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中巻 16 吉野山僧
校訂本文
吉野山に一つの山寺あり。海部峰(あまべのみね)といふ。帝姫安倍天皇1)の御代に、一人2)の僧ありて、かの山寺に住みて、年久しく行ひ勤めて、またみづから力衰へて、起き臥す力堪(た)へずなりぬ。
弟子の僧、大師に申さく、「身疲れ給ひて、病すでに重くなり給ひたり。また身を助けて道を行ふは仏の説き給ふ所なり。病僧には免し給ふなり。売るを買ふは罪軽(かろ)かなり。試み3)になほ魚(いを)を参れ」と言ふ。ねむごろに勧むれば、「何かは」と言ふ。
弟子、紀伊国の海のほとりに童子をやる。童行きて、あざらかなる4)鯔(なよし)5)八つを買ひて、小さき櫃(ひつ)に入れて帰り来るほどに、わが師を知れる俗三人(ぞくみたり)、路に会ひて、「師のもとへ持て行く物なめり」と見て、「なんぢが持たるは何ぞ」と問へば、童子心ならずして、「法華経なり」と答ふ。櫃より魚の汁垂(た)り落ちて、魚の香あらはに臭ければ、俗、「偽りをたださむ」とて、市の中を過ぐるほどに、童をとどめて、多くの人の中にして、「なんぢが持たるものはこれ魚(いを)なり。いかでか経とは言ふ」といふに、童なほ、「経なり。魚にあらず」とあらがふ。
俗は、「なほこれ魚なり。経にあらず」と言ひて、しひて開けて見むとすれば、童逃るること得ずして、心の中(うち)に発願(ほつぐわん)す。「わが師の年ごろ読み奉り給ふ法華一乗6)、われを助け給へ。師に恥見せ給ふな」と念ず。俗、櫃を開けて見るほどに、法華経八巻あり。俗どもこれを見て、恐れ奇(あや)しがりて去りぬ。
一人の俗、「奇し」と思ひて、遅れつつ行きて、童に添ひて寺に至りぬ。隠れて見れば、童、師に向ひて、つぶさにこのことを述ぶ。禅師、このことを聞きて、奇しび悦びて、食はずなりぬ。
俗、五体を地に投げて、禅師を拝みて申さく、「まことの魚なれど、聖の徳によりて経になれり。われ愚痴邪見(ぐちじやけん)にして、因果を知らず。聖の使(つかひ)を悩まし煩はしつ。願はくは罪を免し給へ。今より後、わが大師とし奉らむ」と云ひて、大檀越(だいだにをち)となりて、永く敬ひ供養す。
まさに知るべし、法(のり)のために身を助くれば、毒も変じて薬となる。魚も化して経と見ゆ。
霊異記7)に見えたり。
翻刻
吉野山ニ一乃山寺アリ海部(アマヘノ)峯トイフ帝姫安倍天皇御代ニ独 ノ僧アリテ彼山寺ニスミテ年ヒサシク行ヒツトメテ又ミツカラチカラ オトロヘテヲキフスチカラタヘスナリヌ弟子ノ僧大師ニ申身ツカレ給 テ病ステニオモクナリ給タリ又身ヲタスケテ道ヲオコナフハ仏乃/n2-42l・e2-39l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1145963/1/42
説給所也病僧ニハユルシ給ナリ売ヲカフハツミカロカナリ心ミニナヲ魚 ヲマイレトイフネムコロニススムレハナニカハトイフ弟子紀伊国ノ海ノホトリ ニ童子ヲヤル童ユキテアサラカナル(鮮/アタラシキ魚也)鯔(ナヨシ)八ヲカヒテ小櫃ニ入テ帰クル ホトニ我師ヲシレル俗三人路ニアヒテ師ノモトヘモテユク物ナメリトミ テ汝カモタルハナニソトトヘハ童子心ナラスシテ法花経ナリトコタフ櫃 ヨリ魚ノシルタリヲチテ魚ノ香アラハニクサケレハ俗イツハリヲタタサ ムトテ市ノ中ヲスクルホトニ童ヲトトメテオホク乃人ノ中ニシテ汝カ モタルモノハ是魚也イカテカ経トハイフトイフニ童猶経也魚ニアラ/n2-43r・e2-40r
ストアラカフ俗ハ猶コレ魚ナリ経ニアラストイヒテシヒテアケテミム トスレハ童乃カルルコトエスシテ心中ニ発願ス我師ノ年来ヨミタテ マツリ給法花一乗我ヲタスケ給ヘ師ニ恥ミセ給ナト念ス俗櫃ヲア ケテミルホトニ法花経八巻アリ俗トモ是ヲミテヲソレアヤシカリテ去 ヌ一人ノ俗アヤシト思テヲクレツツ行テ童ニソヒテ寺ニイタリヌカクレ テ見レハ童師ニ向テツフサニコノ事ヲ乃フ禅師コノ事ヲキキテアヤシ ヒ悦テクハスナリヌ俗五体ヲ地ニナケテ禅師ヲオカミテ申サクマコト ノ魚ナレト聖ノ徳ニヨリテ経ニナレリ我愚痴邪見ニシテ因果/n2-43l・e2-40l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1145963/1/43
ヲシラス聖ノ使ヲナヤマシワツラハシツ願ハツミヲユルシ給ヘ今ヨリ後 我大師トシタテマツラムト云テ大檀越トナリテナカクウヤマヒ供養 スマサニ知ヘシ法ノタメニ身ヲタスクレハ毒モ変シテ薬トナル 魚モ化シテ経トミユ霊異記ニ見タリ/n2-44r・e2-41r