニツクリテ葛ヲナヒテ縄ニツケテオト
シイレツ底ノ人ノリヰテウヘノ人ヒキアケツオヤノイヱニヰテオクル家
ノ人コレヲミテ悲ヒ悦事カキリナシ国ノ司オトロキ問ニツフサニ件
ノ事ヲ申即オホキニタウトヒカナシヒテ国内ニ知識ヲトナヘ/n2-45r・e2-42r
テ是ヨリハシメテチカラヲクハヘテ其法花経ヲ書タテマツリテオホキ
ニ供養スイキカタクシテイキタル事是法花経ノ願力也霊異記ニ
見タリ/n2-45l・e2-42l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1145963/1/45

1)
孝謙天皇・称徳天皇
2)
底本表記「独」
3)
東大寺切(関戸家本)「そこなる人ひとのかけをみて」、前田家本「底人見景」。つまり、「穴の底にいる人が外の人影を見て」が本来の意味。
4)
日本霊異記
text/sanboe/ka_sanboe2-17.txt · 最終更新: 2024/09/29 21:33 by Satoshi Nakagawa